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あのひとに雨を降らせて

この作品は、生活に寄り添った物語をとどける文芸誌『文活』2022年2月号に寄稿されています。定期購読マガジンをご購読いただくと、この作品を含め、文活のすべての小説を全文お読みいただけます。


傷口に塩を塗られるとは、まさにこのことか。満面のつくり笑顔を顔にはりつけたまま、私は自分の不運を呪った。正確に言えばこの場合、しょっぱくなくて甘いんだけど。塩じゃなくて、チョコなんだけど。

本日の私といったら、デパート七階に設けられたバレンタイン催事場の販売員として、チョコレートカラーをイメージした薄茶色のエプロンと三角巾(アクセントにピンクのストライプが入った可愛い柄)をつけて、さっきから普段よりもワントーンもツートーンも高い声で客を招いている。

「ベルギーから輸入した、この冬限定のチョコレートいかがですか? 口どけ、食感、どれをとっても最高級品です。ぜひお試しくださーい」

泣きたい。正直、こんなところでバイトしていないで、ソッコー家に帰って布団をひっかぶってふて寝したい。でも、働かないと生きていけないし、年末に大失恋して派遣の契約も切れた私をデパートに紹介してくれた、智恵実ちゃんへの義理だけは果たさねばならなかった。義理だなんて、武士かよ。武士だって、斬られた傷口が塩まみれになったら泣くと思うな。

バレンタインを前に、わざわざこの大雪のなかデパートに出向き、高級チョコを選んでいるお客様たちはみんな、正直私から見たら浮かれていて嬉しそうで、自分の境遇と引き比べると、みじめで仕方なくなってしまう。

なんでみんなそんな幸せそうなんだよ。なんで私はいまこんなにしんどいんだよ。でも、仕事を引き受けたからには、お給料がちゃんと振り込まれるまで、どんなにかっこ悪くてもダサくても、私はぴっかぴかの笑顔で、自分に割り当てられたブースの一角に立たなければならないのだ。

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