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ずっと消えない不安

はじめに

今回はリアルの星影と活動者としての星影として感じてる不安に関して色々思っていることを書いていきます。
「いつもの明るいけど根が真面目の星影」が見たい人にはちょっと闇が深く感じるかもしれませんが、今の星影が感じていることを色々まとめようと思います。

「活動者」としての不安

素直に思っていることが言葉にできなくなること

これに関しては、随分前から感じていて、自覚するようになったのはかれこれ2023年7月のことです。
いつものようにマジラジオの企画を練ろうとしようと思ったときにその不安の前兆らしいものに気づいたのです
「自分の話したいことが全く思いつかない…」
「このままじゃ、本当に伝えないといけないことが何も伝えれない…」
このままだと企画倒れする可能性もあると考えた時にゾッとしたのと、このままだと企画を楽しみにしてくれているリスナーを悲しませてしまうと思い、何回もテーマをどうするかとか、話す内容をどうするかとか考えていたのですが、テーマは何とか決まっても、結局ライブ配信当日のしかも配信をやっているときに何を話すとか全部アドリブで考えていたのです。
自分は役者として誰かを演じているときのセリフにアドリブを付け足すのは得意なんですが、その容量でここ最近のマジラジオをやっていくうちに感じるようになったのは「これは本当に自分が伝えたかったものなのか?」ということです。
たまに、「これは本当の自分の言葉じゃなくて、皆の望む『星影零』というものの言葉なんじゃないか?」ということです。
もし、自分の言葉で何も伝えれなくなったら「オリジナルの星影零」というものが無くなってしまったって自分で感じてしまうので、これだけは何としてでもこの不安をなくしたいと思ってます。

「愛」が募りすぎて「哀」になること

これを読んだだけでは一般の人なら「どういうこと?」と感じたり、「どこで韻踏んどんねん!」っていう反応を示す人もいるだろうが、これに関しては星影が「配信者」という活動を始めてからずっと抱えてたものになります。

元々、星影自体(以下、僕)は歌や絵、動画、文章など何にしても「ものを創り出す」ということが好きだった。
その裏で弱虫で泣き虫な僕でも「面白く楽しく活動したい」「少しでも自分の『好きなもの』を見てほしい」「好きなものを素直に『好き』と胸を張って言えるように」という思いで今まで活動者というものを始めてから今まで頑張ってきた。
だけど、最近の僕はそれができなくなってきてるんです。
学業や研究、Selastageの裏方が忙しいということもあるが、今回の場合はそれとは別になります。
それは、好きなものを『好き』と伝えようとしたら、頭によぎるのは「炎上するのではないか?」ということと、「自分の『好き』を伝えたら人が離れていくのではないか?」という考えです。
この考えをするようになったのは僕が18歳のときです。
ある人と付き合い始めた時、この人からは「何があっても付き合ってることを隠せ」と言われ、その約束をずっと守ってきました。
だけど、この人と別れるとなった時に何が起こったかと言うと「付き合ってることを隠せ」と言われていた理由がその付き合ってた人が別の人と付き合っててそれがバレるとまずいからっていう理由でした。
しかも、その事実があって周囲の人その事実を知っていたのにも関わらず相手の話しか聞かずに僕の話は1つも聞いてくれなかったのです。
それが故に僕の「好き」っていう感情も、誰かに何かを伝えるということに躊躇するようになった。
その案件から少し時が経って20歳のときには別の人と付き合ってたが、この時は「付き合ってることを公表する」という方針になった。
ただ、僕のこの時の不安は「また理不尽に相手に捨てられるかもしれない」という考えがずっと頭の片隅にあった。
相手は自由奔放で自己中な性格で、僕としては頼りたくても頼れない状況もあり、僕の考えを伝えたとしても話を聞いてくれないという環境がずっと続いたこともあり、周囲に相談したこともあった。
ただ、僕は皆の話を真剣に聞くことはあっても、僕が周囲に相談したとしても大体の人は他人事だと思って誰も話を聞いてくれなかったこともあり、次第に僕は相談をすることを辞めた。
そして、この頭の中にあった考えが物の見事に的中したことと、相手が僕の個人情報や名誉毀損などを違うVTuberさんやVライバーさんにしたこともあり僕はその人と別れる選択をすることとなった。

