絵本作家になるには?とインターネットで検索すると今でも… 「出版社へ自分の作品を持ち込む」 「出版社が主催する絵本コンクールで入賞を目指す」 「コンクールに入賞すれば作品がそのまま出版される可能性がある」 なんて出てきます。 こんな答えしか出てこない時代が何年、いや何十年続いているのだろう。 ぼくが実際に絵本作家になろうと決意し、様々な情報を集めていた頃からなにも変わっていない。 ということは少なくとも2〜30年前から同じことが言われている。 では、それが実際に現
昔から武井武雄という童画家が好きだった。「自分は児童へ向けて絵をかいている」と、自分自身を画家ではなく童画家と呼んでいたのがカッコ良かった。 ぼくのルーツでもある長野県塩尻市。隣の岡谷市は武井武雄出身の地。そこにイルフ童画館はあって、墓まりの帰り道よく立ち寄った。そこで彼女が武井武雄の弟子だと知った。 彼女を調べると、長沢節が創設したセツ・モードセミナーに通っていたと記載があった。世代は違うが同窓生だ。同じ場所の匂いを知っているんだと嬉しくなった。 5年前、横須賀美術館
絵本作家として10年目、長屋宏和さんと絵本をつくりました!!出会いは3年前。 彼は元レーサー。子どもの頃からF1レーサーを夢みて、努力し頑張り続けて生きてきた方です。 しかし、22歳のときにレース途中の大クラッシュで脊髄損傷となり車いす生活になりました。 初めて長屋さんと会ってお話を聞いたとき、長屋さんはそのときの話を笑いながらしてくれました。 車いす生活となったときに、きっと…いや絶対に辛く苦しいことはあったはず。 それでも、「とにかく命があって良かった」と。
ここ数年、絵本作家としてナンダカンダと慌ただしい日々を過ごしています。 新しくお仕事させて頂ける場所も、新しくお仕事させて頂いている人も、たくさん増えました。本当に感謝です。 でも正直に言うと「これ、絵本作家の自分がやらないといけない事かな?」と、感じる様な事もあるんです。 しかし、どれも絵本作家として活動しているからこそ頂けているお話。 それがやりたい事でも、なんだかやりたくないと思う事でも、とにかく全て「やってみる事」にしています。 それこそ今の時代、やりたくな
ぼくは基本的に「講演会」のおご依頼は断らせて頂いています。 まぁ自分で言うのもなんですが、結構おもしろい人生を送っているので(笑) ちょくちょくお話は頂きます。 絵本作家でぼく以上におもしろい活動や生き方をしているひとがいないので(少なからずぼく自身はそう思っています)、絵本作家としての生き方みたいな話をして欲しいなんて依頼も頂いたりします。 基本的にはお断りをしているのですが、お断りしない場合もあります。それにはいくつか自分の中でのルールがあるのですが…それは教えませ
以前もおしゃべりしましたが、ぼくは絵本作家としてだけではなく落語家 絵書家筆之輔としても活動しています。 絵書家筆之輔と書いて「えかきやふでのすけ」と申します。 落語を演っているときは本名ではなく芸名を使っています。 どうして芸名を絵書家筆之輔としたか? それはごくごく簡単です。 ぼくは絵本作家です 。 筆で絵を書いている。 だから絵書家筆之輔。 そのまんまです。 なんの捻りもありません。 でも気に入っています。 ぼくは絵を「かく」事を「書く」と表現します。 「描く
ぼくは絵本作家として落語も演(や)っています。 落語を演るときは芸名を名乗っています。 絵書家 筆之輔「えかきや ふでのすけ」と読みます。自分で言うのもなんですがとても良い芸名です。 今回はシッカリ「落語」・「芸事」についてしゃべろうかと思います。 ぼくが芸人としても活動している一番の理由はただひとつです。 日本一の絵本作家になるため決まっています。もぉいつもいつもそればっかりです。ぼくは、常にどうしたら日本一の絵本作家になれるかを考えて生きています。 落語を演って
今回は「演者」についておしゃべりをしてみます。 「絵本作家やってます」と言うと、いつも家で絵ばっかり書いていると思われます。 実際はそんなこと全然ありません。いや、他の絵本作家さんはそんな事あるのかもしれませんが。 ぼくは実際、家で絵ばっかり書いてはいません。絵本や紙芝居を書くときは集中して書きますし。毎日ダラダラと絵を書くなんてことはしない。 では日々ぼくは何をしているのでしょう? 答えは簡単。 しゃべっています! …簡単に答え過ぎました。 でも、本当にしゃ
よく「いろんな事をやってるんですね」と言われます。 絵本を書いて、紙芝居を創って、落語も演る…子育て広場をプロデュースしたり、美術プログラムの教室をしたり、気がつけば出版社の社長もやっている。 まぁ確かにいろいろとやってます。 だから「そうなんですよ~いろんな事が出来るんですよ~」と返します。 だって本当だし。 自分自身でも本当に色々な事をやっているなと思っています。芸達者だなと。器用貧乏だなと。 …ほっとけ。 様々な仕事をしているお父さん達と毎月対談したり。
あっという間に今年も後わずか。 年末が近づく度に毎年思う事があります。 「昔ってこんなに一年が早かったかな~」 ぼくみたいな若輩者が「昔」なんて言葉を使ったら笑われるかもしれませんが。 それでも子どもの頃はこんなに一年が早く感じなかった。なんでかな? 子どもの頃は、初めての経験や体験ばかりだから、一年の中にもっと楽しい事や面白い事がたくさんあったんだろうな。きっと。 お陰様で絵本作家として毎年本当に様々な場所から口演のご依頼を頂きます。 基本的には室内でのイベントが
ぼくは腹をくくって絵本作家になろうと決めたときから「日本一の絵本作家になるにはどうしたら良いか?」を、いつも考えています。 一番初めに考えたのは「今いる絵本作家さん達とは違う道を歩かないといけない」という事。 好きな絵本作家さんはたくさんいるけど、憧れる絵本作家さんはいない。 いや、憧れてちゃ駄目だというのが正しいかな。日本一の絵本作家になりたい人間が今いる絵本作家さんに憧れてちゃ駄目でしょ? だからこそ他の絵本作家さんが歩いた道は歩かない。そう決めました。 絵あが
ぼくは絵本作家になる前に10年間公共図書館で働いていました。 児童担当としておはなし会を毎週やっていた時期もあります。 赤ちゃんのための初めての絵本を紹介するブックスタートという活動も長年担当していました。 絵本10,000冊以上 もともと絵本作家になるために、絵本がたくさん読みたくて図書館で働きだしたので、10年間で絵本や児童書は合わせて10,000冊以上は読んできました。 だからぼくは、絵本作家になるまでに 一番絵本を読んで 一番絵本をひとに読んで 一番絵本に対し
絵本作家の保科琢音です。 ほしなたくおと読みます。 絵本を書いています。 紙芝居を創っています。 たまに、落語も演っています。 夫であり。 父親でもあります。 絵本作家になる前は公共図書館で10年間働いていました。図書館で働いてたらたくさん絵本が読めるだろうと考えて。絵本作家になるために図書館で働いていました。 児童書や紙芝居の選定。 おはなし会の開催。 ブックスタート活動。 おかげで、「絵本作家になるまでに日本一絵本を読んできた絵本作家」になりました。 2013年に