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七不思議⑤~墓参り 月曜に泣く

トルコ ハルカルナッソスのマウソロス霊廟

マウソロス霊廟の復元模型。現地の博物館にて

 エーゲ海の旅にて、トルコに船で入国し、ボドルム(古代名・ハルカルナッソス)でマウソロス(ペルシア帝国の地方総督)の墓参り。紀元前350年完成の彼の大きなお墓が七不思議に数えられました。正直、霊廟は世界七不思議で一番無名だと思います。

 ボドルムは当時ハルカルナッソスと呼ばれ、ペルシア帝国カリア州の州都でした。総督(サトラップ)のマウソロスは才気活発であり、妻アルテミシアも良妻として有名でした。州とはいっても首都ペルセポリス(現在のイランのシーラーズ市郊外)から遠いため、ほぼ独立国だったそうです。日本の戦国時代と同様に、天皇を頂点とした「日本国」はあっても、各地で領主(大名)や武将が権力争いを繰り広げている様に、マウソロスも近隣の領主たちとの戦いに明け暮れていたようです。

マウソロス霊廟の現在の様子。建物はなく、柱などの石材がゴロゴロしていました。

 当時、アカイメネス朝ペルシアは世界的超大国であり、ギリシアはアテネ、スパルタ、コリントスなど国土面積の小さな都市国家に分かれていました。現在のトルコ領に当たるアナトリア半島はペルシア帝国にとって、エーゲ海に面したギリシアとの交易、戦争の最前線でもあり、霊廟は半島内外に住むギリシア人による彫刻や建築技術の粋を集めて造られました。

ライトアップされた十字軍建設のボドルム城。石材の一部はマウソロス霊廟のものといわれている。現在は史跡博物館として公開されています。

 霊廟は彼の死後1500年以上も残っていたそうですが、地震で倒壊し、後にロードス島を拠点にした十字軍の一派「聖ヨハネ騎士団(ロードス騎士団、後にマルタ騎士団)」によって石材が城に転用されたそうです。

ボドルム城を眺めながら、海辺のレストランで魚料理をいただく。

 ハルカルナッソス(ボドルム)は歴史の父といわれ「ヒストリエ」などの著書で有名なヘロドトスの故郷です。「西洋古代史はヘロドトスに、東洋は司馬遷に聞け!」は有名…でも何でもない私の言葉。

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 ◆私の歩き方:ロードス島から船でマルマリスに行きトルコ入国。そこからバスでボドルムへ移動し、クサントス遺跡などを巡った後に訪問しました。その勢いのまま意気揚々と乗り込んだら休館日…仕方がなく一泊し、翌日に改めて攻め直しました。月曜休館には各地で何度か泣かされた苦い思い出があります。そう学んだ数年後、サントリーニ島で火曜休館に泣かされました・・・。

表紙の写真=高台から望むハルカルナッソス(ボドルム)。左はボドルム城。

(訪問日:2016年9月16日)


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