シンガポール現地採用の書店員 <やりがい>そして<燃え尽き>
日本を離れて見つけた理想の職場で燃え上がる
現地採用という選択。
それは自由な働き方を追求しつづけて辿りついた。
なんの保証もなくても、今すぐ海外に行って働きたい。
フットワーク軽く仕事も趣味も楽しんで、いつか次の道を見つけたらまたすぐに方向転換したい。
という軽い気持ちで片道切符で飛んたシンガポールで、3年半働いた。
日系書店の日系書籍担当。
エプロンをつけてレジを売ったり本を並べたり、宣伝用ポップを手書きしたり週末に読み聞かせイベントを開いたり。
朝起きてから夜寝るまで、仕事中はもちろん休みの日にも、
ずーっと本のことだけを考えれいられることはとても幸せだった。
日本で話題の書籍、シンガポール在住の日本人の間で人気の書籍、そしてシンガポール在住のシンガポール人に人気の書籍。
そのバランスを考えて、売れる本と売りたい本を織り交ぜて店頭に並べる。
当時、日本で大ヒットした「まいにち、修造! 心を元気にする本気の応援メッセージ」という日めくりカレンダーを入荷してみた。
店頭のいちばん目立つところに並べたら、なんと完売した。
日本人の駐在員家族が、子どもに毎日見てほしいと購入してくれたようだった。
仕事はやりがいがあったし、売り上げ伸ばすぞー! と燃えていたし、若かったし。
今思えば、なにもかも至らないところだらけだったのに。
未熟でやかましくて暑苦しい私。それを受容してくれる上司や同僚に恵まれていたありがたい環境を、振り返るたびに「よくしてもらっていたんだな」と感謝でいっぱいになる。
もう二度と出会えないだろう、大好きな本とスタッフに恵まれた最高の環境だったのに、最後はあっさりと辞めた。
ささいなきっかけで世界が一変
退職する時の心境は誰しも似たようなものだと思う。楽しさややりがいや給料をもらって満足する一方で、不満や疲労が少しずつ溜まっていて。
私の場合、こころの堤防が決壊して、溜まったものがあふれたきっかけが転勤だった。私じゃなく、駐在員の。
勤続3年目の頃に、社内の日本人駐在員の大移動があった。
直属の上司はオーストラリアに転勤になり、シンガポール支社のボスは日本に帰国。
駐在員の任期はなんとなく決まっている雰囲気があって、当時の会社は3年から5年という感じ。
もちろん現地採用の私にそんなものはなくて、働きたければずっといられただろうし、クビになったらそこでおしまい。それならそれでまた次のチャンスを見つけに行こうと軽い気持ちだった。若かったし。
上司もボスも、日本でも海外支社でも経験豊富な書店のベテランで。
本が好きだという熱意だけ、実務経験ゼロだった私に、売り上げをデータで分析することや効果的なディスプレイの方法なんかをひとつひとつ基本からみっちり教えてくれた。
「なんかコレ売れてます!」と嬉しくなって上司に言ったら、日本でメディアに取り上げられたからだとか、日本の売れ筋とシンガポールの売れ筋のデータを比較検討して売れ筋を押さえようねとエクセルでのデータ抽出方法を見せてくれたり。
お世話になった上司やボスと別れるのは悲しかったけど、駐在員はそういうもの、とこっちもあっちも理解していた。
私の堤防決壊はそっちじゃなくて。
2人の後任は、日本本社で勤続1年にもならない男の子だというニュース。運動部出身で元気がいいらしいよ、だって。
新入社員が駐在員なの?
3年もやってる私は現地採用だよ。そうだよ。
知識も経験もそこそこ積み重なってきたし、トラブルにも耐えたしピンチも何回も乗り越えてきたのに。
一回り年下で社会の経験値もない人のもとで働く?
