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贅沢な病気 7 自分の気持ちがわからない

今でも大事な選択をする時に思い出す
女性医師の言葉がある。

 歳をとり仕方なかったで納得できる?
 どれか1個リスクを取りなさい
 100パーセント納得して自分で選びなさい

当時100パーセントの納得なんてあり得るか?
そう思っていたが、終わってみれば
不思議と100パーセント納得できていた。

どれか1個リスクをとること
何を手放すかを考えると
優先順位がはっきりしてきて
譲れないものや望むことに
集中し到達しやすくなる。

それと自分で選ぶことは
当たり前に出来ているつもりでも
実は出来ていないことがある。

他人の気持ちや考えを
自分のものだと思い込んでいる場合だ。

もちろん同じなら問題ないが
本当はそう思わないのに
まるで自分もそう思うかのように
錯覚していることがある。

私の場合は子宮をとったあと
喪失感に悩む女性がいることを
自分もそうなるだろうと思いこんでいた。

むしろ子宮をとったのに
喪失感に悩まなかったら
女として何かが欠けているような
落第なような気さえしていたかもしれない。

《卵巣があれば医学的に何ら問題はない》
同じ女性であるお医者さまから
はっきり聞けたことは凄く有り難かった。

卵巣や女性ホルモン
更年期症状などの単語は知っていたが
私は、その関係を正しく理解していなかった。
ネットなどで体験談などを読むと
喪失感について書かれているものが目についた。

女のひとは
子宮を取ったら喪失感に悩む
それほどまでに子宮は大事なもので
最後まで子宮を残したいと思うだろう…
そんなイメージばかりが出来上がっていた。

だけど実際の自分は
生理や体がきつくなり
全摘に対する抵抗感は薄れ
医師の説明や自分の体感から
全摘の方が安全だと感じていた。

なのになかなか選べなかったのは
大きく二つの理由がある。
一つ目は、イメージした女性の気持ちを
自分の気持ちだと錯覚していたから。

そして二つ目は、人生について考えたから。
本当に子供のいない人生で良いのか?
本当はどうなりたかったんだ?
あらためて、いや、子宮筋腫になり
子宮全摘を目の前にようやく考えた。

本当はどうしたい?どうなりたかった?
これから何を望んでいるの?
自分の気持ちや考えなのに
正直に感じとることは難しい。

できない言い訳をしたり
はなから望んでいないふりをしたり
他人の考えや一般的にこうかなで片付けたり
見ないふりや気づかないふり
パイみたいに生地が何層にも重なり
本当の気持ちが隠れてしまう。
今も書きながら言葉にしながら
ようやく気づくこともある。

実は、最初に浮かんでいた言葉がある。
MRI検査後の結果説明を受けた時
医師から未来予想図を聞いた時だ。

『私は子供を持たないんだと
 今きちんと選べたら
 今後の生き方が楽になる…』

なぜか頭の中に浮かんだ。
直感なのかと思う。

内側ではわかっていた。
子宮全摘を子供を持たないことを選ぶと
だから未来予想図を聞いたとき
涙が流れたのかもしれない。

それは本当は愛する人と
子どもに囲まれたかったから
それが叶わないと実感したからで
《きちんと選ぶこと》が今ある選択肢で
クリアにしておいた方が良いと感じていたと思う。

病気になり子宮をとって可哀想に…じゃない
歳をとり妊娠できず仕方なく…じゃない

私は自分で選んだんだ
自分で選んで生きてきたんだ
その感覚を強く求めていたように思う。






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hoshi.nobo
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