銀色のカバに乗って
早々にネタバラシをすると、銀色のカバと言うのは私のかつての愛車、シルバーのミラ・ジーノのことである。
「え、ちょっと待って?」と、↓このnoteを読んだ人は思うだろう。
ペーパードライバー(特殊な更新経験だけは豊富)なのに愛車って?
はい……実は……免許を取って33年間ずっとペーパードライバーだったわけではないのです。
免許取得後10年ほど経った頃、一念発起してペーパーを卒業していた時期が私にもありました。
3年間ほど。
その時の愛車がシルバーのミラ・ジーノ。
なんとなくカバに似ていたので(個人の意見です。)、心の中で「カバ・ジーノ」と名付けていた。
カバ・ジーノはサイドミラーが耳みたいに見えるので、私はミラーをたたむことを「耳をたたむ」と呼んでいたものだった。
心の中で、こっそりと。
なのに、ある日うっかり弟の前で「あ、耳たたむの忘れてた」と言ってしまい爆笑された。
「そんなに笑うことか!」と弟をしばき倒したいところだったが、ヤツには脱ペーパードライバーの時に世話になったので大目に見てやった。
☆
ペーパードライバーを辞めようと決心した時、最初に運転の練習に付き合わせたのは父だったのだけれど、ヤツとは10分で決裂した。
なにしろうちの父は、言葉が圧倒的に足りない人間である。
まずは……と駐車の練習を始めたのだが、助手席の父が突然「平行!」と叫ぶので、
「何を?何に対して?」と聞き返したのだけれど、父の返事は
「だから!平行!」
私たちの会話が平行だった。
仕方がないので、今度は弟に付き合ってもらうことにしたのだけれど、意外にも良い指導ぶりで、1ヶ月後には私1人で運転できるようになったのである。
さすが2回も教習所に通っただけのことはあるな、弟。(失効したのです。)
☆
せっかくペーパードライバーを卒業したので、自分のためだけの車を買うことにした。
母の友人がダイハツに勤めていたので、ダイハツ一択である。
ちなみに私はウエディングドレスを1回の試着で決めたり、ムスメの名前すら5分未満で決めたような人間なので、初めての愛車もダイハツに着いてすぐ「これにします」とあっさり決めた。
(一応、事前にパンフレットを何種類か貰っていたので、基本装備?と値段だけはチェックして行きました。)
「松山平野を法定速度厳守で走るだけなのでターボとかいりません。外も中も特にデコレーションはいりません」
営業トークの余地を与えぬ私。
「駆け引きはすっ飛ばして、提示できるいちばん良い条件を教えて」と迫る母の友人。(事務方のちょっと偉い人)
その間に挟まれて気の毒な営業さんが提示してくれた条件は、(なぜか)一緒についてきた父と弟的にも満足だったようで、めでたく契約成立となった。
☆
カバ・ジーノが来てから、私の生活は変わった。
それまでは自転車にも乗らない私だったのに、友人を空港に送迎したり、郊外の映画館までレイトショーを観に行ったり、なんだか別人になった気分だ。
カバ・ジーノのおかげで世界が広くなった。
ただ……。
私は方向音痴なうえに、よく知らない道を意地でも運転したくなかったので、(たとえ遠回りになっても)自分の知っているルートを組み合わせて目的地まで行くポリシーを貫いていた。
ある日その事実を弟に知られ「路線バス?」と突っ込まれたのだった。しばくぞ。
☆
カバ・ジーノのおかげで日々の買い物も楽になったけれど、何より楽になったのは実家の愛犬の通院だった。
それまでは最寄りの動物病院(腕前は微妙)まで、嫌がる愛犬(ミックスの中型犬。まあまあ重い)を騙し騙し引きずって行くしかなかったのに、カバ・ジーノのおかげで、市外にある評判の良い獣医さんまで楽々と通えるようになったのだ。
3年後、愛犬は虹の橋を渡ってしまったのだが、その最期の2ヶ月はカバ・ジーノで頻繁に点滴に通った。
車内では泣きそうな気持ちを隠すように、オザケンの『LIFE』を聴きながら、愛犬にたくさん話しかけた。
あの子は優しい子だったから、私が悲しい顔をすると心配してしまう。
あの子がこの世界からいなくなってしまうのは悲しい。悲しい。悲しい。
けれど、その悲しみに、愛犬と過ごした楽しい日々の最後を台無しにさせたくなかった。
「秋の日差しが綺麗だね。気持ちいい季節だね」
そんな言葉をかけながら、愛犬とカバ・ジーノで病院までドライブした日々は、今となっては優しい思い出だ。
愛犬が旅立ったのは、私の結婚式の6日前だった。
☆
カバ・ジーノとのお別れも、愛犬とのサヨナラと同時期だった。
結婚を機に名古屋へ引っ越したせいである。
カバ・ジーノを名古屋まで連れて行く案も浮上したのだけれど、名古屋市内で車を2台所有するのは駐車場代が勿体ないし、そもそも名古屋で運転するなんて私には恐ろしすぎた。
オットが独身の頃に購入して一人暮らししていたマンションは地下鉄の駅まで徒歩1分だったし、専属ドライバー(オット)もいるし……。
結局、私は「名古屋では運転しない」とあっさり決め、カバ・ジーノは弟に譲ることにした。
弟はそれから10年くらいカバ・ジーノに乗っていたので、帰省した時にムスメを乗せてもらうことも何度かあって、よかったなと思う。
もしも今も実家にカバ・ジーノがいたら、再び脱ペーパードライバーだったかもしれないなあ。(オットが震えています。)