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幻想の先へ(OSHO.20)

20.BEYOND ILLUSION

OSHO禅タロットの大アルカナについて自分事として書いてみます。

幻想を超えて

非常に難しいカードだと思いました。

シンプルに考えたら、自分を惑わせている幻想を信じずに内なる声を聞きましょう、というような感じ?

OSHOには似たような意味のカードが他にもあります。

7番の「AWARENESS(覚醒)」
2番の「INNERE VOICE(内なる声)」

いずれも自分の直感、本心を大切にしましょうというカード。

左から 7.覚醒、2.インナーボイス 右はウェイト版の20.審判。これはだいぶ意味が違う。

これらと「BEYOND ILLUSION(幻想を超えて)」は何が違うのか。

なぜこの20番という大アルカナの最終段階で「BEYOND ILLUSION」なのか…。

オフィシャルのガイドブックでも、左ページには要約すると「現実に惑わされずに自分の内面を見ましょう」というようなことが書いてあり

右ページには「幻想は存在していない。現実は存在している。まさにその中間にあるのがマーヤーーそれはほとんど存在している(中略)究極の意味においてのみ、あなたの光明の頂きからは、それは現実ではなくなる。幻になる。」

と書いてあり、意味不明(私の頭が悪い?)でますます混乱を極める。


気をとりなおして自分なりに解釈してみます。

たとえば自分が正しいと思う人の教えに従うといういこと。

このお札を貼れば幸せになれる、と言わて(壺、宝石、物はなんでもいいけど)、買ってみたら収入が上がって嬉しい、というような状況があったとして、それがないと不安になり毎年買い続けなければいけなくなるとか。

こうしたら幸せになれます、健康になれます、という人や宗教のことを100%信じて従う。そしてどんどん課金するとか。

しかも、こういことを現代ではなんでも「スピリチュアル」とう耳障りのいい言葉にしてしまうからさらにややこしい。

それって本当に自分が心からやりたいことなのか。
簡単に恐怖や不安をうめるために都合のいいだけではないのか。

自分の頭で考えて判断したことなのか(OSHOは思考=頭で考えることより心や感覚を大切に、というメッセージが多いけど、私は自分の頭で考えるって大事なことだと思っている)。

宗教がわかりやすいけど、学校教育なんかも似たようなものだと思います。

最近はわからないですけど昭和のころは偏差値の良い学校に行ったら幸せになれるとか、何でもみんな同じにしなくてはいけなくてスカートの丈まで決められていた。6月1日から全員夏の制服を着る、とか。


人の思考や情報ではなくて、本当に自分の中から出る思いや考えにたどり着く、というのは難しいことかもしれません。

だからこその20番なのかも。

#OSHO禅タロットを自分事として語ってみる

UnsplashDaniele Levis Pelusiが撮影した写真

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