見出し画像

21世紀の森と広場。

久しぶりに会った兄に
「21世紀の森に行けば?」と言われた。
なんの話からそうなったのか、一瞬で忘れるほどその響きが強烈にわたしの頭の中で反芻する。
「21世紀の森って……竪穴住居があるところ?」言いながら、断片的でぼやけていた記憶のなかの竪穴住居がありありと浮かんだ。
「そうそう」
兄はなんてことないように相槌をうつ。
「子どものころ、よく行った場所だよ」

なんで忘れていたのだろう、と思うし、
なんで覚えていたのだろう、とも思う。

時々、子どものときの記憶を辿った。
いつから縄文時代やインディアンが好きだったのか。
ミイラやエジプトを好きになったのと、アラジンを好きになったのは、どっちが先なのか……など。

そういうことを考えていると、父が話してくれたある日のことを必ず思い出した。
「むかしむかし、人々は獣を狩り、火をおこして、洞穴に暮らしていてね……」
父が語りだすと、その様子が鮮明に浮んだ。
まるで自分が、突然その時代に放りこまれたようですこし怖いような、うっとりするような不思議な感覚におちいった。

そして次にぼんやり浮かぶのは、竪穴住居の映像だった。
きっとこれは現実に見た景色だと思っていても、ここがどこだったのか……ずっと分からないでいたけれど。
兄の言葉を聞いた瞬間に、ようやく全てが結びついた気がした。


子どものころに行った場所とはいえ、竪穴住居を覚えていたとはいえ、
他の記憶はほとんど残っていなかった。
行く前にHPを確認して、正しくは「21世紀の森と広場」という名前だと知り、広大な敷地のなかに松戸市立博物館があることを知り、ここの屋外展示として竪穴住居があることを知った。
もしかしたら博物館に入らなくても屋外展示は観られるのかも知れないけれど、せっかくなので博物館にも入ってみることにした。

そして当日、最寄り駅の新八柱駅から15分ほど歩いて目的地へ。
松戸市立博物館の常設展と企画展を見られるチケットを買った。
企画展は「異形土器」、タイトルから何やら気になる……

松戸博物館HPより。

「異形土器」は、煮炊きで使うものではなさそうな用途不明とされている土器の総称のようだ。
変わった形をした土器なのに、似たような形が東日本の各地で発見されていることから、土地同士の交流があったことの手がかりになるのでは、と考えられているらしい。

ポスターを見たときは何に見えるかわからなかったが、小ぶりの異形土器の実物を見たとき、わたしは「お香入れみたいだな」と思った。
横に空いた穴から煙が出ていそうで……、蚊取り線香のようにもみえる。

異形土器のなかには火が使われたあとが残っているものもあり、形によっては手持ちのランプとして使用したのだろうと分かっているものもある。

きっと現代人より視力が良かったとは思うけれど、やはり暗闇では心許なく手元の灯りを求めたのだ、と思うと、どんな時代でもわたしたちの感情や生活に必要なものに大差はないのだなと感じた。
なんだか遠い縄文時代さえ、生々しい。


常設展も、おもしろかった。
古代の遺物はもちろんのこと、それと同じくらい印象的だったのは「団地」が館内に再現されて展示してあることで。
外観を見たときはおもわず立ち止まってしまった。


これが館内にどーんとあるので、結構びっくりする。


室内はこんな感じで……狭いけど落ち着く。
他の部屋もレトロな雰囲気で再現されている。


団地というものができた当時を再現しているとあって、内装だけなら「懐かしい」感じがして展示してあっても違和感がなかった。けれど、玄関をでて団地の階段部分まで再現してあったので、これはさすがに驚いた。

というのも、わたし自身は団地に住んでいたことがあったので、あまりのリアルさにぎょっとしたのだ。


団地の階段。この独特な薄暗さも再現してある。

博物館なのに、人のお宅にお邪魔した気分になった……。


館内を一通り見終え、いよいよ屋外展示の竪穴住居へ。

木々に囲まれて静かに鎮座する住居を見て、胸がじーんとした。
記憶のなかでは、うっそうとした森の中にある竪穴住居だったのだが、子どもの低い目線からはそう見えたもの不思議じゃなかった。
(実際に木々に囲まれているし)

竪穴住居の中を覗くと階段がある。
1mはなさそうだけど、かなり地面を掘ったところに床があって、階段がなかったら出入りに苦労しそうだ。

意を決して中に入り、ぐるっと見渡す。
わたしの記憶に残っていたのは竪穴住居の外観の景色だけだったので、内部は新鮮な気持ちで眺めた。
中央にある炉には火がついていないが、燻された木の香りが漂っている。

案内の方によれば内部は20畳ほどあるそうで、この近くの発掘現場で発見された住居跡をもとに復元したそうだ。
もちろん建物上部については、だいたいこのようなものではないか、という予測にはなるが、柱や炉の位置は同じなので実際にこの大きさのものが存在していたということになる。

しばらく内部を見つめた。
頭の中では、発掘現場で働いていたときのことや、子どもの時にここに来たのかという想いが忙しく駆け巡り、妙な気分だった。

でも、なんだか居心地はいい。
それはどこでも感じるわけではないので、この住居の木の組み方なのか、広さなのか、天井の高さなのか床の土の感じなのか……なにかわからないけど、そう感じるものがあるのだろうなと思う。

断片的でも、記憶にきちんと残っていたことに納得がいく。
子どものわたしは、きっとここでたくさんの空想をしたのだろうな。


屋外展示の竪穴住居。


周辺をすこし歩いてから帰ろうと思って屋外展示場をでると、ちょうどウォーキングしていた男性とすれ違い、声をかけられた。
彼にはわたしが迷っていたように見えたのか、話しの流れから敷地内の池まで案内していただくことになった。

池までは里山のような景色が続き、梅や桜の木、ちょうど見頃のコスモス、そして蓮池などがあり……見どころがたくさんある憩いの場所になっていた。

「花見のときは多くの人がくるし、普段でもお弁当持って来る人が多いよ」と男性に教えてもらう。たしかに、こんな風景のなかでご飯を食べたら気持ちがいいだろうな……と感じた。

池、といっていたのでどんなものかと思っていたけど、しっかりと舗装されていて広場のようになっていた。座れるところがたくさんあり、人々があちこちにいて、みんな思い思いに過ごしていて気持ちが良さそうだ。

景色に見とれていると「じゃあ、ここで。会えてよかった」といって、男性は去っていった。
その颯爽としたした後ろ姿をみて「旅は道連れ、世は情け」という言葉が思い浮かぶ。

余力があれば、もっと歩いてみたかったけれど……
久しぶりに一人で出かけて疲れたので、ベンチに座り、すこしだけぼーっとして帰ることにした。

ほとんど覚えてなかったけど、自分が小さい頃に来た場所を巡ってみるというのもいいもんだ。
また来る機会があれば、その時は池の周辺を散策してみよう。



松戸博物館で買った自分へのお土産。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?