七不思議⑥~英知の灯 世界を照らす
エジプト アレクサンドリアの大灯台
アレクサンダー大王の足跡求めてこちらまで。かつては高さ134mの大灯台が地中海を照らし、その灯りは10キロ先にも届いたそうです。大灯台は8世紀と14世紀の地震で崩壊し、15世紀にイスラム系のマムルーク朝カリフ、アシュラト・カーイト・ベーイによって跡地に要塞が建てられ、現在に至ります。
紀元前356年にマケドニア(現在のギリシア北部)に生まれたアレクサンダー(アレクサンドロス3世)は、ペルシア帝国を破ってオリエント(ギリシアからインダス川まで)全域を支配しました。征服過程で自身の名前を冠した都市アレクサンドリアを各地に建設し、ギリシア人兵士らを入植させるなど、「世界帝国」の実現に奔走します。アレクサンダーの名は、アラブやペルシアでは「イスカンダル」と発音し、例えばアフガニスタンの都市カンダハールは「アレクサンドリア=イスカンダリーヤ」の名残ではないか(諸説あり)とも言われています。アレクサンドリア・エスハテ(最果てのアレクサンドリア)と呼ばれた街は、現在の所在地は不明ですが、一説にはタジキスタンの「ホジェンド」かその近郊辺りではないかと言われいます。
このように各地に造られたうち、こちらは「エジプトのアレクサンドリア」。しかし大王は33歳で逝去し、その後は部下たちが領土を分割統治。エジプトはプトレマイオス将軍が治めました。灯台はそれから建設されたそうです。プトレマイオス朝エジプトは前30年まで存続しますが、女王クレオパトラが後のローマ帝国初代皇帝アウグストゥス(当時の名はオクタビアヌス)に敗れたことで終焉を迎えましたとさ。
女王クレオパトラの墓は2022年9月現在まだ見つかっておらず、その時代の遺跡のいくつかは出土していますが、女王が暮らした壮大な宮殿などは残っていません。大灯台が地震で倒壊したように、沿岸部にあったといわれる宮殿などは、海に沈んだともいわれており、実際に海中から像や生活道具など様々な遺物が見つかっています。また、現在のアレクサンドリアは高層ビルから個人の家まで、現代の建物でビッシリと埋まっており、日本の京都市と同様、細かな発掘調査は難しいでしょう。建て替え工事などを契機に少し掘れば、すぐに遺跡が出てきそうです。
アレクサンドリアは古代から「学問の街」としても栄え、世界各地の書物を集め、学者も集った「アレクサンドリア大図書館」が有名でした。戦乱で荒廃してしまいますが、近代的図書館として復活しており、このように見学も可能です。かつて船乗りたちを導いた大灯台の灯は消えてしまいましたが、こうして勉学に励む若者の姿を見ると、「英知」の小さな灯は消えるどころか、今後ますます大きく輝き、世界を照らすのでしょうね。
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◆私の歩き方:カイロで前日に鉄道切符を買いやってきました。この街はカイロなど内陸のエジプト文化圏とは少し雰囲気が変わって、地中海文化的な開放感を感じましたね。特急列車で到着後、市内は路面電車にタクシー、徒歩を駆使しての0泊の弾丸旅でしたが、もっとゆっくりしても良かったかな。アレクサンドリアの各地の紹介は別に機会で。
(訪問日・2016年2月11日)