すごく余談ではあるが、何をどうやったら僕の体重(54kg)にプラス30kg盛った体重を言うやつがどこにおるんや!?ってなるし、そもそも人の顔写真を勝手に他人に渡す行為は犯罪でアウトだし、今どきの小学生でもこれぐらいのことは知ってて当然で、なおかつ僕も相手も配信者ってことを忘れたんかねと真面目に相手に対してブチ切れたが、相手は「全部僕が悪いんだ!」みたいな感じで話にならなかったし、なんならその情報を鵜呑みにしたVTuberさんやVライバーさんが僕のデマ情報をばらまいてることも知ってます。
真面目にこの人のせいでという言い方をしたくはありませんが、この人のせいで一時的な味覚障害、睡眠障害、人間不信、吐血の再発、不整脈の悪化など色々体調的にも悪化しました。
もう二度と歳が近い人とは付き合わないようにしようと改めて思いましたね…

余談を挟みましたが、以上のことがあり本当に好きなものを言おうとすればするほど言えなくなるというようになりました。
文章で書くことはいくらでもできるんですが、いざ好きなものに関して話そうとすればするほど吐き気がするようになったんです。
それが故に「愛」が強すぎると僕の中では「哀」に変わるようになっていったのです。
好きな人に対して「好き」という度に自分の過去のトラウマが全部復活して哀しくなることもあって、「好き」って単語自体が言えなくなってきている。
せめてもの行動で示そうものなら、「また拒絶されて捨てられるのではないか?」という考えで押しつぶされそうになる。
それが故に僕は今ある人間関係にとどまらず、新しい恋にも、新しい人間関係にも全て距離を置くようになってしまった。
話をしたところで誰も聞いてくれない、行動で示しても避けられて、最終的には離れていくだけという状況が続いたこともあり、僕は本当に好きなもの、何かを新しく好きになることができなくなりつつある。

今の僕は誰かに「愛」を伝えられても「哀」にしかならない。
僕の中で「愛」が大きすぎても「哀」になるだけ。
だから、「愛」が募りすぎて「哀」になるというわけである。

本当の僕はいつになったら誰かに受け止めてもらえるのか…
今の僕にはわからないや。

やりたいことがわからなくなったこと

これに関しては「活動者」と言うより、「人」という部分においてわからなくなったらヤバいかもしれないという感じです。
わからなくなったことについては全部で3つあるので下にまとめときます。

僕がわからなくなったらヤバいこと3選

1.「何のために歌うのかわからなくなってしまうこと」

どういうことかと言うと、今までは色んなボカロ曲だけではなく、Jpopも洋楽も関係なく、歌の技術が上手とか下手とか関係なく、「伝えたいもの」を僕の声を通して「伝える」ということをメインに歌ってましたが、4年間活動を続けてきて言われる言葉はあまりにも酷いものでした。
例えば、「もうちょっとこうすれば上手になれるよ!」とか、「女子なんだから女子らしい歌を歌ったらいいのに」とか、
「可愛い歌を歌ってほしい!」とか、「キャラのイメージにあったものを歌え」とか、「自分の方が星影より上手く歌える!」とか、よく分からないことを言われるばかり…
これが100歩譲ってちゃんとプロやボイトレ講師が言ってくるならまだ理解はできるが、言ってくるのは僕と同じ素人ばっかり。
僕は確かに、本当の素人と比べると役者経験あるので話は別だが、それで生計が立てれるほどのプロではないです。
だからといって、ガチマジの一般ド素人の人に指導されるほど僕はそこまで歌のクオリティーは落ちてないし、そもそも僕は歌が上手い下手でやってる訳ではないので口出ししないでくれと思う。
感想は求めるが指導やクレームまで受け付けてる訳では無いということを真面目に知っててほしい。
何回でも書くが、観客席に居続けたいのなら感想は言ってもいい。ただ、評価をし始めたらそれはそこら辺にいる評論家や批評家と変わらない。
僕もこういうことを書いてるから、何かしらに対しては評論家や批評家と言われても過言ではないが、僕としてはそういう言葉を言われ続けた結果、「歌いたいものが分からない」という状況になってしまったことを知っててくれると嬉しいです。

