迂闊な恋も20年
私とオットはネットで知り合って、うっかり結婚してしまった。
具体的に言うと、2人はミュージシャンの加藤いづみさんのファンのためのウェブサイトで出会った。
時の経つのは早いもので、今年の11月末には結婚20年目に突入する。
マッチングアプリが市民権を得ている(らしい)令和では、オンラインで知り合った人と結婚したところで、さほど驚かれることもないだろう。
でも、平成だって、知り合ったきっかけがオンラインであることは、ものすごく珍しい話というわけではなかったように思う。
ネット婚という言葉があったくらいだし。
でも、私たちが自分たちでも「ちょっと、どうかしているな」と思うのは、交際2日で結婚を決めて、半年後には本当に結婚してしまったことだ。
なんて迂闊な2人だろう。
(ちょっと言い訳すると、交際を始めるまでに2年くらいメールのやりとりがあったし、いづみさんのライブ会場で何度か会って話をしたり、2人で松山城に出かけたこともあった。松山城って私の世代だと「デートで行くと別れるスポット」のひとつだったんだけど、そのときはまだ交際していたわけではなかったので気にせずに行った。まあ、とにかく、お互いの人柄を知る機会はちゃんとあったと言いたい。)
☆
当時の私たちは松山と名古屋に住んでいて、どちらも30代半ばで、遠距離恋愛の費用より時間の浪費をためらうような年齢だった。
だったら、とりあえず結婚してみよう。
ダメだったら別れよう。
だって、この人と上手くやれないのなら、他の人となんてもっと上手くやれそうにない。
そんなふうに意気投合して、私たちは結婚を決めた。
2人とも石橋を叩き過ぎて壊してしまうくらい慎重なくせに、ときどき、橋のない川に飛び込むような決断をしてしまうところが似ているのだ。
なるほどこの夫婦なら子育てのためにニュージーランドへ移住したり、日本に戻ったりするよなあと、他人事みたいに納得してしまう。
自分たちのことなのに。
とはいえ、本人たちは良くても、こんな無茶な結婚を家族になんと説明すればいいのか。
さすがに頭を抱えた。
結論から言えば、迂闊な2人の家族もまた迂闊だった。
けれど、その時点ではまさか家族まで……とは(さすがに)思っていなかったので、私なりに戦略を立てて動くことにしたのだった。
☆
まずは、私の味方になりそうな弟に、
「実は、結婚しようと思う」と告げた。
すると、弟はまるで『銀河ヒッチハイクガイド』の「生命、宇宙、そして万物についての究極の疑問の答え」を求められたような顔になって、
「誰が?」
と言った。あんたの姉ちゃんだよ。
次に、弟の「まずは母ちゃんを味方につけろ」のアドバイスに従って、母に、「実は……(以下略)」と告げた。
すると、母も「生命、宇宙、そして……(以下略)」を求められたような顔になって、
「誰と?」
と言った。うん、私も数日前まで心当たりなかったよ。
最後に残った父も、やはり「生命、宇宙……(以下略)」を求められたような顔になって、
「……」
何も言わずに寝た。思考停止か。
当時、同居していた母方の祖母だけは、私の結婚宣言に対して、究極の疑問の答えを問われた顔にならなかったけれど、
「そんな嘘をついて、年寄りをからかうもんじゃない」
と涙目で怒り出し、なかなか信じてくれなかった。おばあちゃん、ホントだよ。
私はそれまでずっと「結婚したくない」と公言していて、持ち込まれる見合い話をことごとく突き返していたのだから、家族の反応はどれも「ごもっともです」というものだった。
だけど、家族全員が、私たちの知り合ったきっかけも、交際の経緯も、まったく聞かずに結婚に賛成したのは、さすがに迂闊じゃないか?(おまえが言うな。)
それは義実家も同じで、どちらの家族も
「あんたが選んだ人なら大丈夫でしょ」
というスタンスだった。
これについては、今ならわかる。
どちらの実家も
「どうせ反対しても聞かないんでしょ」
という本音を隠していたことを。
迂闊な2人は頑固者でもあったのだ。
(そういえばニュージーランドに移住すると告げたときも、どちらの家族も、ひと言も反対しなかったな……。)
さらに私の両親と弟はにいたっては、
「あおちゃんは1年もしないうちに離婚して戻ってくるんやろな」
という、失礼な意見を一致させたうえで、それでも反対しなかったのだという。(本人たちが数年後に告白してきた。)
母曰く、
「だって、あんた、理不尽を我慢せんやろ?」
はい。そうです。
弟曰く、
「結婚なんて理不尽なことが多いんやから、あおちゃん、すぐ別れて戻ってくると思ってたもんな。こんなに続いているなんて、オットさんの忍耐のおかげやろ。オットさん、菩薩様かなんかなん?俺ら、オットさんのこと拝む勢いで感謝してるで」
ぐうの音も出ない。
出ないけれど!
