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自分教

何のために生きていると思いますか?
そんな問いにあなたならなんと答えますか?

中学生の頃、頭のいい友達に尋ねたことがありました。
何事もボロボロになっても倒れるまで続けるストイックな彼女に、なぜそんなにまでやれるのか、なぜそんなに勉強をするのか。

それはすなわち、なぜ生きるのかと同じ質問だと彼女は言いました。

そして私に、生きるとはなんだと思うか尋ねました。
そこから3年間、彼女との文通が始まりました。

記憶は曖昧だし、断片的で美化されてしまっているだろう。
だけど最近やっと私なりの答えが見つかった気がするんです。

こんなにも考えて、悩んで、喜怒哀楽が忙しいのは人間という生き物だけではないかな。五感を使って細かく伝えることができて、
そのおかげで嬉しい気持ちも
そのせいで悲しい気持ちも
たくさんの感情が生まれる。

他の動物たちにもきっとあるのかもしれない。
生きる時間が彼らより長く色々感じられる割にはとっても脆い。

私は、彼女に問うた中学生時代は人間が嫌いだった。
なぜ自分が人間に生まれたのかを問うように、嫌いなりにどう生きていくか悩んでいた。

動物が好きでも、動物に関わる仕事をするには結局動物を使って人間を喜ばせることになると考えた。
今なら、それはそれとして少しでも快適に過ごせるように人間としてできることもあると思う。

じゃあ、人間以外に何になりたいかって考えた。
鳥になって空を飛んでみたい以外に思いつかなかった。

色々考えて、考えは変わる。
いろんな経験をして、知って。

私は、というより
まだ人間はって答えだけど

人間は、考えるために生きていると思う。
私は、人間は唯一生きていることに課せられている意味がないと思う。
自然界のピラミッドの中に属さず、空気をきれいにできるわけでも分解したり食物連鎖もできない。動物や微生物や植物のように生きる役割がないと思う。

だけど、唯一その役割に縛られていないからこそ考えることができるんだと思う。
ピラミッドがピラミッドのままで在れるように、考えて脅威は止めることができる存在なんだと思う。

そして、そおれぞれに得意な考える分野が存在するだけなんだと思う。
みんなが同じこと考えても仕方がないから、みんながみんな同じことを考えないようにうまくできているんじゃないだろうか。


全部が全部、神様のシナリオ通りなんじゃないかと思う時もあった。
だとしても、神様に会うことは生きている中では絶対にないだろうしすれ違っていても気がつかない。私自身は結末を知らないし、足掻いたところで結末自体は変わらないと思う。

でも途中の話を変えたって、人間の記憶が曖昧なのと同じように神様だって曖昧で気がつきやしないと思うんだ。


うまく纏められないけど、だから私はたくさん考えようって思う。
取り止めもないことでも、答えなんてなかろうと、自分が考えたいと思ったことを考える。それが私の生きる意味。
いわゆる最後に私が考えること、その行く末、感情が気になるから。


でもそれって、この先もずっと自分は生きていると思っているからだ。
生きることへの恐怖はないからだ。

生きることについて問われることが最近増えて考えてみることも多くなった。
事故とか病気が怖い場合は
お墓参りをしたり、先祖に祈るといいと思う。

スピリチュアルや、願掛けとかそういうことではなくてね
そういうことなのかもしれないけど自分の中で占いとか信仰とかとは違うと思っていて

言霊とか、直感とか、噂話にくしゃみするとかそういうのに近い感じ。
気をつけてねって言われたら、気をつけるって意識がピンってなるし
さらに笑顔で、気をつけてねって見送ってもらったら
自分も笑顔になって心に少しでも余裕が生まれたら、慌てたりイライラすることも減る。そしたら、事故も減る。

そんな感じ。
ご先祖様のことはよくは知らないけど、聞いた話みんな家族のことを強く思っているんだなって感じた。いい思い出でなくとも、それは家族が大好きだったからこそとか大切な人を想ってとか、みんな一生懸命に生きた人たちだって思う。

苗字の由来も、生きるためにみんな同じ漢字を一つ頭につけて散らばって逃げたんだと聞いて尚更感じた。

なんで人間なのかの次は、なぜ私はこの家族なのかってことを考えたら行き着いたところ。愛犬が亡くなった時から余計に強く思う、今までよりも近くにいる気がして。
だから、手を合わせるときはいつも感謝を思う。

生きてるってよりも、いろんなものによって生かされているから
毎日、自分にできること一生懸命考えるしかないと思う。
それぞれが考えていくためにつないで行かないといけないって思ったり。

だから、神様やご先祖さまにはたっくさん感謝してどうか私を守ってねってお願いする。お願い事はするけど、信じたり頼るのは自分自身。自分教。

なんとなくだけど、すごい守られている気がする。
大病も大怪我もしたことないから。
家族の想いも、気をつけてくれた愛が1番だけど。

ひとりじゃ、自分一人を健康に大切に生かすことすら難しいなんてね。

犬がしゃべる哲学の絵本で、なぜ人間は鍵をかけるの?同じ人間なのに疑うの?
なぜ、信頼した人がいる部屋でも鍵をかけて見せない物があるの?
っていうのがあって、そういう事するのは考えることができる代償なのかなって思った。一人じゃ生きて生きないのに、目の前の人を信頼するって簡単なようで難しい。

なんか、今を生きるのに精一杯だからなのか
将来のこと、本当に全然わからないや

だけど、自分のことは信じているんだと思う。
だから、怖い気持ちはない。

何秒後かの自分が、何を思い考え気が付きどう未来に繋がっていくのか楽しみである。

何も思わない、分からない、眠い、お腹すいたー、も
また自分の大事な一部。
人間だもの。

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