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Tagebuch in Münster 1

徒然なるままに書き記すわけだが、ミュンスターに行ったからといって、何かが大きく変わるわけではない。
海外というものは思っていたより近かった。
飛行機に揺られて、1日も経てば、違う土地が目の前にやってくる。
空港に降り立つとそこは、異世界、ではなかった。
自分が生きている延長線上に、今までなかった世界が広がっていた。そのぐらいだろう。
もちろん環境はちがう。違うから、驚きも大きい。
けれども、ギャップに苦しむことはなかった。
そこにあるものは、もともとそこにあったのだ。
こちらからお邪魔しているのだから、そこに礼儀を払わないといけない。
日本だったらこうなのに!は、なしにしよう。そう心に決めた。

8月3日 ドイツ到着

持ち込みはこれにまとめた
飛行機

海外を歩き回っている人たちからしたら、当たり前のことしかないから、ここでは特に書き改めない。おそらく先人たちがすでに書き残しているものが、ネットには転がっている。
ここに書き記すのはあくまでも、個人的なこととなる。誰かの役に立つものかはわからないが、誰かが見て、役に立てたいと思えるようなことは、少しでも書き残したい、とは思う。そのぐらいの責任はある気がする。

フランクフルト空港に降り立った。
空港はほぼ安全が担保されている場所だと思った。特に大きな事件に巻き込まれるわけでもない。ただ、警察の武装具合は違った。当たり前のように銃を携帯している。しかも誰からでもわかるような形で。
あとはビジネスクラスかエコノミークラスかでの受付の対応はまるで違う。日本みたいに、誰から構わず笑顔を振りまく、とかではない。そんな印象だ。受付の明るさも違う。なるほどなるほど。ただ、親切。親切ではある。こちらも困っている、ということを示し、相手の仕事への敬意を示していれば、の話だと思う。相手への敬意がなければ、きっと相手にもされないだろう。

雲が近いという印象
何層にもわたる雲
ミュンスターの空港

フランクフルトから、目的地ミュンスターへ。
ミュンスターの空港はとても小さな空港。降り立つ瞬間まで農地が広がっていたため、突然飛行機が高度を下げた時には驚いた。不時着?とか思ったけれども、そうではなかった。農園の中に空港がある。そんな印象だ。
飛行機を降りて、バスに乗る。しかし、バスが予定した時刻に来ない。次のバスは1時間後か。待っていると30分後にバスが来た。しかし、そのバスでは目的地まではいけない。と思ったが、バスの顔に表示されている電光掲示板には、僕の行きたい目的地が記されていた。頭にハテナマークが並んだが、表示されている文字列を信じた。
運転手に目的地を伝え、規定の料金を支払い、バスに揺られることおよそ50分。目的地となるミュンスター中央駅に到着した。初日はおそらくこんな感じだった。あとは滞在先に荷物を置き、疲れ切ってしまったのか、そのまま就寝。記憶はない。

8月4日 町を散策

芸人がいました。1euro。
流しの音楽隊
教会も多いです

ミュンスターの中央地を探索。
携帯電話の契約を済ませたあとに、いろいろと回ってみた。
劇場が多かった。飲食店が多く入っている建物の一階に劇場の入口があったり、路地にあったりと、演劇という文化が街に当たり前のようにあるということがわかった。
町を散策していると、歴史とかそういうことに目が行きがちなのだが、個人的には、歩いている人たちのスピード感や町の混み具合などに目がいった。
平日、というにしては人が多い。しかし、人が多いけれども、ゴミゴミはしていない。居心地の悪さは感じない。自転車が多い。自転車社会なのは間違いない。けれども、歩行者が排他的になっているわけではない。自転車の通り道を歩行者がいる時だけ、自転車は自分の居場所だということを主張している。それ以外のところを自転車が通っていて、目の前に歩行者がいても、自転車は自分を主張しない。歩行者も、それがわかっている。
というのも、自転車ゾーンがはっきりしているのだ。歩いていて、色が違うところがある。そこが自転車ゾーンだ。それがわかっていれば、歩行者も事故を起こさずに済む。相手の居場所を侵食してしまう恐れもない。
こんなにかっちり棲み分けがされていて、それを守っていることが面白い。
あとは、ゴミ箱がやたらと多い。歩けばそこらじゅうにゴミ箱がある。そのゴミ箱も妙にシステマティック。ゴミ箱の蓋を開けるには、足元にあるバーを踏まなくてはいけない。開けると、電光掲示板に、捨てて、との表記、すてると、Dankeとお礼を言われる。悪い気がしない。さらに電光掲示板にはゴミ箱の残量も表示される。面白いし、わかりやすい。
街には自動販売機がない。もちろん駅にはあった。空港にもあった。しかし、街の外にはどこにもない。気持ちがいい。自動販売機なんてなくていいんだな、と思う。コンビニもほとんどない。町の通りにはテラス席がたくさんある。座れるベンチもたくさんある。構わず床に座っている人は物乞いの人たちだ。しかし、彼らにも居場所がある。そんな気がした。
居心地がいい。ただそれだけを感じた。