すぐに離婚するだろうと予想していながら「そうなったらそうなったで、まあ、いいんじゃない?」とと受け入れるなんて、迂闊すぎる……。(おまえが……以下略。)
うちの実家は誰もギャンブルをしないにも関わらず、なぜか、いつもギリギリで生きている気配がする一家なのだけれど、それはこの「まあ、いいんじゃない?」のせいに違いない。(だから、おまえが……以下略。)
ちなみに「まあ、いいんじゃない?」は義妹の口癖でもある。
オット曰く、
「あいつ(義妹)は『へえ、そうなんだ?』と『まあ、いいんじゃない?』だけで世の中を渡っている」
らしい。
どうやらどちらの実家も、その迂闊さは私とオットより上だったようだ。
でも、そのおかげで、私たちはそれぞれの家族を説得する苦労を経験せずに結婚できたのだから、まあ、感謝しておこう。(3世代同居をしていると、この迂闊さに、お互い感謝ばかりしていられないのだけれど……。それはまた別の話だ。)
☆
結婚にまったく興味がなかった私とオットが、こんなふうにして迂闊に結婚したのは、お互いのことが大好きで、ずっとこの人のそばにいて大切にしてあげたいという気持ちが強かったからだ。
でも、そう言うと、結婚当初は、
「そんなのは最初のうちだけ」と言われ、
3年経ったころは、
「最初の5年まで」と言われ、
5年を過ぎると、
「10年経つと危機が訪れる」
と言われた。
もうすぐ20年目を迎える今なら
「熟年離婚の可能性もある」と言われるのかもしれない。
もちろん、どのアドバイス(?)も該当する可能性はあったし、これからもあるのだけれど、(とはいえ、わざわざ面と向かって言うことなんだろうか?とは思う。)、でも、今のところ、私たちは相変わらずお互いのことが大好きで、専業主婦と在宅勤務なのでほぼ毎日ずっと一緒にいるけれど、ちっとも嫌になったり飽きたりしない。
そりゃあ人間なので、たまには相手にイラッとすることもあるけれど、シリアスな喧嘩になったことはない。(シリアスな話し合いはする。主にムスメのことで。人を1人育てるということは、それくらい重くて真剣な責任がある。でも、話し合いは相手を言い負かすことではないので、喧嘩には発展しない。)
毎日こんなに一緒にいても、まだまだ話し足りないし、20年がこんなにあっという間に過ぎてしまうなら、次の20年もきっとあっという間で、仮にそれまで2人とも元気だったとしたら70代、そこから更に20年があっという間に経ったら90代、さすがにどちらか、もしくは2人とも死んでいるかもしれない。
そんなことを考えてしまって、「2人でいられる時間が短すぎる!」と悲しくなるくらいには、今もオットのことが好きだ。
オットはオットで未だに自分たちのことを新婚だと思っているし、アラフィフになった私のことを「可愛い」とか「好き」とか「いつもありがとう」とか日に何度も言っているので、このまま人生の最期の瞬間まで、迂闊にバカップルでいたいと思っている。