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憧れの女性

 大事なひとが亡くなった。人生において数えきれない人に会うことができるが、自分を大事にしてくれるひとはどれくらいいるだろうか?親やパートナー以外で、こんなに深く関わり思う事はどれだけあるか?

 20代初めにお会いした憧れの女性で、初めてお見かけしたのは麻布十番のバーだった。その女性の何もかもが素敵でカッコよくて憧れた。親しくなり可愛がっていただき、いろいろなお店や集まりや、ご自宅での蕎麦会や年末のフグ会、箱根や京都…数えきれない場所に連れてっていただいた。

 私にとって、社交とは何か?人と仲良く楽しく暮らすにはどうしたらよいかを教えてくれた方だと思う。思いやりや心のくばりかた…ご実家が代々続くご商売をされていて、生粋の江戸っ子のお嬢さんだと思う。

 田舎育ちの私には、かけ離れすぎて見るもの聞くものすべて新鮮だったが、親しくなればなるほど憧れて、最初はもちろん華やかさに惹かれたかもしれないが、お着物もさらりと着こなし颯爽としてカッコよかった。着物だけは着慣れていないとごまかしがきかないというか、一本筋が通ったようなキリリとした…あの美しさはどう表現したら良いかわからない。

 そして何よりもずっと惹かれ続けたのは、明るく楽しく優しく心が溢れていた。ある時バーで男性が、愛って何?って彼女に質問した。やはり麻布十番に古くから住みご商売されてる方で、彼女は「愛は情(じょう)」と迷わず答えていた。私は当時の彼女の年齢をはるかに超えたが、自分なりの答えを未だに持てないし、近づくことはできない。あらためて情(じょう)の意味を調べてみたが、「気持ち、こころ、思いやり…」

 もし、私が同じ条件下に生まれたとしても、おそらく同じような人間関係を構築はできないだろう。
人付き合いは、使う言葉や振る舞いの毎日の小さな積み重ねが大きな信頼を作り、今を作る。誰もが羨むような恵まれた環境に生まれても、日々の努力と魅力がなければ維持も発展もできない。

 ダメなときも受け入れてくださる方だった。がんばったと褒めてくれた上で、これはしちゃいけないとか線引きも明確だった。その判断と実行力がなければ、人付き合いもお商売も難しいのかもしれない。だけど限りなく優しくて一緒に泣いてくれた方でもあり、損得抜きに人のために動く方だった。感謝と思い出は尽きない。

 亡くなったことが信じられず、友人に電話して話を聞いてもらった。慰めてくれた友人が教えてくれたことを書きますね。

人は2回死ぬ
1回目は肉体の死
みんながその人のことを思い
お話ししたり悲しんだり泣いたり
心の中で生きている
2回目の死は忘れられたとき
誰も話さなくなったとき…
永六輔さんがお話しされていたそうです。

私は忘れないし
もし自分が死んだとしても
魂が残るならずっと忘れない。


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