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狂乱はボカのチャントと共に

 サッカークラブチームの欧州王者と南米王者がガチでやり合う一大イベントが、かつてなぜか日本で開催されていた。トヨタカップという名を知らないサッカーファンも、今では結構多いのかもしれない。2004年が最後の大会で、クラブワールドカップという別の大会に吸収される形で、その歴史に幕を閉じた。

 僕の印象に最も強く残っているのは、イタリアのACミランと、アルゼンチンのボカ・ジュニオルスが対戦した2003年だ。延長でも決着がつかず、PK戦にまでもつれ込んだ展開は、死闘と呼ぶに相応しかった。しかし僕は、実際の試合とは別のところで、ワールドサッカーの凄まじいパワーを思い知らされることになった。

 当時、僕は新宿の某有名ホテルで清掃員として働いていた。海外からの利用客が多いホテルで、英語で道を尋ねられることもしばしばあった。英語が得意ではないものの、道案内なら高校英語で対処できるので、支障なくこなせていた。

 あくまで英語なら。

 その日、僕はロビーの担当になった。朝の始業時から、ロビー全体にいつもと異なる雰囲気が漂っていた。まずとにかく人が多かった。間違いなく、いつもの三倍以上はいた。そして忌々しくも、そのほとんどの者がマナーをわきまえていなかった。床にそのまま座り込むのは当たり前。堂々とビールを飲んでいる奴までいる。やたらと騒がしく、まるで花見客で賑わう桜の名所のようになっていた。

 彼等が何者なのか。そこそこのサッカー通なら、被っているキャップや巻いているマフラーで簡単にわかるだろう。ボカ・ジュニオルスのサポーター。その日の夜に開催されるトヨタカップで、愛するクラブが憎きACミランをぶっ倒す瞬間に立ち会うために、はるばるアルゼンチンから大挙してやってきたのだ。

 一人や二人のマナー違反ならホテルスタップで対処できるが、ここまでの人数になると収拾がつかない。施設の扱われ方が雑なので、当然ながら汚され具合も酷くなり、清掃員の仕事が増える。掃いても掃いても、クズを落とされるし、拭いても拭いても、飲み物をこぼされる。

 忙しくしていると、不意に若い男性ボカサポーターに呼び止められた。背が高く、僕を頭の上から見下ろして、頭の上から何か言ってきた。日本語でないのはもちろん、英語でもなく、スペイン語だ。さっぱりわからない。

 アルゼンチン流なのか、語気がかなり強く、ガミガミという擬音がピッタリな話し方だった。僕は怒られているような気分になって萎縮してしまい、困惑の表情で首を傾げることしかできなかった。その内に男性は、こいつ使えねぇな、と馬鹿にするかのような顔をして去っていった。

 僕の中に、納得できない気持ちが湧き上がってきた。ここは日本だ。スペイン語にまったく馴染みのない国だ。まさかスペイン語が、英語と同じくらいには通じるとでも思ったのか。傲慢にも程がある。

 気持ちを無理に抑えて鬱々としながら仕事に戻ると、今度は、ロビーの真ん中でボカのチャント(応援歌)を歌う輩が出現した。いくらなんでもやり過ぎだ。さすがにここまでのアホは他にいないだろう。そう思っていると、ロビーにいるサポーターの大半が、大人も子供も、男性も女性も、このアホの周りに集結し、一緒にアホになった。拳を天に突き上げ、飛び跳ね、声を張り上げ、クラブへの愛と忠誠を全身で表現した。

 ロビー中に響くチャントの大合唱。

 コイツら、狂っている。

 その迫力に圧倒されながら、僕は悟った。サッカーで、日本がアルゼンチンを上回るのは無理だ。サッカーのために情熱をここまで剥き出しにできる奴等に、恥と外聞の虜である我々が対等に戦えるわけがない。

 ボカサポーターに心底呆れながらも、正直羨ましかった。

 チャントの大合唱が落ち着いた頃、また別の外国人男性に道を尋ねられた。ボカサポーターではなく、英語を話す上品な紳士だった。しかし冷静さを欠いていた僕は、スペイン語だと思い込んでしまい、「イングリッシュプリーズ」と言ってしまった。紳士は頭を抱えて、信じられないという顔をして、「オゥノゥ」と叫んだ。それはそうだろう。英語がろくにできない日本の清掃員に、英語を使え、と言われたのだから、さぞかし屈辱だっただろう。

 悪いことをしたと今でも思っている。

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