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裸足で感じる地球、わたしに還る3時間の旅

当たり前のことなんだけど、私たちは地球に住んでいる。
当たり前すぎて、普段意識することもないのではないか。
けれど、人類だけでなく地球にあるすべてのものは地球で生きている。生かされている。
それを体で感じるワークショップに参加した。
その中で感じたのは宇宙や地球の偉大さと深い悠久のとき。地球に生きているという神秘や尊さだった。


裸足で地球を歩いてきた!

このワークショップ、なんと裸足で3時間もの道のりを歩くのだ。
生まれてきたままの素足で自然の中を歩き、地球の歴史のお話をきく。
これまで裸足で外を歩いたことがあっただろうか。
現代社会では靴を履くのが当たり前。裸足で外を歩いている人なんて、好奇の目に晒される。
子供の頃に遊びまわっていたときでさえ靴を履いていたと思う。

この年になって、裸足で3時間も自然の中を歩く日が来るとは。

このワークショップに興味を持ったのは、自己理解がおもしろくなってからのこと。
頭の中の自動思考がうるさくて、もっと自分の体や心の声を聴きたいと思っていた。そのためには、未来や過去のあれこれに捉われず、今この瞬間にマインドフルになる。
その一環として、「裸足で歩いて地球を感じる」というコンセプトに強く惹かれた。

初めてこのワークショップを紹介されたとき
「は、はだし?なぜに?大丈夫だろうか…」
と未知のものへの不安はあった。
だけど体験した人たちの写真はとても楽しそうで生き生きしている。体験談も興味をそそられる内容だった。

「足の感覚てすごいんだろうな。グラウンディングは体やメンタルを整えるというし。よし、やってみよう!」

地球とダイレクトにぶつかる足の裏

神奈川の寺家という地域はとても自然豊か。
そこに集まった男女20人強の集団は全員ワークショップの参加者で、一人で参加している方も多かった。

11月後半で寒さも本格的になり始める時期。
この日の予報気温は13度。裸足になるにも勇気のいる寒さだ。
しかも運悪く(?)楽しみにしていたイベントにも関わらず、私は本調子ではなかった。風邪ではないのだが、体が重くだるい。
「この状態で、歩き切れるかなぁ。体調悪くなったら本末転倒だし、辛くなったら靴を履こう」
そう心に決めての参加だった。

いよいよワークショップがスタート。
早々に、靴も靴下もぽいと脱ぎ捨てる。
スタート地点の駐車場のアスファルトが痛くて痛くて歩きづらい。足の痛みを最低限にしようと、恐る恐る歩く。

普段意識しないアスファルトの路面。裸足で歩いていると、凹凸の違いがダイレクトに足裏に伝わる。
でこぼこしているところは痛いので、少しでも滑らかな場所を選んで歩こうとする。
普段はそんなでこぼこの違いなんて感じないので、気にも留めずがんがん歩くのだけど。
アスファルトの中でも場所を選んで慎重に歩き進める感覚が新鮮だった。

ようやく森の中に入っていく。
土が柔らかい。水気を含んでいるのか、少し冷たい。
同じ土の地面でも、均されているところは歩きやすい。
逆にほとんど人の通らない場所はぐにゃぐにゃの粘土のよう。
落ちている小枝やどんぐりが足の裏に刺さると痛い。
落ち葉が敷き詰められているところはさくさくぱりぱりした感触が気持ちよかった。
私の足は、全体重をこの小さな面積で支えてくれている。
そして地球と接着している。
足の裏に全神経を集中して歩く時間。
まさに、「一歩一歩踏みしめて歩く」を実行していた。

少しでも痛くないところを選びたくて、ひたすら足元を見て歩いていると、いい意味で今ここにしか自分はいないんだなと思う。

参加者のおひとりであるさやかさんという方が「余裕があるからあれこれ余計なこと考えちゃうんだろうね」とおっしゃっていた。
歩くことに集中していると、確かに頭の中の思考がいつもより静かな気がする。
余裕があるから、まだ見ぬ未来に右往左往したり過去の失敗に捉われたりと忙しい。「今このときにいる」ことを、ないがしろにしすぎてはいないだろうか。
裸足で歩く。ただそれだけでこんなにも「今ここにいる、ただそれだけの私」になれる。

