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【三線物語 ①】私に咲いた「三線の花」


◇沖縄移住と三線との出会い

沖縄に移住したら、三線弾いてオリオンビールで「あり、乾杯!」でしょう。と勘違いしていた移住当初の2015年。

私の移住先「恩納村真栄田」は今でこそ青の洞窟で有名ですが、約10年前は本当に何もなく、バスも1時間に一回来るかどうかの田舎の村。三線を買う前にまず足となる車を買うべきなのですが。

照屋勝武 三線店
沖縄県うるま市石川
工房の中で三線の竿と向き合う
故 照屋勝武氏

たまたま通りすがった「照屋勝武三線店」。工房で三線の竿を削る、故 照屋勝武氏の真剣な姿を焚き火越しに見て「ここで買おう」と決心しました。

車を買う方が先なのに。笑


◇折れてしまった三線の竿

三線を買って数ヶ月後。あれは忘れもしない風の強い冬の日。
暖房のない部屋で、毛布にくるまりながら三線を弾いていたある日。三線を布団の上に置いた事を忘れたまま、うっかり三線の上に座ってしまったのです。しかも当時は100キロ近い体重。

バチン!!!という乾いた音とともに買ったばかりの三線の竿は真っ二つに折れてしまいました。

無惨に折れた三線の竿
パッカリ

かつて、故 照屋勝武氏が三線について次の様に語ってくれました。

【黒檀が立派に育つのに50年以上】
【伐採してから乾燥20年】
【竿に削り、さらに乾燥10年】
【人一生分の時間がかかるからこそ、人の心に響く音色が出るんだよ】

それが自分の不注意で竿の80年の歴史が一瞬にして幕を下ろしたと思うと、涙が溢れ出て止まりませんでした。

翌日泣きながら 故 照屋勝武氏のお店を訪れると、信じられない事を言ったのです。

「大丈夫だよ。これくらいならすぐ直るよ」

それから約1ヶ月後。驚きました。
折れた場所が全くわからない位完璧に、竿を継いでくれたのです。
しかも釘などの金物を一切使わず。
ただ、勝武氏はこう言いました。

「本当は継ぎ目が全くわからないようにする事ができた。
だけれども、自分も一応名のある三線の作り手だから、あえて継竿(折れたた竿を修繕した竿の事)と分かるようにわざと木の色目を変えたけれどゴメンね」

「それから修理代は要らんよ。ただ、もう折らないように三線のケースだけ買って行きなさい。」


◇私に咲いた「三線の花」

見事に蘇った三線 @星のや沖縄

あれから9年。
三線を毎日弾いた訳ではありません。
時にホコリを被ることも、弦の糸が緩んだままの事もありました。

それでも様々なタイミングで私の沖縄移住生活に彩りを奏で、たくさんの人の縁をもたらし、まさに私の心に「三線の花」を咲かせてくれたのでした。


◇一度は折れた三線の竿がつなぐ縁

三線が繋いでくれた大きな縁の一つに、【安冨祖流/小波津直也先生】との出会いがあります。小波津先生は、私の職場【 星のや沖縄】にて「宵の座」での三線の演奏やアクティビティで「島の手習い」を担当されております。

また、小波津先生は沖縄県内外での三線の演奏や指導だけでなく、【琉球恩楽旅団】というエイサー隊もプロデュースされるなど、沖縄文化の普及と継承に生涯を捧げていらっしゃっています。
現在私は小波津先生に弟子入りし、コンクールにむけ稽古に励んでおります。


◇肌で感じる琉球文化@星のや沖縄

そんな小波津先生ですが、昨年の旧盆には【星のや沖縄】で道ジュネー/エイサー演舞を行なって頂き、【圧倒的非日常感】と【ディープな琉球文化体験】を多くのゲストの皆様にお届け致しました。

小波津先生(一番右) @星のや沖縄
手前はスタッフ


われわれ【星のや沖縄】のブランドプロミスは【圧倒的非日常感】をみなさまにお届けする事。
読谷村の自然海岸1.5キロに沿った広大な敷地で、暮らす様に滞在出来る全ての【その瞬間が特等席】です。

沈みゆく夕陽に心打たれながら、ふと聞こえてくる三線の音色。
それは暮らす様に滞在しなければ体験できない、圧倒的非日常感です。


いかがだったでしょうか?

もし三線に触れる機会が有れば、是非弾いてみてください。
琉球の風と共に、三線の優しい音色があなたの心にも小さな三線の花を咲かせてくれるに違いないでしょう。

それではまた


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