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「自分をもっている」ってなんだろう

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先日、noteの記事にこんなコメントをいただきました。りりーの日常さん、貴重なご意見をありがとうございます!
こんな風に直接フィードバックをいただけて幸せだなあと思います。noteのある時代に生きててよかった。

自分をもっていてかっこいい

と、こんな風にたまに言われることがあります。ほ、褒められている・・・?

おそるおそるになるのですが、これには明確な理由がありまして。
たぶん、私、けっこう前から変わっていないんですよね。思い出せるところまでさかのぼると、14歳からこのまんまです。

協調性がない、物事が続かない、忍耐がない、わがまま、おかしい、そんなんじゃ社会じゃやっていけない

九州の田舎で過ごした10代は、呪いみたいにキツい言葉ばかりぶつけられて「こんな私はダメなんだな」とドン底の自己肯定感でひいひいともがいていました。

でもね、あきらめたくなかったんです。どうしても。

自分がやりたくないことはやらなかったし、「つまらん」と思った団体行動からは逃走をはかり(運動会の練習をいかにサボろうかと逃げ出すたびに先生に見つかって取り押さえられる)、嫌なものには嫌だと言った。

自分の中にある明確な思いや感覚を押し殺して、周りに流されまいと踏ん張った、ということでしょうか。

反対に、好きなものはとことんやったし、ワクワクするものに出会ったら不眠不休で打ち込んでました。読書とか、語学とか、趣味のものづくりとか。

それが幸いしたのが、読書は国語に、語学は英語に、学校での勉強にそれぞれ直結したので、協調性がなくてみんなで一緒に受ける授業は退屈だったけど、個別指導の塾で自分のペースでやらせてもらえることには抜群に効果を発揮しました。

その結果どうなるか、国語と英語はトップクラス、社会は普通、数学と理科は赤点ギリギリで、5教科をトータルするとちょうどよく平均値に収まったんですよね。
つまり学校の勉強に関しては、フツーでした。

こんな生徒がクラスにいたら、どうでしょう?
当時は自分で自分のことを「めんどくさいな」と思ってました。もっと楽な方を選んだらいいのに、なんでいちいちカドが立つようなことをするのか。

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こうして10代の私は、「自分をもっている」とも言えるけど、自我の強さや周りと合わせようとしないわがままさ、そこに思春期特有の反抗心やエネルギーが満ちあふれていて、扱いづらくて大変な存在だったろうなと思います。振り返るたびに、穴があったら何度でも飛び込みたい。

「自分をもっている」って、ポジティブにもネガティブにもいくらでも解釈できる。
人は見たいようにしか見ないし、聞きたいようにしか聞かない。

結局、やりたいこととやりたくないことをはっきり区別しながら主張を続けるめんどくさい10代は生きづらくて、でも上手に折れたりゆずったりすることもできなくて、知識と経験を少しずつ身につけた20代も生きづらいままでした。

ラクになれたのは、22歳から始めたバックパッカー貧乏一人旅がきっかけで、28歳になって初めての海外移住でシンガポールに移住したことが決定的でした。

日本では「変わり者」「協調性がない」とラベルをつけられた打たれる杭みたいなものでしたが、これが日本以外だと「日本人」というラベルひとつに収まる。

そして、会社の中の人も友達も、なんなら道端の人まで、みんな主張してくる。ていうかわがまま。
私の主張なんてささやかなもので、仕事では相手にもしてもらえませんでした。

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こうして、「だから私はダメなんだな」「なんでもう少し穏やかに、周りにペースを合わせることができないんだろう」と自分を責めてばっかりだったのが、日本を離れて初めて「私は私のままでいいのかもしれない」と思えるようになりました。

30代になるとさらにラクになりました。田舎の閉じた社会ではなく、行動範囲も出会う人たちも、どんどん広がっていって、見知らぬ街で出会う個性がとんがった人たちとの意見交換はワクワクします。

自分をもっている、という言葉をポジディブに因数分解すると、主張がある、自分軸や自分のものさしで考えて行動する、ゆずれないものがある、他人や社会の風潮に流されない、ということかなと感じます。

この因数分解はネガティブにもできて、わがまま、我が強い、協調性がない、空気読めない、といったところでしょうか。

以前はこのネガティブな要素ばかり指摘されてくよくよしていたんですが、それでもしぶとく生きていたらだんだんポジティブな要素を褒めてもらえるようになりました。

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さらに、私は日本が大好きなんですが、仕事でも普段の生活でも日本人とほどよい距離感で上手に付き合う、ということが全然上手くできないので、やっぱり日本向きじゃない日本人なんだろうな、と海外に出て好きなところを選んで生活するようになってから実感しています。

学校を離れて社会に出たら、正解も不正解も答え合わせをすることはないので、自分の選択や決断、迷ったらワクワクするほう、そうやって人生を進んでいくことを決めました。

「まず3年は耐えないと」「そんなんじゃ社会でやっていけない」「普通のことだよ、わかるよね?」なんて、どうでもいい言葉に流さずに、嫌なことは嫌だとあっさり逃げ出してよかったな、どうでもいい人のどうでもいい意見に惑わされるって人生の無駄だな、と今でもまあそこそこ物騒な表現もするんですが、本人の目の前でバチバチ正論つきつけてやりあうことを避けるようになっただけ、成長したのかなあと思いたいです。

彼にどう思われてるか不安で、とか、仕事辞めたいけど迷惑かけたくなくて、とか相談をたまにもらうんですが、決まって私は「まず自分の気持ちがどうなのか、をはっきりさせてみて」といいます。自分がいつもそうしているので。

迷ったらワクワクするほうを選ぶ。

上手くいくコツは、上手くいくまで続けること。

つらいこともしんどいこともたくさんありましたが、自分のためにワクワクすることだけを選んで進んできて、今のところ悪くはないかもね、よくやったね、というのが30代の振り返りです。


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