地球の歴史とそこに生きるわたしたちのお話

このワークショップのもうひとつの魅力。
それは世界中を旅している近藤瞳さんのお話。

3時間もの間ずっと歩いているわけではなく、途中の休憩ポイントで、宇宙に生まれた地球の成り立ちのお話を聞く。

それがなんとも雄大で神秘的だ。
地球誕生から46億年。現実味が湧かないその永い永いときに沿って紡がれる壮大な物語。

瞳さんのお話は愛がこもっていた。
自身の体験から見出す真理。
生きるパワーが、話す内容だけでなく力強い声や表情や動きや、目に見えないものから発せられていて自然と心が惹きつけられる。

全体を通して印象に残っているのは、私の体や心の声に従えということ。
最近「アルケミスト」という小説を読んだこともあり、声なき声に耳を傾けることに興味があった。特に、自分の中から湧いてくる感情や思考、言葉にならないなにかの声をもっと聴きたい。
そういった声が、私の生きる道を示す気がしている。

今まで他人の道を歩いてきた。外から与えられるものが幸せだと思っていた。
世間一般に良しとされていことやハウツーや正攻法。そういうものを参考にするのも悪くはない。
それを踏まえて考え、何が一番合っているか選択し決定するのは自分だ。
誰かの目やレッテルを気にせず、指図されず、自分で決めていいんだと思えたらとても嬉しかった。

どっちの道がわくわくするのか。
どういう世界に身を置きたいのか。
どんな人と時間を共有したいのか。
それを知っているのは、他の誰でもなく私なのだから、世間の声に振り回されず、自分の声や感覚に素直になりたい。

97%の無意識

地球から見えている星は宇宙全体の3%程度らしい。あんなに無数に輝いているのにたった3%。残りの97%は肉眼では見えない。
この数字が示すことは宇宙だけでなく、人間にも言えることだそうだ。
人の顕在意識と潜在意識の比率が3対97。
意識できるのはたった3%。

97%も自分のことを認識できていないのか!という衝撃があった。私は自分のことをたくさん知りたい。そうすることで生きやすくなると思うからだ。

今回のワークショップを通してじんわり感じたことがある。それをある参加者さんがぴったりと言い表してくれた。

「今回体験したことはDNAが覚えてて、必要なときに出てくるんだろう」

顕在意識できちんと言語化して留めておけなくてもいいのかもしれない。
「あのときのあの感覚や感動や、なんとなく受け取ったもの」は確実に私の潜在意識や細胞のなかに取り込まれている。
理論や概念といったものは、きちんと理解しないと使い物にならないと思っているのだけど、頭でなく「体感」で理解するほうがすんなりと入ってくることもあるだろう。

今回の体験は確実にわたしの細胞に刻みこまれてているから、見えてくる世界がこれから変わるかもしれないし、少しずつ脱皮するのを楽しんでいきたい。

気持ちのいい、ゆるさ

ワークショップ全体を通して感じたゆるさ。

私は初めての参加だったのだが、中には2回目の方もいた。
「前回も話したけど、2回目参加の人覚えてる?」
とのひとみさんの問いかけに首を傾げる2回目参加の方達。
それを見てひとみさんは怒るでもなく「いい、いい、忘れてて(笑)」とあっけらかんと言い放つ。
午後の室内でのお話も「寝たい人は寝てていいからね」と前置きをして始める。
その懐の大きさというか、寛容さがとても心地よかった。

「無理に覚えてなくていいんだな」
という安心感が広がった。

しゃかりきに頑張らないといけないと思って生きてきた。
そうでないと私には価値がない。誰にも認めてもらえない。

その思い込みが徐々に剥がされていく。
ありのままの、すっとぼけた私でもいい。
人間関係を築く上で欠かせない安心や信頼。それをまるごと体現している人だと思った。

ほどよい疲れと足の痛み

どれくらいの距離を歩いたのかは計測していないので不明だが、当初心配していた体調は問題なかった。
終わったあとも足の裏はじんじんとして痛いんだけど、苦しくはない。
むしろ歩くことに没頭できて気持ちいい。あっという間の3時間だった。

普段運動をあまりしないため体は疲れていたが、心地よい感覚だった。
「体って重いんだよなぁ」
あまり使わない筋肉を使って登ったり、降りたり、しゃがんだり。
体をフルに動かして、頭は心や体の声をしっかり聴いて感慨に耽る。

体もメンタルもリフレッシュしたよき時間だった。


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