ただ、全く歌が歌えないって訳ではないので安心してください。

2.「何のために絵を描くのかわからなくなってしまうこと」

どういうことかと言うと、僕自身は元々アナログ(特に水彩画)で風景画をメインとして絵を描いてきた身です。
じゃあ、なぜ僕が人型及びVライバーさんなどの絵を描くようになったのか。
それは「僕自身の実力で人との繋がりを築くため」である。
人との関係を作るのは他人ではない。僕自身である。
それと同時に、僕の「センス磨き続けるため」である。
僕は正直、絵のクオリティーなんてものはない。
つまり、僕の絵は僕の直感と宇宙から降ってきたものを僕のセンス1つで描かれているのである。
僕の立ち絵だけでも、その描いた時々によって画力も変わるし、色合いも、立ち絵の目つきも変わる。
それ即ち、僕の絵は「生きている」ということである。

だけど、世の中にはこんな言葉を言う人もいるんです。
「もうちょっと画力上げたら?」
「もうちょっと絵の投稿頻度増やせばいいのに。」
「何で、無償でやらないの?有償ならいいや。」

僕からすれば、それができたら苦労しないということ。
僕がこの上記3つを言われた時に返す言葉はただ1つ。
「どうするかは僕自身が決めることだ。」

それ以上の言葉は言わなくても伝わるだろうと思ってた。
だけど、中にはこう言ってくる人もいるんだよ。
「貴女のことを思って言ってんのに何で聞かないの!?」

僕からしたら「この人はどこから目線で言ってるんだろう…」としか思えないんですよ。
先程から書いてる通り、僕は「僕自身の力で人との繋がりを築くため」に僕自身のペースで絵を描いてるわけである。
人に言われてしてたらそれは僕自身の意思でやってることにはならないし、そもそも、僕のペースを邪魔するんじゃないと思ってしまう。
こうなってしまったら最後、絵を描いても感想がマネジメントに近い発言しか出なくて描いた実感がなくなり、僕は描くことを辞めてしまうのです。

お願いだから、僕のやることなすこと否定するのやめて…
僕は皆のお願いを全部聞けるほど器用じゃない。
あと、僕は人間であって神ではない。
どんな言葉を言っても許されるわけじゃない。
僕だって傷付くときぐらいあるんだよ。
「愛だって、毒だって、同じもの」とは聞いたことあるけど、
愛ゆえに毒をぶつけていい訳ではないことを知っててほしい。

3.「何のために生きてるのかわからなくなってしまうこと」

これは、活動者以前に人としてわからなくなったら終わりだと僕は思っている。
なぜなら、「生きる」ということは何かしら意味があって生かされていると思ってるから。
そうじゃなければ、僕の人生なんぞ本来なら7歳までに死んでもおかしくなかった運命である。
(長くなるので割愛しますが気になる人は見てみてね。)

