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現地採用なんてもう二度とやるもんか

「海外アジア現地採用の光と影」と題してお届けするシリーズ。光があるとこには影がかならず生まれるもの、今回は後編・ダークサイドです。

前編はこちら

はじめての現地採用で内定がもらえなかった、就労ビザがおりなかった、想像してた仕事や生活とは全然違った、という実話をもとにしたフィクションです。実在する人物、国名、企業などとは一切関係がない読み物としてお楽しみください。

まったく新しいなにかを始めるときには、トラブルやハプニングは必ず起きます。例えば私の場合、シンガポールで初めての内定は実は違法就労だったし、初めての勤務先は典型的なブラック体質の企業でした。

それでも、海外で働くことをどうしてもあきらめたくなくて、よりよい条件の仕事を探して、運良く転職できて、現在に至ります。
当時のエピソードは別のnoteマガジンに詳しく書いたので、よかったらそちらをご覧ください。

いいことばっかりも続かないし、反対に悪いこともいつまでも続かないから、今の自分にできる努力で自分の現状を変えていくしかない、という心の持ち方をしながら、不安定な現地採用暮らしを続けています。

今のところ順調だけど、まあダメになったらまた新しいことにチャレンジしよう、そのための準備はいつも入念にしていよう。今ままでもそうやってなんとかしてきたし。

私の働き方・生き方の基本方針はこんな感じです。
みなさんの働き方や生き方、海外転職という選択肢を考えるときの材料にしてもらえたらいいなと思い、普段はあまり発信しない海外アジア現地採用の影の部分について今回は書きました。

Aさんのケース シンガポールで内定が出ても就労ビザが出ないまま2ヶ月待ち続ける日々

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私は学生時代にひとりで海外旅行をすることにハマって、卒業後は絶対海外で働きたいと思っていました。
そのためにまずは日本で社会人としての経験を積もうと思い、語学を活かせる仕事を探しました。しかし希望の企業に内定はもらえず、卒業後はホテルのフロントで契約社員として働き始めました。

やりたい仕事じゃないし、立ちっぱなしでいつも笑顔でていねいに対応する接客業はだんだん疲れてきて、もうこの仕事辞めたい、今すぐ海外に行ってみたいと思うようになりました。

休みの日にはアジアに絞って海外転職情報を検索しました。いろいろ見てみて「よさそう」と思ったのが、日本人向けの転職情報が豊富で、給料や待遇も今の仕事よりずっと良いシンガポール。公用語も英語だし、これならバックパッカー時代に鍛えた英語での交渉力も活かせるだろうと思いました。

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海外転職はメールのやりとりや電話面接だけでも応募フローを進めることができますが、現地で直接動き回って転職エージェントや面接先の企業に出向いた方が有利だという情報を見つけたので、まずはシンガポールに行ってみようと決めました。

日本人向けの仕事がたくさんある、新卒にもチャンスがある、温暖な気候で治安がよくて住みやすい、みたいなイメージからシンガポールで転職活動を始めました。仕事が決まるまでは生活費をおさえようと、バックパッカーホステルで1部屋6人の共同生活です。

転職エージェントのオフィスで日本人スタッフと面談をして、翌週には一次面接を3件ほどアレンジしてもらえました。
タイミングがよかったのか、そのうち1社の採用フローが進んで、補充要員を募集していた日系旅行会社の営業という仕事で内定をもらえました。
「オンラインで転職希望をする人が多いなかで、採用される保証もないのに現地までやって来る希望者は珍しい」と行動力を評価されたこともあったかもしれません。

最終面接のあとに転職エージェントから内定通知をもらい、就労ビザの申請に入りました。ここまではすごく順調で、シンガポールに到着してから3週間くらいでした。ここからなんと、ビザ申請の間じゅう2ヶ月も待たされることに。

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シンガポール国民の雇用を守るため、外国人の雇用が厳しくなりはじめた時期だということもあったそうです。内定先の会社が、シンガポール労働局に申請しても何週間も保留された挙句に受理されず、推薦状などの手紙をつけてまた申請、ということを繰り返していたようです。

その間、私は働くことはもちろんほかに転職活動をするわけにもいかないし、労働局から就労ビザがおりるのを待つだけの日々でした。わずかな貯金でひっそりと過ごし、それでもシンガポールに30日以上いると不法滞在になるため、マレーシアやタイに一度出国してまた戻ってくるビザランもしました。

