自我を超える真我の覚醒(OSHO.7)
7.AWARENESS
OSHO禅タロットの大アルカナについて自分事として書いてみます。
OSHO、こういうの、ちょいちょいあるんですよね……
なんかこわい。
何が起きているの!?
カードをひいてこれが出たら大丈夫かなと思うような絵柄です。
例えば、右のFOOLのような状態で何も考えず純粋に音楽をやりはじめてみた私。最初はコード1個弾けただけですごく嬉しい。
でも、2年ぐらいしてちょっと上手になってきたころ、いろいろ考えだしてしまうわけです。
人と比べて下手だとか、人前で歌うなんてやったことないし勇気が出ない。でも楽しそうだからちょっとやってみたいかも、とか。
容姿に自信もないし、人前に出るような人間じゃない、SNSで顔出しなんて恥ずかしい、知らない人に自分から連絡なんてできない、友達に知られたら恥ずかしい、いい歳してと思われないかな、こんなことして遊んでないでもっと働かねば………などなど。
単純に楽しかったはずのことに葛藤が出てきてしまう。
本当はただ楽しく、やってみたかっただけだったのに。
この、面倒なことを考えだしているのは世間の常識や教育の中で身につけた考え方もありますが、ほんとうは自分が長年かけてつくりあげてきた「自我」なんだと思います。
でも、本心はただ楽しくやりたいだけ。
やりたいことがあったら、やってみたいだけ。
そっちが「真我」であり、ほんとうの気持ち。
だとしたら、もう人生残りのほうが少ないんだし、葛藤してないでそっちに従ってしまったほうが幸せじゃない?
という、カードのような気がします(話が長い)。
絵の構図的には、外側の黒い人物は自我であり、今の自分の意識を表しているものと思われます。自分の中から、青い炎が燃えて、自我を突き破って真我が出てこようとしている状態。
中に描かれているのは仏陀だそうですけど、象徴としてはより純粋で精神的なもの、という感じでしょうか。
とはいえ、本当の自分の声に従うのって、これまで頭でいろいろ考えて生きてきた人であるほど、言うほど簡単じゃないと思います。それもよくわかる。だからこんな絵になっちゃったんでしょうかね。でももう、出てきてしまっているものはしょうがないですよね。
UnsplashのJames Ahlbergが撮影した写真