8月5日 食に関しては問題ない

滞在先近くのスーパーに入っていたパン屋
街中にあるサラダ屋
空港で食べたパン
ビールとホットドッグ

パートナーも無事に到着。合流。
携帯の契約をしにいく。
先2ヶ月の住居へといく。過ごしやすそうだ。
スーパーにいく。スーパーの制度に慣れていく。明日は日曜日だから、買い込む。思ったより値段がいくことに驚く。
街中へ出る。パンを食べる。
そう。書き忘れていた。
ドイツは、とにかくパンが美味しい。パンに挟まっているチーズやサラミもおいしい。肉が美味しい。野菜は日本には多分勝てない。それは仕方ない。けれども、パンがおいしい。パン好きにはたまらない。チーズ好きにもたまらない。ただただ天国。あとピーナッツも美味しい。たまらない。野菜だけは日本が、というか西会津がすごい。これは、まあ仕方ない。あとカモミール茶がおいしい。カモミール最高。
シャンプーやボディソープも買う。表記に悩むが、先人たちがまとめてくれているデータを参照し、なんとか購入することができた。ありがとうデータベース。
そんなこんなで夜を迎える。おや?寒いぞ。大丈夫かな。

8月6日〜8日 体調を崩す

卓球台。石でできています。

体調を崩しながらも、近くを散歩。
近くの公園には遊具がたくさんあった。
見慣れないものもたくさん。どうやって遊ぶのかもわからない。
ブランコはつかむところが滑りやすくて、あまり大きくは漕げない。ほどほどに。
遊具のサイズが大きい。日本人男性平均身長の僕が大きいと感じるぐらいの大きさだ。明らかに子供サイズではないものもある。
そして野外卓球場やミニサッカー場などもある。
遊具スペースに「禁止事項」は記されていない。
Spielplatz 日本語でいうところの公園にあたる場所。
本来そうあるべき場所も、規制されてしまっていく日本の都市部。
それがされていないドイツ・ミュンスター。
これに関しては他の都市とも比較してみる必要がある気がする。あとはSpielplatzがどういった場所にあるときに、禁止事項が生じなくなるのか。8/7~8/8は気温低下に身体が調子を合わせきれず、発熱や咳、鼻水、喉の痛みなどを発症してしまったため、滞在先(自分で予約を取った方)で休むことに。久しぶりにたくさん睡眠をとった。

8月9日 住民登録完了

住民登録した場所の掲示板にあったイベントチラシ1
チラシ2
チラシ3。いろんなイベントや募集がありました。
MUSEUM FÜR LACKKUNST MÜNSTER

住民登録が完了した。
パートナーに準備などはやってもらっていたので、僕は記入するぐらいだった。事前情報では担当者によってはかなり厳しかったり、英語が使えなかったりなどの恐れ慄く情報があったため、心してかかっていったが、とても親切な方で、ものの10分もかからずに登録完了。
あらら。
その後は明日でお役御免になる宿の片付けと荷物をまとめて、Curry Wurst と Pommes(ポテトフライ)を露天で食す。ほんとおいしい。食に関しては困ることはない。
天候も晴れ。穏やかな気候はアトピー性皮膚炎の僕にはうれしい。夏場にアトピーがひどくならないなんて、こんな幸せなことはない。ストレスが少ない。幸いなことに、硬水にも身体が順応している。韓国旅行の時の体調不良はなんだったのか。

お腹を満たした後は気になっていた美術館へ。

MUSEUM FÜR LACKKUNST MÜNSTER:
NEUE JAPANISCHE LACKKUNST AUS HOKURIKU

主に漆器を取り扱った展示だった。日本古来の漆器工芸やアジアでの漆器。さらには西洋との比較などがされていた。西会津の知人に漆職人がいるため、彼女のことも考えながら拝見した。
考えたのは、工芸品というのは実用が伴って、初めて完成される、ということ。もちろん観賞用もあるにせよ、ベースは実用だと考える。長く美しく使えるように、漆というものが使われていたのではないか。僕は漆に詳しくはないけれども、展示されているかつての品々には、その作品を使う人の匂いや気配を強く感じ取ることができた。
しかし、現代アーティストの方々が漆という素材を使用して作り上げた作品には、使い手の気配が感じられなかった。作品のクオリティや、彼ら彼女らが身につけた技術力というものに尊敬の意を表するのだけれども、漆という素材に着目し、そこから作家の作品へと昇華していく、その過程はわかったけれども、その先は見えてこなかった。これを触った人、使った人の匂いがないものに、漆が使われている、という必然性や必要性が、今回の作品群からは、感じ取ることができなかった。漆というものが工芸品に使われている、という背景が見えてこなかったからかもしれない。
それにドイツというのは製品大国でもある。「モノを使う」ということがかなり前提になっているような国なのだから、そこで展示する作品に触れないのは、ものすごく勿体無い。希少価値の高い、先代の作品ならば劣化などを考えて触れなくするのはわからなくもないが、やはり、そこは触れてなんぼの作品を展示した方が、土地性ともあっていたのではないだろうか、と考えてしまった。
けれども、相変わらずこういった作品を見るのは刺激になる。自分の作品の作り方への参考になる。こういったところに展示できる才能は僕にはないから、負けないようにもっともっと自分を磨いていこう、とそう考えた。

家に帰ってからは初めて米を食べた。
お世辞にも美味しくはない。西会津の米が食べたい。そう思う。

明日にはホストが家にやってくるとのこと。
失礼のないようにしたい。
また、ようやく演劇を見に行こうと思う。
他の都市にもでかけて、公園のデータベースをとってもおもしろいかもしれない。それよりは演劇か。
まあ頑張ろう。


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