就活ガール#94 企業側からみた社内恋愛
これはある日のこと、キャリアセンター前のカフェで友人の美柑と話していた時のことだ。いつもは元気に話しかけてくる美柑が、今日は黙ってオレンジジュースを飲んでいる。
「どうした、元気ないな。」
明らかに落ち込んでいる様子の美柑に声をかける。美柑は喜怒哀楽が分かりやすいタイプの人間だが、こんなにも落ち込んでいるところは今まで見たことがなかった。いつもだいたい、笑っているか怒っているかのどちらかである。
「お姉ちゃんが結婚するんだって。」
「おめでとう。」
「別におめでたくないわ。」
「なんでだよ。」
「お姉ちゃんにはもっといい人がいるからよ。」
「相手の人、どんな人なんだ?」
「同じ会社の先輩なんだって。特段良いところもないぱっとしない奴よ。そもそも会社の後輩に手を出すなんてろくな奴じゃないわ。」
「もう会ったんだ。」
「まだ会ってないわ。まぁ色々話は聞いてるけど。」
会っていないにもかかわらず、ずいぶんひどい言われようだ。でも、いつもよりも言葉に元気がないのは本気で落ち込んでいるからだろう。前から薄々気づいていたことであるが、美柑はいわゆるシスコンだと思う。ちなみに美柑のお姉さんには俺も2度会ったことがあるが、優しくて綺麗な人だった。強気で騒がしい美柑とは正反対で、落ち着いた大人でという雰囲気の人だ。
こういう話を聞くとき、どういう風な態度で臨めばいいのかイマイチよくわからない。あまり聞きすぎるのもよくないかと思い、話を逸らすことにした。
「社内恋愛って多いのかな?」
「最近は減ってきてるみたいだけど、少なくはないわね。特に田舎では全然珍しくないらしいわ。」
「東京と違って出会いが少ないだろうしなぁ。」
「うん。でもお姉ちゃんは東京に住んでるし、なんでわざわざ社内で選ぶのか意味が分からないけどね。」
「仕事上で世話になったとか?」
「後輩を世話するのは先輩の仕事でしょ。それも給料に含まれてるんだから。」
「まぁそうだけど……。」
美柑のいうことは正論だが、実際は優しい先輩とそうでない先輩がいるだろう。優しい先輩に惹かれるというのはいかにもありそうな話で、気持ちは理解できる。
「せっかくだから社内恋愛についていろいろ教えてくれないか?」
このままではラチがあかない気がしたので、はっきりと美柑にそう告げる。いつも通り話しているうちに元気が出てくるということもあるだろう。
「何が聞きたいの?」
「禁止にしてる会社もあるよな。」
「ああ、そうね。大っぴらには禁止にしてなくても、発覚したら部署異動ってのはよくある話だわ。」
「不正防止だっけ。」
そのようなことを以前うっすら聞いたようなこともあったので、言ってみる。
「ええ。仕事っていうのはだいたい2人1組なのよ。例えば誰かが別の会社に業務上必要な文房具を発注したとする。そうすると、その発注先が適切かどうかを別の誰かが確認するの。」
「例えば、発注した人の親族の会社から不当に高い値段で買っていないかとか、そもそも発注していないのに発注したことにして、浮いたお金を横領していないかとかか。」
「そんな感じね。だから、発注する人と確認する人の2人が結託すれば悪いことができちゃうでしょう?」
「たしかに。」
「だから企業は、社員同士が個人的に強いかかわりを持ちすぎることを良く思っていないのよ。大きい話になってくると3人以上の確認とか、他部署の確認が必要なケースも多いけど、数十万円とか数百万円規模の話とかだと二人だけでできちゃうから。」
「数百万円って企業からしてみれば大したお金じゃないけど、個人からすると大金だよな。そんなお金が簡単に横領できるならやってしまう人もいるってことか。」
「そういうことね。それに、直接現金には関わらなくても結託して悪いことをすることはいくらでも可能でしょう?」
「食堂の米をパクったりとか?」
「いや、それは違うと思うけど。」
俺のしょうもないボケに、美柑が少し笑う。
「で、バレたら異動させられるのって、たいていの場合は立場が弱い方だよな。」
「そうね。部下とか後輩とか。今回の話でいうとお姉ちゃん。」
「それもイラっとするわけだ。」
「そうよ。自分のキャリアを強制的に変えさせられるのはどう考えてもおかしいでしょう?」
「だなぁ。どういう経験を積むかとかちゃんと考えてたんだろ?」
