親と死別したら戦いも終わる訳ではないのだと気付かされる。 三つ子の魂なんとやらで、それが私という人間の基礎であること。 嫌われ離れていかれるのが怖くて人の顔色を伺う。全部私が悪いと考える。 好かれようなんていうのは高望みであって、 嫌われるのが否定されるのが怖い。
消えてなくなってしまいたい。
漫才「鬼退治」 2022.01.08
楽してんじゃない?言葉探さないで。 20221105
「春日これからオードリーにまたピークが来ると思ってんの?」 「いや、来るよ」 「43歳」 「そら来るよ。何年後かわからんけど。それはもう予想もしない形でね」 「馬鹿言ってらぁ」 20220903
オードリー若林「生きづらさ」の答え。あるべき論から自由になる(2020.10.20 Tue) インタビュー・テキスト by 黒田隆憲 https://fika.cinra.net/article/202010-wakabayashimasayasu
今月に入って感想やらあれこれメモに残してるけど、どれもこれも有料、クローズドの場で見聞きしたことへのメモばかりで、どうしたって内容に触れるのは避けられず。こういう場に書き残せないのよね…。 あちこちオードリーオンラインライブはとにかく強かったことだけお伝えしておきます。
「歳をとったらわかるよ」「歳をとればだんだん楽になってくる」 そんなの説明になっていないよ。と悩める若い人が言った。 思い返してみると友人達も30歳を前後にモヤモヤとしたものが頭をもたげる人が多かったように思う。 私も26歳くらいから病むほど生きることに苦しんだ。 でも本当に、言葉では説明し難い、年齢を重ねたら「脱力」する感覚を覚えるときが来るのだ。そういう出来事が不思議と起こる。 例えば私の場合。 30歳を過ぎたある日、兄が亡くなっていたという知らせが届いた。 身元
あれだけテレビやって、毎週ラジオでフリートーク出して、更にnoteにエッセイ3本投下してるって…出力が止まらないな……それだけ留めてる事が多いってことか…。はぁ…すげぇな……。こんな事言ったら偉そうだなって言われるかもしれないけど。感心だよね。
父のことを書くことが多いけれど、 亡くしたからといって、お父さんごめんね。とか、本当は大好きだったんだよー!なんて言うつもりはない。 ごめんね、と思ってるのかも、好きだったと思ってるのかも分からない。 私たちはこういう形でしか親子で居られなかった。それは何故なのか、どうすれば良かったのか。 あの日からずっと自問自答の日々で。 答えなんて出ないのにね。もう居ないのだから。 ある若い人と親しくなってからというもの、その影響を受け、何故、どうして、と考える癖がついた。 誰かと
父は全盛期の石原慎太郎とナベツネを足して二で割らないような男だった。
めぐる季節の彩りの中 一番寂しい月
先日長々と、若さの苦しみ、歳を重ねることで脱力を感じ楽になってきた、ことを書いて結局消してしまったのだけど、 この記事にあることが言いたかったとです。 …と人の言葉を借りる(苦笑) https://www.danro.bar/article/11780981
人になんと思われようと構わない。 そんな覚悟が私にはまだないようだ。 嫌われるのが怖いし、人の悩みで悩むポーズをとる。 吹っ切れるのはいつの日か。
昨夜は精霊流しでした。 およそ1800の舟は無事お帰りになったようです。 これで一連のお盆行事もひと段落。 精も根も尽き果てました(苦笑) よく頑張りました、私。 良く撮れなかった写真。
昨夜は父の初盆の接待でした。 特に頑張ったわけではないけど、今朝起きたら体バキバキ!緊張してたからなあ(苦笑) いくらでも眠れそうなくらい疲れが残ってます。 今夜は精霊流しです。