【余談】僕の生い立ちと死ぬはずだったルート

【僕の生い立ちと死ぬはずだったルート】
0歳→出産の際に母体の中で心肺停止。(奇跡的に復活)
2歳→身内に高所から突き落とされる。(奇跡的に助かる)
5歳→ストーブの上に置かれて全身火傷。(奇跡的に助かる)
7歳→彼岸花の球根を食べさせられる。(奇跡的に助かる)
※本当の家族とはここで死別してしまい、叔母に引き取られる。
※この時期ぐらいから巫女と役者の仕事も本格的に始まった。
7歳→学校の上級生の集団からフルボッコにされる
(命の恩人のAに助けられた)
8歳→父の車が崖から転落しかける(奇跡的に助かる)
9歳→老人の車が前方不注意&踏み間違えで突っ込んでくる
(あと30cmズレてたら当たってた)
10歳→当時の担任にいじめられて精神的に病んで死にかける
(命の恩人のAに再び助けられる)
11歳→父親が前方不注意で僕を車で轢く事件その1
(なぜか車の方が凹んだ)
12歳→父親が前方不注意で僕を車で轢く事件その2
(誕生日にやられて、この時もなぜか車が凹んだ)
13歳(春)→バスの運転手の前方不注意で轢かれかける
(何か危ないと思って避けたが、田んぼにドボンした)
14歳(春)→地元の高校生(自転車)の前方不注意で轢かれる
(自分は軽傷だが、突っ込んできた相手が何故か重症)
14歳(夏)→命の恩人が殺され、精神的に病んで死のうとした
(学校の先生達から全力で止められた)
15歳(春)→トラック(荷台に重機あり)に轢かれかける
(この時も田んぼにドボンした)
15歳(秋)→唐突に意識不明になって倒れる
(その時の担任の声が聞こえて目が覚めた)
16歳(全日制高校の頃)→体育の授業に強制参加からの貧血で倒れかけて死にかける。
(奇跡的に保健室に鉄分ジュースがあって助かった)
18歳→母方の祖母に味付けされてある湿布を肉だと言われ、強制的に食べさせられてアナフィラキシーショックで死にかける。
(奇跡的に助かったけど、そのあと1回家出した)
18歳(冬)→セラステ発足(当時、運営サポートなどの裏方にいた。)
(この時から若干、睡眠不足で倒れかけてた)
19歳→5徹して体育の実習受けてる途中倒れて救急搬送
(奇跡的に過労だけで終わったが、あと1回徹夜してたら心臓の負荷的に死んでたらしい)
20歳→【事故まみれなので箇条書きで書く】
(この当時は地元である広島から、福岡の北九州にいた)
・41℃の高熱がある状態なのにも関わらず、その当時付き合ってた彼氏から買い物をお願いされ、その買い物の行き道で車に轢かれる
(自分も突っ込んできた相手も無傷だが、その時の彼氏は自分が車に轢かれても心配はしてくれなかった)
・その当時付き合ってた人と自転車で一緒に買い物に行ってた帰り道で、その付き合ってた人の前方不注意で後ろから突っ込まれるわ、転けて車道に出てしまい、トラックに轢かれかける
(ここで、右手の小指と薬指に痕が残るほどの怪我を負う)
・その当時付き合ってた人の食生活に合わせたら、鉄分不足からの貧血で倒れて意識不明
(奇跡的に復活したが、貧血でフラフラ)
・自分が作った料理がマズいと言われ、作った料理は捨てられるわ、それを配信で言われるわでメンタル削られて無意識で死にかける
(奇跡的に相談乗ってくれる人が居たから助かった)
・その当時付き合ってた人から「資金が足りないから働け」と言われ、バイトを掛け持ちしたのはいいが、睡眠時間がなくなり、過労で精神的にも肉体的にも死にかける。
(ここで、適応障害、パニック障害、頚肩腕障害になる)
・その当時付き合ってた人が色んな女性VライバーやVTuberさんに対して、僕の見た目に関することやありもしない事を言われ、今までやられてきたこと全部耐えてきた分も含め、精神的に限界が来て死のうとした
(その時に今の旦那が相談に乗ってくれて助かった)
20〜21歳→【ジョブチェン&福岡から愛知に引越し】
・会社のストレスで精神的に死にかけて、無意識で食器洗剤を飲もうとしたところ旦那と同居人に止められる。
(睡眠不足が祟り、無意識で残ってた睡眠薬(8錠)を酒で飲んで、そのまま倒れてたってこともあった)