社内調整の部署異動で、彼は私の直属の上司にはならなかった。ボスも上司も私の性格をよく理解してくれていたから、シンガポールを離れる前になにかしらの配慮をしてくれたのかもしれない。私と彼が顔を合わせずに仕事ができるように。うぬぼれるなよ、と自分でも思うけど、それくらい優しくて有能で尊敬する人たちだった。
結局、彼が赴任してから会うことも話すこともほとんどなかったけど、彼の存在を思うたびに私はひとりで勝手に苦しんだ。
ちなみに彼が私を直接苦しめたことなんて1度もなかった。
すごく嫌な奴が来たら腹が立つし、すごくいい奴が来ても私は落ち込むんだろうな。
彼が赴任してくる前に、そんなことを思ってた。
風のうわさで聞いたところ、彼は後者だった。
実際どうだったのかは全然知らない。直接話すなんてできなかった。
会社の使命ではるばるシンガポールまでやって来たのに、元気に明るくがんばろうとしてるだろうに、ローカルスタッフに混じったおばさんが嫌味ったらしく口を出すとかもう最悪じゃん。
そんなこと絶対しないけど、もし彼に会った瞬間に嫌なことを言ったりでもしたら、自己嫌悪で死にたくなるに決まってる。
そんなことをぐるぐる考えて、気分はどんどん落ち込んでいった。
彼の評判はとても良くて、
嫉妬や憎しみに満ちた私の心を知らない取引先の人たちは
「新しい人、よくやってくれるね」
「あなたの会社はみんな熱心でいいね」
と褒めてくれた。
私も彼も褒められているのに、私は苦しくて仕方ない。
働き方も住む場所も自由に暮らせて、現地採用サイコーじゃんとずっと思ってた。
駐在員は確かに待遇いいけど、残業も出張もひっきりなしで、朝3時に重役をチャンギ空港に迎えに行って8時に出社とか最悪じゃん、って。
私は選択的現地採用なんだって。
制約だらけの駐在員なんかごめんだって。
でも実際に、自分より年齢も経験値も下の人が自分より手厚い待遇でやって来たら、うっかり比べてしまった。これがいけなかった。
当時の私はシェアハウスに住んでいて、ボロかったけど居心地がよくて、大家さんも超親切だった。
でもやっぱりボロかった。
入社半年で赴任してきた駐在員は、プール付きでジム付きの高級コンドミニアムで一人暮らしなのに。
3年必死にがんばって会社に貢献した(つもりの)私はなんでこんなところで暮らしているんだろう。
他人と自分を比べるってホント自分をだめにする。一度はじめると止まらなくなる。
年齢やちっぽけなプライドが醜い心を生み出して、頭の中がコントロールできなくなり仕事中でも道端でも泣きだす始末。
新潮文庫と文春文庫の棚が並んで、その向かいにはKADOKAWAと集英社文庫の棚がある。大好きな文庫売り場のど真ん中でいきなりブワッと涙が出て、あわててトイレに駆け込んでだ。必死におさえようとするけど全然止まらない。
私、もっと働きたいんだって。なんにもなかった私に、チャンスを与えてくれた会社とお店にもっと貢献して恩返しがしたいんだって。お願いだから、涙とまってよ。
あせればあせるほど激しく泣き出す。もうダメだった。
翌日、病休を取って初めて日本人向けの高級クリニックでカウンセリングを受けた。いつものローカルクリニックじゃ、ただの風邪みたいに5分で済むような内容じゃないから。
診断結果は適応障害。しばらく仕事を休んでくださいと言われた。30分のカウンセリングと薬の処方で200ドル(約18,000円)だった。健康は財産ってホントだな。健康じゃなくなるとすぐに出費がかさむ。
人生初の海外での仕事、やりがいと周りに恵まれて駆け抜けた3年間。
こんな幸せは長くは続かないだろうと心のどこかで冷静だったけど、同時に1日でも長く続きますようにとも祈っていた。
こんな調子じゃもう仕事にならない。
役に立つどころか、扱いづらくてめんどくさい要員じゃん。
