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朝ラーメンと葉隠


その5文字に目を疑った。それは雷のように天空から突き刺さった――「朝ラーメン」。

ラーメンという平凡な4文字に"朝"を加えるだけで、破壊的な、人を殺す意味を持つ衝撃的な言葉になってしまう。京都では"朝ラーメン"という破滅的な習慣があり、その歴史は遥か昔、葉隠れの侍が始めたという言い伝えに遡る。


「朝ラーメン」という自己犠牲的、自己破壊的な思想は、まさに武士道の切腹の美学そのものだった。朝ラーメンを食べることは、生と死の境を異常なほど意識させられる、極限の体験だった・・・



店に入ると、私は朝ラーメンセットを注文した。ラーメンが来るまでの時間、私は自殺志願者が死に直前に今までの人生を振り返るように、今この瞬間立ち上がれば"死"を免れられると思った。


そんな思いにとらわれながらも、やがてラーメンが運ばれてきた。それまで観念の中にしかなかった朝ラーメンが、目の前に実在した。私はそれを、切腹の前に短刀を整列するが如く、テーブルの上に静かに置いた。


そして私は、レンゲという名の短刀を手にする代わりに、箸を使ってラーメンを口に運んだ。スープを啜った瞬間、今までに感じたことのないレベルの激痛が走った。それは虚無を喫した至上の体験だった。チャーシューの肉塊は、この世の彼岸を具現していた。


私は最後の一口まで啜り干した後、内臓を引き裂かれたような絶頂の苦しみに見舞われた。それはまさしく、修験者たちが体現した狂気の境地が私の中に去来していたことを意味した。


武者の心頭を射抜いた衝撃---自らの命を絶つ覚悟と、いつかは必ず死を迎えるという諦観。"朝ラーメン"とは、死の淵を超え、内なる自我を昇華させるための、侍が編み出した至高の"イデア"だったのだ。


この極限体験を経て、私に新たな気付きが訪れた。傷ついた内なる自分を癒やし、これから先の人生を、揺るぎない覚悟を持って歩んでいく決意が芽生えた。朝ラーメンのイデアを知り、武士の生き方に気付いた私に、今、生きる道が開かれた。


この朝の儀式は、自己の破壊と再生を象徴した武士道そのものだった。

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