そんな僕の現在は、1人で移動(家の中の移動も含む)をしようものなら誰かが必ずついてくる状態になった。
(旦那に死んでなくて良かったと言われるぐらいに、1人で移動するのがダメと言われる始末)
僕としては今まで「こんな僕でも存在を必要としてくれるのか?」と悩みに悩み続けて、僕自身何度も精神的に死にかけたり、無意識の間で自殺しかけたりしている。
それでも、誰かが僕の身代わりに傷ついたり、命の恩人(A)のように僕を助けたが故に誰かに殺されたりして、誰かに生かされ続け、死ぬことをさせてもらえなかったのが今の僕である。
つまり、同時に誰かを守りたくても守れなかったのが今の僕である。
正直なところ、希死念慮だけで言ったらセラステの運営人(セレジュエル)の人の中でダントツ1位だと思う。

「一般人」としての不安

「本当の一般人とは違う」と存在を否定されることに対しての不安

これに関しては、配信者を始める前から言われていたことです。
なので、7歳の時には既に言われていた。
余談で書いたものもありますが、それ以外にも「人の思考よりも斜め上の発想をする」ということから周囲から「てめぇは一般人じゃねぇ!」と言われる事が多く、気づいた時には周囲の人と馴染むことができなくなっていた。
馴染めたとしても、「異才」と「個性」のせいですぐ仲間外れになるか、上に持ち上げられるだけ持ち上げられてちょっとでもミスをすれば「お前は出来損ないだ」と言われ、精神的にフルボッコにされる。
そんな生活が続いたせいで、気づいた時には「僕自身」というものを隠すようになっていた。
実際、隠していたとしても生きていくこと自体は何も支障なく過ごすことができていました。
だけど、自他共に「誤魔化し」が効かなくなってくる時が来てしまった。
それは、セラステができてからのことです。
セラステは本来、リーダー無しの集団で創設者は元々僕以外で2人いて、その2人が元々集団を引っ張っていた。
その元代表の2人が人間関係に揉めに揉めて、その2人がいなくなってから残された僕は周囲と話し合った結果、僕自身は「このまま行くとまた強制的に上に持ち上げられて、あとで傷つく」とわかっていたので、僕も早めにこの集団から抜けようとはしてた身である。
だけど、次の代表決めの話し合いの末に本来、歌唱力や配信者としても実力はあるはずの兄弟(僕よりも年上)と僕の3人で話し合い、結果としてその兄弟は「僕ができないことをサポートする」という名目の元、色々押しつけられた上で僕が今のセラステの代表をすることになった。
セラステの代表になってからは僕自身の過去のトラウマとの戦いに、メンバーの間やメンバー自身に何か問題が起こったときの対応や、企画提案や宣伝などの業務をしつつ、配信者としての僕自身の活動や大学進学などの勉学も両立していた。
そうして、僕自身が色々肉体的にも精神的にもギリギリの時にその時のセラステのメンバーから言われたことは、「星影はいいよね…なんでそんなに要領良いの?」とか「やっぱ、星影は一般の人と違うよね」と言われた時にすごく泣きそうになりました。
だけど、その時は「きっと褒め言葉なんだろうな」と僕自身に言い聞かせて、体の不調とかもあったけど、考えないようにしてた。
なぜなら、そう考えないとただでさえ僕より年上が多いはずなのに、僕が何か提案しないと何も動かない、問題起こしてもほったらかして僕に全て丸投げして自分達で何も解決しない状態で、僕以外の誰がこの最悪で劣悪な環境を改善しつつ、集団を維持することができるのかなど、色々頭の中で考えてしまい精神的に壊れそうになっていたから。
ただ、そんな状態の僕に言われた一言で僕の心が壊れた言葉がありました。
それが、「星影が勝手に進めたことだ、自分達は知らん」、「自分達は観客席にいたいんだ!」という言葉の後に来る言葉で「自分達は一般人だが、星影は一般人じゃない」という言葉でした。
僕自身はできないことはできないなりにやってみて、僕自身が持ってるスキルや情報を日々アップデートしながら、問題が出てきたら解決できるように頑張ってきただけである。だけど、それを周囲は認めてくれもしなければ、「それができること自体が一般人と違う」と言われ更に傷つく状態が続いたのである。
なんなら、「一般人とは違う」だけでなく、その他にも変えようのない僕の「個性」を否定されることも多く、僕の心はプツンと切れてしまった。
正直、記憶を失ってから戻るまでの期間だけに留まらず、記憶がある程度戻った今でもリアルでもセラステでも僕の居場所がない状態です。
「そう思ってるだけ」とか「いつでも戻ってきていいよ」と周囲からは言われるかもしれないけど、僕としては「戻ったところでまた僕が1人で傷ついて、また僕が1人で耐えないといけないのか?」とか、「また僕が言われて嫌なことをしないといけないのか」、「僕がいた所で誰も得しないからこのままリアルで死んでしまえばそれまでだ」と考えてしまうぐらいには追い込まれてます。
それぐらい、僕だってみんなと同じ「一般人」のはずなのに「お前は一般人じゃない」と言われるのが怖いのである。
僕だって泣くときは泣くし、怒るときは怒るし、笑うときは笑うんだよ。
努力だって、みんなもやれば大体のことはできることなんだよ。
言い訳して努力しない、挙句の果てに僕のことを「一般人じゃない」と言って批判するだけして勝手に満足して威張り散らしてる人達は正直、「環境のため、未来を担う子ども達のために今すぐ死んでくれ」と思うぐらいには大嫌いです。
なので、リアルの僕だけじゃなく、活動者としての僕としても、しばらくは顔出しはするだろうが、セラステに戻るつもりはないし、僕自身も精神的にも肉体的にも誰かに尽くすという無理はしないでおこうと思っている。