もうやめよ。なんか新しい場所で新しいこと始めよう。
こうして、退職とシンガポールを去ることを決意した。
現地採用と駐在員の関係性
現地採用がぶつかる壁。それは現地での仕事でも言語でもなく、駐在員の存在とその関係性だ。
私のように、駐在員にお世話になったり面倒を見てもらったりして、むしろ3年もいい関係で仕事をさせてもらえたのが奇跡だったのかもしれない。
お給料をはじめとする待遇の大きな差に、自分のしょぼさをまざまざと見せつけられたり、あからさまな格差をつきつけてくるような意地の悪い駐在員もたくさんいると思う。
人間の悩みはほぼ全て人間関係だという、つまりアレだ。
現地採用と駐在員だけに限らない、どこでなにをして働くにも、人間関係はとても重要。
年齢が近くて趣味や好みを共有できるゆるい友人関係に比べて、社会に出て働き始めてからの人とのながりは、忖度や空気の読み合い、おうかがいに根回しまで、とにかく複雑でややこしいコミュニケーションスキルが要求される。
学生時代もフリーターになってからも、友達じゃなくて、ほどよい距離を保つ社会での人間関係がめちゃくちゃ下手だった私にはできるはずもなく。
上司とボスの優しさによってかけられていたハシゴを外されて、初めて気づいた。
駐在員と現地採用の職務や住み分けをとっぱらってくれていたこと。
本当は分別をわきまえてやらないといけないことがたくさんあったこと。
そしてもう一度きちんと仕切り直しをしようとしても、新しい駐在員との上手な関わり方が全然分からなかったこと。
痛みも辛さもまるごと経験値
この経験値から学んだこと。
好きなときに好きな場所で働ける現地採用の仕事はまたやりたいけど、駐在員と関わりながら仕事をするのはもう嫌だ。
その結果、駐在員がいるような大企業や日系企業を避けて、現地の中小企業を選んで働くようになり、その選択は今のところうまくいっている。
駐在員の日本人友達は当時も今もたくさんいるけど、彼らに嫉妬や妬みを感じることはない。むしろ、やっぱ大変そうだなあと労いたくなる。
やっぱりあの時に感じた激しい衝動が一時的なものだったんだ、負の感情から逃げ出してよかったなと、当時と今を比較してほっとする自分がいる。
それと同時に、本と本屋に貢献するべく、あらゆる手段を試して使って燃えていたような働き方する私はどこにもいなくなってしまったんだなとも。なるべく仕事を抱え込まないように、冷静にコントロールしながら働く自分はあの頃と別人みたいだ。
未熟でやかましくて暑苦しく働く私は消えてなくなった。これを成長というのかどうか。
ちなみに、私が必死に避けて、応援しようとしていた新人駐在員の彼は経験と自信をバリバリつけて成長しているらしい。風のうわさが私の耳まで届いた。
十分な時間と距離をとった今だからこそ、よかったね、がんばってね、と心から思える。
ローカルスタッフに混じったおばさんが嫌味ったらしく口を出すとか、ホントしなくてよかった。
やりがいがある仕事を思いっきりやって、そしてあっさり燃え尽きた。
これ以上、燃え上がるような仕事にはもう出会えないだろうと思ってシンガポールを去ることに決めた。
次の行き先は、日本。
駐在員の大移動があった時期に、日本からシンガポール出張にきていた企業経営者からひょんなことから転職オファーをもらっていて、そのオファーを受けることにしたのだ。
老舗の事業の三代目だという経営者は、海外事業部をつくって海外とのビジネスを始めたいらしいが、社内では適任者がいなくて探していたとのこと。
よくわからないけどおもしろそう。
シンガポールでの経験を活かして、日本でなにか貢献できたらいいかも。
逃げたんじゃない、これは前進なんだと自分に言い聞かせて、大好きな場所に別れを告げて未知なる異世界へ飛び込んだ。