かえりたいよ、あいたいよ
近年にない涼しい初夏が、今年の日本にはやってきたらしい。
近年の日本の夏は知らないけど、こんな気候でオリンピックを開催していたら選手たちにとって最高の条件だっただろうなと、朝と夕方の散歩をしながら考えた。
2020年2月、中国深センに住んでいた私は、新型コロナウイルスの感染拡大の状況で日本に一時帰国を決めた。そのまま自宅に帰れなくなって、無期限延長の日本での生活は半年を越え、未だなお中国再入国の見込みはない。
朝起きてまず思うことは「あ、今日も帰れないんだ」という現実。
現実を思い知るたびに悲しさや苦しみで泣いてたこともあったけど、3ヶ月を超えると人間は適応するらしい。今ではすっかり耐性ができて、なにも感じなくなってしまった。
天気がいいな、洗濯でもしようかな、今日も帰れないんだな、みたいな当たり前さ。
食事が美味しくて生活が快適だとか
季節の移り変わりが美しいとか
最初の頃はいちいち感動していたけれど、同じ毎日の繰り返しはすっかりマンネリと化して、変化と刺激を求めようにも自粛ムードでピリつく田舎町ではおとなしくしているしかない。
どれだけ滞在が長引いて生活に慣れても、それは私にとっての日常にはならない。
だけど、非日常と呼ぶほど特別ななにかがあるわけでもなく、ちぐはぐした毎日だなあとぼんやりと感じていた。
中国人婚約者のヤンくんとは、毎晩wechat のビデオ通話で顔を見ながら会話する。
はじめの頃は1時間以上も他愛もないおしゃべりであっという間だったのに。
半年以上経過した最近は、特に話題もなく、お互い生きてたらそれでよし、みたいな10分程度の短いやりとりで終わってしまう。冷めきった安否確認。
でもまあ無理して話すこともないし、毎日顔が見られたらそれで十分だろう。
1分100円でガサガサと音声が遠い国際電話しか連絡手段しかなかった昔に比べたら、無制限で高品質でしかも無料サービスなんてものがあるだけ素晴らしいじゃないか。
そんな風に前向きにとらえて、自分を納得させていた。
家では読書、Netflix、そしてわずかなリモートワークでの仕事。何シーズンにも渡って人気の海外ドラマを連日鑑賞して、配信中の100話以上を見終えたときにはちょっとしたマラソン完走みたいな謎の達成感があったような。
外出は近所のスーパーとドラッグストアでの買い物と、見慣れた住宅街にある実家周辺の散歩という小さな世界でだらだら暮らす。
悲しいとか苦しいとか、自分で自分を痛めつけてもなんにもならない。かといって喜ぶようなニュースもなくて、穏やかに、無心で、自宅に帰れる日を待つだけ。
それまで、心も体も壊さないようにと、趣味にふけってみたり、苦手な料理や運動にも挑戦してみたりした。
健康維持のためには適度な運動がいいらしいと、散歩を日課にすることに決めた。
いつも決まったルートを歩くと飽きるので、あえて知らない道を選んでは毎日少しずつルートを変えてみる。夕方の散歩は涼しくて快適だけどマスクが息苦しい、けたたましいセミの鳴き声が耳につきささる。
初めて歩いた道で、珍しいお店の前を通りかかった。
中華料理のお店だけど、見た目がローカル式というか、そこだけ切り取って深センにトリップしたような錯覚をおぼえる。
中国人か、中国語が堪能な人じゃないと判読不能な文字情報がずらずら並ぶ。
店頭のボードに大きく書かれた「正宗东北菜」とは、本場の東北料理という意味だけど、この住宅街の一角でその文字に味覚をそそられる人はほとんどいないんじゃないかな。
そして、店名にある「烧烤」と書いてシャオカオと読むのは、中国での焼肉屋みたいなもの。
肉や野菜、串モノを焼いて食べて、ビールをあおって。
なつかしいな。
ヤンくんとよく行ったな。
「烧烤」の2文字が、遠くかすんでいた日常を呼び起こした。
