エッセイって記憶力と観察力なのだな
Twitterから離れて、紙の本を読んでいます。Twitterはとても楽しいし、宣伝もできるし、人と交流もできるし、情報収集としても適しているのだけれど、一回投稿すると反応がついつい気になるし、すぐに💗がどれだけついているか確認したくなるし、リプをもらったら返す手間も要るわけで、まだ駆け出しの作家の身としては、ちょっとそこに割く時間がもったいなく思えてきました。
(もちろん、Twitterを楽しんで使っている方々を否定するものではありませんよ!私の日々の時間配分を考えたら、私はちょっと控えたい、というだけなので)
というわけで、しばらくTwitterを控えて、どろんしますので(もちろんときどきは浮上しますが)タイムラインにいなくても心配なさらないでください。noteは文章練習になるので、更新できたらいいなと思っています!
図書館からどさどさ借りてきたエッセイを読んで、文筆家の人たちの書くエッセイの面白さにうなっているのですが、エッセイってほんと、記憶力と観察力がものを言うなあ、と改めて感じています。
たとえば、幼い頃や思春期の、家族や友達との思い出をエッセイに書こうとしたら、どれだけその出来事を詳細に覚えているか、って大事になってきますよね。
家族と電車に乗った、という文章を書くのなら、窓から見えた海の色とか、駅弁はどのようなものを食べたかだとか、家族とどういう会話をして、喧嘩したり笑い合ったりだとか、そういう記憶、あと観察をどれだけ意識的に積み上げてきたかって、そのエッセイの面白さに関わってくる。
私はあほなので、作家になりたい気持ちは幼少期からあったわりに「記憶と観察が大事」という観点がすっぽり抜け落ちた子でした。なので、いま小中学校の記憶を引きずり出そうとしても、あまり思い出せるネタが少ないのですよね。覚えておけば、大人になってから助かったのに!私のばかばか!と言いたいです。
あと、もう一つ大事なのは、視点とか観点にあたるものですよね。ひとつの出来事でも、人によって見方が違うから「どういう見方でその出来事を切り取れるか」ということ。本人にとっては悲劇でも、はたから見たら喜劇にしか見えないことってあったりして(よく昔から言われてますよね)
なので、これからはなんでもじーっと(失礼にあたらない程度に)ものごとを観察して記憶しておこう、と思って、外に出るとバスの中の乗客の様子だったり、街中の商店街の風景だったりをじっと見ている私です。
あと、いろんな風景を観察するのに、youtubeとか見逃し配信のTverはすごくいいと思うようになりました。自分のまわりの風景だと、どうしても限られてくるから、沖縄のことを描写に入れたい、と思ったときに、沖縄の海や街の映像をつぶさに観察できる動画を見ることができると、イメージがわいてきます。
さて、ここで、みなさんに私の過去のエッセイを手前味噌ながらご紹介します(笑)
2013年に新婚旅行にイギリスとスコットランドに行ったときの、旅行記(全7話)で、マガジンにまとめられています。当時、旅先の夜のホテルで、ちまちまとあとでエッセイにまとめるために、ノートに手書きでその日見たこと食べたことを書きつけていたのを思い出せます。
コロナが終わって、旅行にまた行くことがあったら、また旅行記を書きたいな。よかったら、読んでみてくださいね!noteでのコメントの感想は、歓迎しています!