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自分を守るということ
今年の春・夏までを振り返ってみるに思うこと。
星読みに関心を寄せる方たちからのご相談をとおして。
世代も境遇も違うけれど、みなさんの日々の活動域から一枚、見えないレイヤーをめくると、「自分を守るということ」についての関心が高まっているように受けとめている(そうでない方もおられます)。
自分を守る。
そもそも、その気構えはどこから? どのような必然で? はそれぞれなので、端っから断定などできないのだけど、
「守り」をほんとうに暮らしのなかで実践していくとしたら、チャートを立てて星読みすることとは別に、というか、それよりも以前に、こまめに意識してること、あるナと予感がよぎっていたのだ。ちょっと忘れかけているので、ここで一度まとめておく。
さいしょに分けておくと、自分の持ち物を守る、という話ではない。持ち物を守るのなら、見張ったり、そもそも人目から遠ざけたり、鍵かけたり番犬を迎えたり金庫に仕舞ったり、管理やケアをプロに頼んだり、もっと大掛かりなら警備会社やSPと契約を結ぶ、とか? とにかく外へ外へ、だれかの協力を仰いで、の対策になるのだろう。
ここで話したいのは、そういう外側の防御/プロテクトではなく、内側から、ひとりでもできること。
ひとつは、内側をスッキリさせておく、ということ。
これが簡単なようでいて侮れない。なんか身軽になれて、さっと動きやすくなって、居心地よくなる。それだけでお守りみたいじゃない?
それを支えてくれるのは、素直でオープンでいること。
たとえば、好きなモノ、コトを「わたしはこういうのが好き!」って言う、うれしかったら「うれしい!」って言う、ハグしたかったらハグする、おいしかったら「おいしい!」って言う、好きな人に「好き!」って言う、「ありがとう!」を伝える、そういうようなこと。伝えなくても、自分でちゃんとわかってるだけでも、かなり気分は穏やかだ。
前向きでポジティブなことから羅列してみたけど、かたや、ネガティブな面に対しても、同じくらい素直に、自分にだけはオープンでいられたら。
嫌なものを嫌がる自分を「そっか」と受け容れる。理由がハッキリしていてもしていなくても、なんでもかんでも承らずに、断りたいときは断る。体調や気分を無視しすぎない。やっちまったことを、あとから考えてよくなかったと思うのなら反省して、相手がいるならごめんって言う、言えないならごめんって思っとく。けれども、あのときやっちまった自分は自分で仕方なかったという余地も残しておく、許せないなら、せめて許せない自分を許して時間が経つのを待つ。
オープンと言ったって、ふだん様子見の人がいきなり「俺、伝える!」というハードルを、練習もなしに飛び越えにいかなくてもいい、まずは自分で自分の素直な気持ちをわかっておくだけでも、だいぶいい。相手に苦言を言わねばならないときは感情は交えず、それなりのTPOを選び、相手の反応に過度な期待はしない。それよりも「伝えようとおもったことを伝えられたんだ、自分は」という試みと勇気にフォーカスして、あとのことはどうあっても粛々と受け容れる。
逆に、こじれる方向まっしぐらになりやすいのは、パニック状態で動くこと。自他ともに注意。「…これはいったい?」と、とても折り畳むのが難しく感じるアツアツの火種みたいなものは、だれかに聞いてもらうのもありだけど、まだ動転してるときは鎮火どころかますます燃え広がったり飛び火したりして危険なので、たいていはある程度気持ちが落ち着いてからのほうが、いろんな意味でよかったりする、、、(火種持ち込まれがちなアセンダント水サイン、ほっとけない断れないライツ火サインほど、とっさの一言ならぬワンクッション差し出せるように内的なトレーニングしておきましょうか)
そして、素直でオープンって、どこで? だれにたいして? という側面もあるとおもう。アウェイでもいきなりそうできるのは、もともとの性格によるか、かなり自在にできるようになった人だろう。どちらさまも、身近な家族や友人知人の前でそうあれたら、あるいは血縁でなくてもそういう場がひとつでもあったら、それはとてもありがたい足場になるからどこかに見つけて確保しておけたらいい、とおもっている(占星術的にいうと10ハウスか4ハウスかみたいな話でもあるよね)。
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自分を守るー?素直でオープンー? それどころじゃないのよ、つぎからつぎへと忙しくて!! というドサクサを掻き分けてイキイキされているならなによりだ。そのはずが、なぜかどこか重いままなら、いろいろ抱えすぎなのだろう。観念していっこくらいは荷物下ろすか、好ましいようにアタマの切り替えを。弱音を撒き散らしながらも、なんだかんだ最後までやり切ってしまうドラマを創ったっていい。
忙しくなくたって、これといったやりたいことがなくたって、日は昇り日は沈み、食事・睡眠を摂らねばヘトヘトになるし不機嫌になる、適当に身体を動かさないと、それはそれでヘトヘトになるし不機嫌になるのだから、余計な心配など取りにいってる場合ではなく、あるものからどんどん成仏させて。どんどんつぎへと自分を運んでゆく(すべて善きことへと運んでゆく流れも信じて)。
なので、
気持ちのうえでの心配事をできるだけ小さくしておく。
軽くなって動けるようになったら、おうちのなかや持ち物も「スッキリさせておくかー」、とか、「あれやっとくかー」あるいは「もうやーめた」とか、自然となぜかそうしたくなるなんらかの「訪れ」がやってくる。
そうなったら、「自分を守らなくては」という気構えからはだいぶ遠ざかっているのではないかな。
どんなことがやってきても、不安からはどうにか逃れて、「そのうちフェードアウトしてらあ」とかなんとか、一呼吸置いてからだとあれこれ対策も見えてくる。そもそも深刻になりすぎないのが正位置だとおもってるけど、そこから転がりおちることも、ありますわなーー。そんなときは、「いやいやいやいや… なんでなんで? ちょっと、まってまって?」と気付いて、また正位置にもどれるように。
星の一葉 ⁂ ほしのひとは