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【序】成長に痛みを伴う場合、伴わない場合
成長と痛みはセットなのだろうか。
というか、痛みを自発的に、もしくは行きがかり上、さいしょは不本意ながらも観念して受け入れることになると、結果的に成長したり、なにかを乗り越えたりして、つぎのステージが始まってしまう、ということなのだろうか(いやそりゃ、「始まったぜヒャッホーーイ!!」と喜べたらそっちがいいんだけど)。
スクスクと伸びる植物や、日に日に成長する赤ちゃんなんかには痛みを結びつけづらいので、たぶん、ヒトはどこかの段階に到達したあとは、それ以降も成長を続けようとおもったら、なんらかの「手出し」や「工夫」など、注ぎ込むエネルギーの獲得に知恵を絞らねばならないようになっているのかな。あとは、これまでと同じだとどうも不便だゾとか、なんだか物足りないゾ、というシグナルを受けとることになるとか。
このところ何を観ても聞いても読んでも、そんなことにつながってゆく。
年が代わってから、社会心理学者の加藤諦三先生がお話しされたりパーソナリティを務めておられる動画を、はじめはちょくちょく、今はわりかし頻繁に視聴するようになり、ヒトの悩みの根源と、それを乗り越え変化を起こすためのベースにあるものについて、想いが至るようになった。
悩み事の内容や背景はヒトそれぞれのようでいて、ある一定の傾向があるようだ。そして、そこから脱するときの心構えや通過に必要な覚悟というのにも共通点があるのだと、番組を観ているうちに感得するようになり、今回の投稿のテーマにも収斂する。
自分自身も、占星術の鑑定や、プライベートなお付き合いをとおして、悩み事を聞く側にまわることがある。詳細はもちろん、その間柄だけに秘めることで他に口外はしない。ただし、個人を超えたところで通底するエッセンス(悩み事の成り立ちとか、それを構成する考え方や受け取り方のクセや傾向)は、個人を特定しないカタチで、なんらかの偏りを均すための情報としてまとめられるかなとおもっている。
テレフォン人生相談を聞くことで、ケーススタディが進んで、輪郭が明確になったみたいだ。
そのヒトが難儀におもっていることについて、考え方や受け取り方を変えることができたら、そこには変化や成長、そもそも悩みが悩みでなくなる心待ちが待っているのだろうな、ということも含めて。
変化の前に、ハッ、と違いに気付くときや、自分の状態を客観視してそれを引き受けるとき、見えないところで痛みが走ることがあるのは、わたしにももちろん身に覚えがある。なんだろう、その痛みって。物理的な痛み(コケたとか、何らかの疾患からの痛み)が回復するときにも、何か起こってる?
ということで、自分のなかでスレッドを立てるがごとく、【序】として投稿する。
タイトルに、成長に痛みを伴う場合、伴わない場合、と入れた。そうしたほうが書き出しやすかったからだ。けれど、さらに自分が知ろうとしていることに近づけると、成長は痛みだけでできているのだろうか、ということになる。
成長は何によって養われる?
◯感情のエネルギーと物理的なエネルギー
ということだと今はおもっている。
そのなかのマイトピックとして
◯喜怒哀楽を感じ直す能力
◯「待つ」時間を引き受ける
◯火星をこじらせると起こりがちな現象(占星術をとおした見方)
◯天井が見えたらレーンを変える/変えさせられる
◯気変わりは自然なこと、逆らわない
◯目新しいものとすでに持ってるものからのフィールド選び
◯痛みに強いという特性の有り無し
◯山っ気の有り無し
…といったあたり。
ただし、エネルギーといったときに、それが何を指し示すか、連想するか、については、これまでの常識や暗黙の了解はいったんリセットして、今の流れやルールを積極的にキャッチし、価値を再評価してゆく必要があるとおもっている。臨機応変さというか、どこ、あるいはだれのところに情報を取りにいくべきかというか。
それはなぜかというと、時代の切り替わりがほんとうに進行しているなと感じているから。
地の時代と風の時代ではあんなことやこんなことが変わる、と異口同音に言われているけれど、例えのサイズがブカブカしてるというか自分の身の丈には合わなくて、それらがどのようなことなのか、具体的にはあまりピンと来ていなかったところ、じっさいにどのような変革が進行中なのか、そのスピードはどれくらいか、を実生活を通じ肌で感じたり、SNSの小窓から覗いたりできるようになってきた。なので、エネルギーの傾け方、注ぎ込み方の変化にも着目するのがよいだろうとおもっている。せめて自分の身のまわりの世界だけでも。
今日のところはまず、思い浮かんでいることをインデックス的に羅列するにとどめる。もうそれだけで気が済んでしまいそうだけど笑 いっこずつ書けたらいいね、自分。
書いているうちにコレとコレは同じことだなとか、より正確にはこうだなとか、今なりにはこうだとか、ユラユラと幅を持って進むだろう。
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キャンプめし、きれいな景色、愉快な同行者たち、
楽しかった~!けど、寒かった…
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このように写真も撮ってくださった
同行者のKさんへの感謝でいっぱい!!
しかし寒かった…
ほかにも何度か雪シーズンの山に出かけてきて
よくわかった、自分は寒がりで、
こういうときの思い出の9割は「寒かった」になる。
以降、このテのことしてない。
知らないって、それだけで燃料になりうるよ。
ノリから離れてひとりでいる、
ひとりで進むという強さがあれば
話は別だったかもしれないけれど。
星の一葉 ⁂ ほしのひとは