自宅の近所にある有名チェーン店の烧烤屋さん、週末はいつも大行列だった。
中国人も並んで待つのが好きなんだな、と意外に思いながらもヤンくんとお店の外で順番を待つ。
席についたら、まずビールなんだよな。
煙がもくもくの店内で、大きな瓶ビールと小さなコップが2つ、ドンとテーブルに置かれる。
ビールを注ぐヤンくんの待ちきれないといった表情を思い浮かべたら、抑え込んでいた感情がぽつぽつ湧いてきた。
「かんぺえー」
「かんぺーい」
とか言ってコップを持つヤンくん。
何度教えても、大丈夫は「でえじょぶ」になるし、問題ないは「まんでいねい」って言う、笑顔いっぱいのヤンくん。
あの笑顔に、会いたいよ。
散歩中の道端で、ぼろりと涙がこぼれてしまった。
「あ、やばい」と思ったけど、幸い周りに人の気配はなく、外出時には必ず大きめのマスクをつけているおかげで、もし見られてもそんなに目立たないかもしれない。
ひとすじこぼれたその後は、涙も感情も止まらなくなってしまった。
ねえ、ヤンくん。
きみの顔がかすむほど煙でいっぱいの近所のあのお店で、食べきれないほどたくさん頼みたいよ。
私の好きなあの串焼きとか野菜のヤツとか、ほら。
いつもきみが注文してくれるから、大好きなのになんて名前かわかんないじゃん、今度はもう少していねいに読み方を教えてよ。
小さなコップにビールを注いでさ、「かんぺえ!」って聞かせてほしいよ。
当たり前だった日常をひとつひとつが浮かんでくるたびに、あの全部が幸せってことだったんだと思い知らされる。とぼとぼ歩きながら、マスクの中が涙でぐしゃぐしゃになっていく。
悲しいとか苦しいとか、ずっと我慢してたのに、こんなにも溜まっていたみたいだ。考えないようにしていただけで、泣き叫びたい気持ちはなくなったわけじゃなかった。
ヤンくん、ヤンくん。
一緒に過ごしてた時のあの空気も匂いも熱も感触も、スマホの小さな画面越しじゃ、なんにも感じられないよ。
毎日顔を見て話せるだけで十分なんてこと、全然ないみたいだ。
今いる場所がどれだけ離れているかってことを思い知らされて、かえって苦しくなるよ。
家に帰りたいよ。
きみに会いたいよ。
日常に戻りたいよ。
どこかでなにかを間違えたのだろうか。あの時、日本に一時帰国なんかしないで、ずっと自宅に留まっていればよかったんだろうか。
でももしもそうしていたら、今度はずっとふたりきりの生活で不満が爆発してケンカばかりしていたんじゃないだろうか。そんな最悪の事態を回避できたのだとしたら、この離ればなれの生活のほうがマシなんじゃないだろうか。
どうしたらよかったんだろう。
これからどうなるんだろう。
歩きながら、収まりそうにない激しい後悔と不安におそわれながら、今だけはたくさん泣こうと思った。実家にいるあいだ、家族の前では心配をかけたくないから元気にふるまっていようと決めているから。
ありふれた住宅街のやたら本格的な中華料理屋を過ぎてから、気が済むまで涙を流したのはマスクの中が初めてだった。
でえじょぶ、でえじょぶ。まんでいない。
こんな私を見たら、ヤンくんはこう言って笑ってくれるんだ。
そうだよね、大丈夫だよね、問題ないよね。
顔全体が熱くてのどがヒリヒリしてるけど、ヤンくんの言葉と笑顔を思い出しながら、高ぶった感情を少しずつ落ち着かせる。
もう少し泣くだけ泣いたら、マスクからはみ出たところだけごまかして、家族の前ではなにもなかったようにふるまおう。
そして、いつまで続くかわからない繰り返しの毎日をまた穏やかにやり過ごす。朝起きて、読書して、散歩して、趣味に没頭して、その時がやってくるのをひっそりと待つばかりだ。
いつか帰れる日まで、心も体も壊さないように。あのにぎやかな烧烤のお店で、乾杯して食事ができる日常に戻れるように。