「当たり前じゃない。だから、社内恋愛はバレないようにやるのが鉄則なのよ。お姉ちゃんもそうしてたみたいだけど、だからって全然関係のない私にまで隠さなくてもいいのに。」
美柑が今度はイラっとした顔になり、語気を強める。なるほど、今まで秘密にされていたことが悲しかったのか。たしかに美柑はお姉さんの勤務先とは関係ないけれど、性格的にいろいろ口うるさく質問されたりしそうなので、隠したくなる気持ちはなんとなくわかる。
「もう会社にも言ってあるのか?」
「今度言うらしいわ。キャリアについても、ちょうど仕事がひと段落してきたところだからいいタイミングだろうって。」
「そうか。それにしても、会社は社員同士仲良くして欲しいのかして欲しくないのか分からないな。」
さっきの話を聞いて思ったことを言う。会社によっては社員同士のつながりを促進するために、飲み会の補助費などを出しているところもある。
それに、最近はオンラインでの業務が中心となったことで社員同士の雑談が減り、鬱になる社員も珍しくないらしい。企業側もその対策には熱心で、社員同士が雑談できるようなチャット部屋を作ったりとか、オンライン飲み会を推奨してみたりだとか、上司と部下の面談を増やしたりするなどいろいろ対策はしているようだ。
その一方で、企業は社内結婚にはあまり前向きではないということに疑問を持つのは当然だろう。
「企業だって、別に社内恋愛や結婚をして欲しくないわけじゃないわ。むしろ社員が結婚してくれた方がいいと思ってる。あくまでも一般論だけど、結婚したり子供ができると一生懸命働く人がいたり、新たなライフステージに進むことで視野が広がって業務に好影響がでたりするでしょう。それに、よくわからない人と結婚されるよりも、社内結婚の方が企業にとってのリスクも少ない。」
「極端な話、反社の人とかと結婚されたら企業にも何か不都合なことが起きるかもしれないしなぁ。」
「そういうことね。それに人事だって鬼じゃないから、社員が幸せに結婚すること自体は良いことだと思ってるのよ。別に特別大喜びするわけでもないけど、普通に仲間が幸せになることが嬉しいっていうその程度の感想でしょうね。」
「まぁそうだよな。俺だって別に大して興味がなくても誰かが結婚したって聞けばおめでとうって思うし。」
「ただ、それとは別に企業として必要なリスクヘッジはしないといけないって話よね。横領とか、情報が筒抜けになったりとか、そういうガバナンス面は基本的に性悪説で動かざるを得ないから。」
「なるほど。」
美柑の言葉に頷く。大企業になればなるほど、画一的な対応が必要になるのは仕方がないことだろう。
「企業にとって社内恋愛や社内結婚って他にどういう意味があるんだ?」
「意味?」
「意味っていうか、何か気を付けることとか。」
「うーん、そうねぇ。社内恋愛に限った話ではないんだけど、社員が結婚すると女性はそろそろ妊娠かなと思われるわね。」
「なるほど。長期離脱があるかもと思われるわけだ。」
「そうね。まぁ実際は妊娠が発覚してから実際に産休で離脱するまで数か月は余裕があるんだけど、企業によっては長期プロジェクトに配置しないようにするところもあると聞いてるわ。」
「そう考えるとやっぱり女性は不利だな。」
「そうよ。その辺も腹が立つポイントね。まぁでもそれくらいじゃないかしら。基本的には社内結婚は歓迎される。ただ、リスクヘッジのために部署異動させられるっていうそれだけの話よ。」
「わかった。ありがとう。」
「いいえ。こちらこそ話せて少しは気分が晴れたわ。音彦も少しはモテるようになって、さっさと彼女作りなさいよ。」
「おう。」
いつものモテない批判が出てきたところで席を立つ。美柑の調子はまだ全快とはいえなかったけれど、少しは元気が出てきたように見えた。最近は社内結婚のリスクの高さが一般に認知されてきたことに加え、マッチングアプリなど社外で人と出会うチャンスが増えたこともあり、社内結婚は減っているそうだ。とはいえ、横領や情報漏洩は企業側がリスクコントロールに敏感にならざるを得ない部分ではある。就職後の話を今から考えるのは気にしすぎという気もするけれど、企業がリスクに敏感というのは採用選考においても共通することだろう。そんなことを考えながら、一日を終えるのだった。