「期待」に対しての不安

これに対してどういうことかと言うと、「期待すること」や「期待されること」に対して不安を抱いてるって感じです。
「『期待される』って良いことじゃないの?」と思う人もいると思います。
でも、僕にとっては過去のトラウマを思い出すので、できれば僕に対して期待しないでほしいのです。
「じゃあ、なぜ『期待すること』もダメなの?」と言われることもあります。
僕としては、期待するのはいいんです。期待するだけなら僕も良いんです。
ここで問題なのは大半が「期待すること」を「口出しすること」と履き違えている人が多くいることです。
例えば、期待するだけして、何もしないで、期待した相手が何かミスした時には批判するだけして勝手に離れていく人や、「期待してるからね?」という名の元で文句言うだけ言って勝手にマネージャーとか保護者ヅラしてくる人があまりに僕の周りに多すぎるんです。
僕からしたら迷惑でしかないし、「何?保護者ヅラして気持ち良くなってんの?」と思い、心の中で凄くモヤモヤしてます。
しかも、僕の場合は幼少期から期待されることばかりの人生でした。
周囲からは「成績優秀だね」「演技力あるね」「可愛い子だね」「もっと笑って」と言われ、気がついた時には成績優秀で演技力もピカイチだが、「可愛い」から程遠い「クール」になって、笑うことも「望まれたもの」しかできなくなり、気づいた時には僕自身の意思で笑えなくなっていた。
「可愛い」から「クール」になったのは、命の恩人のAと2人でユニット組んでた時に、Aから「せっかくなら対が取れるものが良いよね!」と言われ、僕よりもAの方が可愛いので、僕は気がついた時には「ボーイッシュ」と呼ばれるものになり、中学の頃には「クール」になっていた。
今思えば、「クール」になったのも「Aから期待されたのでは?」と言われればそうなのかもしれないが、今の僕から見れば、これもある種の「周囲の『可愛いままでいてくれ』という期待に対して反抗しかった結果」だと僕は思っている。
じゃあ、なぜ「成績優秀」と「演技力」に関しては変えなかったのか。
理由は、僕自身が何事においても「勉強することが好き」だからである。
ジャンルにもよるが、僕が好きだったのは宇宙に関すること、絵や音楽、演劇、ダンスなどの芸術に関わるもの、心理学に関しては幼少期から周囲から教わるものも多かったが、できる限り自力で勉強していた。
好きなことに対してだけは、周囲から「期待されている」としても「そんなの関係ねぇ!」でやっていましたが、ここで問題でも取り上げたように、勝手に期待するだけして、少しでもミスしたらすぐ否定して、批判して最後には「アンタなんかに期待する方が馬鹿だったわ!」って言われるんです。
今の僕からしたら「そんなん知るかボケ!」と今になっては思えるが、幼少期の僕からしたら「みんなだってミスするのに、なんで僕だけ怒られるの?」と思っていました。
なので、幼少期ながら僕が思ってたことは「僕に期待する人間みんな怖い、期待されること自体怖い…」と思うようになっていた。
今でも「期待」に関しては怖いと思ってるし、僕としては「誰に対しても期待はしないから僕に対して期待しないで」と思ってます。

