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絵を描き始めたきっかけ
絵を描くきっかけを作ってくれたのは最初の夫だった。
彼も私と同じように生い立ちが複雑な人で養子だった。
韓国に産まれながら、フランスに養子に入ったが養父母とうまく行かず、7歳から施設で育っていた。
でも大人になってからはその養父母といい距離で付き合いがあるようだった。
私たちは木が多い茂る森の奥に住んでいるその義父母に何度か会いに行った。
犬猫、鶏、そしてヤギやヒツジやロバや馬やポニーがいるお家だった。
「ブリジットバルドーに憧れているんだよ」
と、本当か嘘か元夫は言った。
元夫の義母は画家だった。
そして彼女が私に絵を描くことを後押ししてくれた。
彼女は農夫や漁師を顔を描かずに表現していて、キュビズムの影響を感じられる素敵な絵を描いていた。
彼女は私に画布をくれ、筆と絵の具を貸してくれて、彼女のアトリエに一人にしてくれた。
私はアトリエにあった雑誌の中からオペラ歌手の女性の写真を一枚選び出し、それを描いてみることにした。
そして初めて絵を描いた。時間を忘れて没頭して描いた。
その日以来私は9年間絵を描く毎日だった。
パリ14区のモジリアニや、ピカソや、マチスが通ったというアトリエに登録して、毎日ヌードデッサンをしに通った。
そして画布にアクリル絵の具で絵を描くようになった。
最初は具象の絵を描いていたけれど、人体の筋肉や筋が作り出す影やそのコンポジションに注意が向くようになって、キュビズムに興味が出てきた。
ピカソ美術館に行ってピカソやブラックの絵の模写をしたりした。
ポンピドューセンターの会員になって、近代現代アーティストの作品に多く触れるようにした。
その当時の私の画風はアトリエの講師によるとオゾンファンに似ていると言われた。
色々な画家の自伝を読んだり、アトリエの仲間と展覧会に行ったり、絵について語り合ったりするのは本当に楽しかった。
アトリエで日本では九州の高校で美術の教師をしているという男性と知り合い、彼の知人でパリのボザールの教授をしている日本人女性とジャコメッティーの展覧会を見た後に二人の感想を聞いたりしてとても勉強になった。
九州の高校教師とその友人の美術評論家には私の成長がとても早いと言われた。子供の時から望んでいた絵の世界に没頭できて、ミルクを欲しがる赤子の様に飢えていたから。求めていたものを手に入れられたことが幸せだった。
でもいつからか、観る人の評価というものがきになるようになってきた。
そして父の言葉「絵を描くことは職業ではない」という言葉に惑わされるようになった。