結局、2ヶ月待っても就労ビザはおりませんでした。
そこで貯金もなくなってしまい、「これからどうなるんだろう」という不安の日々を過ごしてかなり精神を消耗していました。ここでなんとかふんばって、もう一度、シンガポールで転職活動をして運よく内定がもらえても、また就労ビザがもらえなかったらどうしよう、と自信をなくしてしまいました。

こうして、シンガポールに滞在した2ヶ月で内定をもらったのに働くことはできず、日本に帰国しました。この経験から度胸と行動力だけはついたので、東京の小さなベンチャー企業で営業の仕事を始めました。「日本は内定がもらえたらすぐに働くことができていいな」と、海外で働くことや就労ビザを取得することのハードルの高さを実感しました。

現在ではシンガポールでの就労ビザ取得はますます厳しくなっているそうなので、どこかほかの国に再チャレンジしてみたいなと思っています。

Bさんのケース 日本が嫌で海外転職を決めたのに、そこは小さな日本社会だった

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私はタイが好きで、学生の頃から毎年バンコクに遊びに行っていました。だから、将来はタイに移住したいとずっと考えていました。
日本人のいつも忙しそうにせっせと働いて消耗している雰囲気が嫌で、タイののんびりしておおらかな街の様子に癒されました。

趣味でタイ語をずっと勉強していたんですが、全然上手になりません。英語は旅行中の簡単な会話ならできますが、英語よりタイ語が必要な場面の方が多かったです。それでもなんとなく意味が通じて楽しかったんですよね。

さらに、バンコク在住日本人は7万人もいるので、日本食レストランや日系スーパー、日本語でのサービスも充実しています。最近ではバンコク中心部にドン・キホーテもできましたし。

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大学で経済学部を卒業してから、転職エージェントに紹介された日系企業の事務職で働くことにしました。語学、実務経験、専門性、いずれもない私が応募できる求人は限られていたため、バンコク市内ではなく郊外の工場内のオフィスでの勤務でした。何度もタイに行ったことがあり土地勘があったことや、タイ人の友達がいたので、ローカルスタッフとのコミュニケーションに自信があることをアピールしました。
日本人駐在員の仕事をサポートしたり、日本からの顧客に対応して現地を案内するのが主な仕事でした。

タイの日本社会は古くて長く、タイ在中10年以上のベテラン駐在員も結構います。日系企業で働いているためほとんどが日本人駐在員で、しかも日本を離れて長い人ばかり。昭和の体質というか、昔の日本をそのまま再現したような職場でした。

上司より先に帰れない、会社の飲み会が頻繁にあってそこでの話題はグチばかり、土日でも顧客対応があれば上司と一緒に出勤する、みたいなカンジで、常に行動を共にする日本人的な働き方にだんだんストレスを感じるようになりました。
仕事の内容は簡単ですぐ終わるものだったから定時に帰りたかったし、付き合いで参加する飲み会もつまらなかった。でも人事権をにぎっているのは上司だったので、はっきり言えなかったんですよね。

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バンコクで楽しく過ごすことに憧れてタイに来たのに、職場も住居も郊外なので、バンコクまではボロボロのミニバスで片道2時間かかったし。大雨や洪水で停電になることもあったし、生活環境も不便でした。
そもそも、特別なスキルも経験もない自分がいきなりタイで仕事を探すっていうのに無理があったのかな、と振り返ってみて感じます。

タイに移住したい! と熱意だけで決めた現地採用での仕事ですが、ストレスが多い現実にはかなわず、1年半くらい働いて日本に帰ることに決めました。
小さな日本社会で働くのなら、タイでも日本でも変わらないじゃん、それなら日本で転職活動したほうが選択肢が広がるかも、って思ってしまったんですよね。

タイで働けるならどこでもいいなんて軽く考えずに仕事内容や住む場所をじっくり考えていたら、もっと日本で経験を積んでスキルを身につけて準備をしていれば、とタラレバばかりで後悔しても遅いですよね。
タイを旅行しているあいだは何度行っても楽しかったんですが、実際に現地で暮らすと日本人コミュニティがたくさんあって、日本人同士の関係も大変でした。せっかくタイまで来て、なにやっているんだろう、って悲しくなりました。

今でもタイは大好きで、日本に帰ってきてからも何度か遊びに行ってます。旅行で楽しく過ごすくらいが、私にとってはちょうどいいのかもしれません。

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