「捨てられること」に対しての不安

これに関しては誰だって感じることだと思いますが、僕が感じてることは幼少期からの積み重ねなので、色んな人が言っている「〇〇と別れたぴえん」とか「〇〇のこと捨てたったわ」とか気軽に言ってる人を見てると「詰まるところ、あんたらにとってはそのぐらいにしか思ってないってことなら他人に言うな」と思うし、言ってるやつを見ると中指立てたくなるぐらい嫌です。
じゃあ、僕の幼少期から感じてたことは「また寒い思いをするのかな」という思いです。
なぜ、ここで「捨てられる=寒い思い」なのか。
僕の場合は、心の底から冷え切ると何も動けなくなるのと、幼少期の場合は自力で生きていくことが大変ということもあり、しかもここに余談でも書いた通り、僕を守ってくれる身内なんていないと思わないと生きていくことが無理ということも重なり、捨てられることが怖いのである。
これに関しては、「一度でも身内に殺されかけたら分かると思う」としか僕からは言えないです。
今でも、周囲からいつ捨てられるのかとビクビクしながら過ごしてます。
今の僕にはそれだけこの「捨てられること」は僕の心の深くで傷になって癒えてないということです。
正直、全員が全員僕のことを理解できるとは思ってないので、知っててくれたら嬉しいなと思うぐらいでしかないです。
もし、この気持ちを共感してくれる人が僕の周囲にたくさん居てくれたら、きっと未来の僕は笑って生きていけるのかな。
今の僕じゃ、希望に満ちてる僕の姿なんて想像も創造もできないや。

まとめ

僕は僕自身のことを「心配性で人と関わることを避けてるくせに適度に人と関わらないと発狂するめんどくさいやつ」という自覚はしている。
ただ、あまりにも周囲に対して僕が感じている不安や恐怖について語ることがなかったことと、なぜか知らないが僕自身は誰かの相談に乗ることはあっても、僕から誰かに相談するっていうことがあまりなかったことにより、周囲からは「星影って悩みなさそう」とか「頭良いから悩みが出てきてもすぐ解決してそう」とよく言われることが続いて、僕自身は今まで笑顔でなんとか耐えてきたが、僕だって皆と同じように悩みは抱えるし、不安や恐怖を感じることだってあるし、皆に公開してないだけで人並みにはちゃんと「寂しい」と感じたり「相談したいな」と思う時もあるが、なかなか相談できなかったこともあり、活動を始めて5年目にしてやっと皆に抱えてたものの一部を公開できて僕的にはやっと1つ心の闇を公開できたかなとホッとしてます。
多分、この先も生きてくことが苦しいと感じることはあると思うが、どこかでこんな感じでまた書けたらいいなと思ってます。


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