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嗜好を再考する-1【Yard Act】

近年、(おそらく仕事で受け持つ取材やレビューの案件が起爆剤になってこその結果だろうが)自分史上最もポストパンクに傾倒している。とここではっきり明言するのも、今までTLの流行を観測した上でシューゲイザーやハイパーポップを「好き」だと言っていたのだけど、それは本意的な「好き」ではなくてアルゴリズムで生成された機械的な「好き」だったのでは?と最近になって自覚するようになったからだ。
その上で、今ここで改めてはっきりと私が好む音楽の傾向について頭の整理をかねながら書き記しておきたい。ということで今回はUK/US生まれの音楽ジャンル、ポストパンクのとあるバンドについて。

ポストパンクといえば、2020年以降、サウスロンドンのバンドを中心にムーヴメントを牽引する存在が頭角を現すようになった気がする。Black Country, New RoadやDry Cleaning、Squidなどがその代表格といえるだろう。

中でも私が特に注目しているのは、先日、今夏に日本で開催されるフジロックへの出演も決まったYard Actだ。

Yard Actは英リーズを中心に活動する4人組。先述した数組のバンドを含め、今サウスロンドンで注目を浴びる多くのバンドが20代前半のニューカマーだが、彼らは各々に様々なバンドに属してそこそこのキャリアを積んだ上で結成された30代バンドだ。それゆえ、彼らの音楽には他のポストパンクを鳴らすバンドでは再現しがたい説得性があるし、社会的風刺を孕み皮肉の利いたスポークン・ワードには声量由来以外の覇気がある。音楽性はポストパンク界のレジェンドとして崇められているジョイ・ディヴィジョンのように仄暗さを匂わせるものもあれば、彼らと同年齢でデビューした「踊れるギター・ロックバンド」をコピーに掲げるフランツ・フェルディナンドに似たディスコパンク的でアップビートな楽曲も併せ持っており、ただ複雑かと言われればむしろ親しみやすく、その多面性とメロディ構築の器用さにまず脱帽する。

仕事、結婚、出産、様々なライフスタイルを経験する中で「音楽」を人生に取り込んできた彼らだからこそ歌える一節として、昨年1月にリリースしたアルバムのタイトルトラックになっている「The Overroad」から以下の歌詞を見て欲しい。

近頃のガキは自分が苦労しているって思っている
俺みたいに鉄の肺を味わったわけでもないだろうに

SNSでは10〜20代の若手バンドが名を連ね、若さと新鮮さを武器にして振りかざせばおのずとヒットしファンを増やしていく…という図式が散見される。そんな現代のテンプレートを少しのイラつきと共にユーモアを孕みながら風刺的に描いた赤裸々な歌詞には胸を小突かれるような感覚に陥ったし、フロントマンでありパパでもあるジェームス・スミスがマイクスタンドの前で語気を荒立てながら早口でまくし立てる姿を目に焼き付けたい、と素直に思った。

また同アルバム収録の「Rich」では裕福な資本家が身をもって語る資本主義の虚しさや行き詰まった姿を描きながら現代社会に生きる人々への警告のような楽曲で、単に音楽が好きとか嫌いとか、トレンドにあやかってジェンダーがどうとかを歌う(もちろんそのような楽曲も大好きなのだが)若者たちの風潮とは一線を画すソングライティングに彼らの魅力があると信じてやまない。

公演3回目を終えたところで迎えたパンデミック期やギタリストの交代…とデビューから早々に局面も迎えたが、見事打破できた脚力は彼らが元々別バンドにいながら友人として関わりを持っていた頃から築いてきたパートナーシップが介在しているからこそのことには違いないはずだ。2021年のロックダウン期に公開されたThe state51 ConspiracyがDIYと共同で贈る配信番組での収録ライブの映像においても、約20分間のパフォーマンスの中で時折画面の中からこちら側を扇動するようなアグレッシヴでキレのある演奏を我々に届けてくれた。

先述したとおり、今年は日本で彼らの演奏が観られるとのことだが、楽曲の制作ペースも比較的コンスタントらしく、つい早く「次の」をくれよ!と思い疼いてしまう。ただ、Yard Actは音楽を「ウケる」ために行っているのではなくて、ただ社会の本質を捉え、伝えるべきを不特定多数の人々へ届ける手段として行っている。そういう点で、私は遠い国のニューカマーであるYard Actに心奪われ、早々にフジロック行のチケットを購入するのだった。

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