出せる身体|野口晴哉著『風邪の効用』
さいきん思うこと。
『病気や不調はわるいものではない、カラダの歪みや不要物を追い出そうとする生き物本来のチカラによるもの』
去年くらいから、チラチラと目にする考え方(発信元はいろいろだ)。
正しいかどうかは、ほんとうにはわからない。「見たんか?」と言われればハッキリと見てはいない。けど共感できるし、そうなんやろな、と思う。
進んで病気になりたい人なんていないと思うけど、なるときはなる。
病気になって困るのは、第一に心身が「イタイ、ツライ」だと思うが、それ以上に、なるべく病気になりたくない、避けたいと思ういちばんの理由は、もしかしたら「イタイ、ツライ」よりも、身心が癒えるまでのあいだ、必要なだけ安静にしてられないことに困ってしまうからなのではないか。
(社会的、経済的、対人的に、、、締切のある仕事、ほっとけない乳児・幼児がいる、病人・老人などの御世話がある、または代わりにそれらにあたる人を確保しづらい、できないなどで本人が安静にしている時間を取りにくい、取れない、、、コマル!)
いま、二人体制のお店で働くわたしとしては、そうだ。
安静にしておく時間は、やはりその間にできる何かとの引き換えだから。
仕事や、やらなくてはならないことだけじゃなく、ものすごく楽しみなものを見逃す恐れだったり、その間、仲間といっしょにいられないつまらなさ、進行していること、成し遂げたいことの遅滞への焦り、、、などなど。
健常なときを引きずったままでいると、体調を崩している間には、そういういろんなものまで付いてくる。
治るまで好きなだけ休んでていいって状況がいつでも調うのなら、やりたいことをちょっとのあいだ置いておけたら、病気というものを、実態以上に恐れたり遠ざけようとしないで、むしろ自然にありがたく受け入れられるようになるんではないか。
ちょっとぐらいの不調なら、治りが遅くなっても突っ走るほうが好み、という個々の選び方ももちろんありで。
健康、ってそういうのぜんぶかも。
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2023年、師走。
久しぶりに風邪を引いて思い出した、昔のわたしのブログ(ちょうど十年前の記録だ)。
このときと今と、風邪についての考え方は変わっていない。自分だけではなく、家族の身に訪れた各種諸症状とその対策、経過を観察する機会を得たのちとなっては、実感は増しているといえる。
ほしのひとは
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