コロナ渦で崩壊した日常を振り返ってみたら
何気なくつぶやいてみたものの、バズりもかすりもしない安定の低空飛行を続ける当アカウント。
でもかまわない。ユーザーの反応があってもなくても、なんだか無性に気になった。
コロナ渦に飲み込まれる前の、私の暮らしは順風満帆だったかな。
平日は朝起きて支度をして、いつもの時間にいつもの地下鉄に乗って職場に到着。
仕事が終わったら寄り道をしたり自宅で自分の時間を過ごして。
休みの日は友達やパートナーを出かけたり、掃除や洗濯といった家事をまとめてやったり。
コピペで並べたような日々が1日1日と過ぎていって、1週間も1ヶ月もサラサラこぼれて消えてなくなる。
なんだろう。
仕事や予定や生活を保つためのルーティンで毎日が埋め尽くされていて、それをこなしていけば楽しくて充実していたはずなのに。
あの生活に2月か3月には戻るはずだったのに。7月になっても戻る気配はないし、これから先に自宅に帰ってもあの生活には戻れない。
でもそれでもいいや。
感情的になって不安と動揺に押しつぶされいた時期はとっくに終わって、超冷静に現実を受け入れられる今ならそう思う。
前回の週刊noteで書いたのは、自分にとってのコロナ渦って「だいだい決まったルートとペースで走り続けるだけだった毎日をピタリと足止めされて、思考停止から再考のための時間をもらった」みたいにとらえているということ。
これをもう少し時間をかけて、深堀りしたり因数分解してみた。そしたらなんかまた違うものを探し当てた。
走り続けてピタリと足止めされたと思ってたけど、止まったのは私だけの錯覚だったみたいだ。周りをよく見てみると、時間は流れ続けて、止めることも戻すこともできない。
自分にとってのコロナ渦は、日々の生活を重ねるように積み上げていた積み木を
いきなりザザーッと横から全部崩されて、またイチからやり直しだからハイがんばってねって言われたような感覚になってきた。
仕事、生活、人間関係、趣味、気分転換やリフレッシュ。
毎日いろんなことを同時進行で効率よく進めていかないといけなくて、なんだかどれも中途半端だった。
順風満帆なんかじゃ、全然なかった。
それでも生活は続く。
下手でも適当でもとにかく家事をしてご飯食べて仕事して遊んで。 生きてくうえでひとつひとつ積み木を積み上げるように、やるべきこととやらなきゃいけないことを消化する毎日だった。
それがここにきて、リセットボタンに人差し指をかけたように、全てがリセットされた結果、
リモートワークで通勤不要になってどこでも働けるようになって、
行きたくない飲み会や面倒な人付き合いはなくなり、
逆に自分のためだけに使える時間がめちゃくちゃ増えて、
今まで「忙しいから」って後回しにしていたこと、ずっとやってみたことに挑戦できた。
この週刊noteをはじめ、中日夫婦の日常にフォーカスしたアメブロや、収録や編集にもたついていたYouTubeラジオ。
「やりたい、けど今は時間がないからまた今度」の今度がホントにキタコレって確信した。
やりたいと思ったらすぐに始められる時間と環境は十分あった。勢いで始めて、全部ぼちぼち更新を続けられている。
ゼロから積み木を積み直すこのタイミングで、新しい積み木を追加することができたような感覚。
新たな発信や創作に加えて、予想外の脅威が出現して幸せなハプニングも起きてくれた。
母の手作りマスクがTwitter発で完売したり、中学生以来の趣味が再び開花したり。
不安定で常にグラグラと揺れながらも積み上げていた積み木は、あっけなく崩れ落ちた。
だけど、そのひとつひとつはなくなっても壊れてもいない。
仕事はあるし家族は元気だし、帰る場所で待ってくれている人がいる。
ひとつひとつ、また積み直せばいいだけだ。
今度また、積み木を積むように日々の生活を再開するときは、 前回よりうまくやってやろう。
2回目の方がきっとずっとうまくやれるはず。
順風満帆で手放したくない日々、そんなのあるかどうかわからないけど目指してみたい。
コロナ渦で嘆く人や苦しんでいる人がたくさんいる。
もう二度ともとに戻らない、大切ななにかを失った人もいるかもしれない。
人生をコロナのせいでめちゃくちゃにされたと悲しむ人は、たくさん時間をかけて思いっきり泣こうか。
まずは辛くて苦しいドン底はいつくばるような気分まで落ちるのがいい。私がそうだったから。
それからよく見てほしい。
失ったもののすぐそばに、残ったものがきっとある。誰でもなにかある。
そこからまた、残ったものに新しいものを組み合わせながらこれまでとは違った生活を始められたらいいよね。
まず私が試してみるので、そんなのも悪くないかもと思えたらよさそうなところだけ切り取ってパクってみてほしい。