小説『天使の微笑み』3
第三話 息子のひとこと
ある夏の暑い日、美香子と遊馬は、
祖母と、
夏季休暇を取っている
美香子の妹の麻里に会いに
美香子の実家を訪れていた。
美香子は久しぶりに
母と台所に立つことを楽しんでいた。
「美香ちゃん、トウモロコシを
皮をむいて三等分に切ってちょうだい。」
「はい、トウモロコシは
おひげがいっぱいついています。きちんと取ります。」
「あら、いいのよ、適当で。
ひげの部分も栄養があるって前にテレビで見たのよ。
最近は、トウモロコシのひげ茶っていうのも
売っているらしいわよ。」
「…そうなんですか。
では、適当に取ります。まかせてください。」
「はい、まかせました!ふふふっ。なんだか楽しいわね。」
「はい、楽しいです。」
リビングでは、美香子の妹の麻里が、
遊馬に絵本を読み聞かせていた。
「…大きな魚が近づいてきたとき、
彼らは一致団結して逃げることが出来ました。
スイミーと新しい仲間たちは、
ついに安全に海の中を自由に泳ぐことが出来たのです。おしまい。」
「わぁ!すごいや、まりちゃん。
『スイミー』はじめてよんだのに、スラスラよめてすごいね。
…ぼくのまま、えほんよむのへたなの。
まりちゃんがままだったらよかったのに。」
思わず遊馬から出た母親への不満。
「…。」
知的障害を抱えながら育児をしている美香子にとって、
仕方のないこととは言え、
息子の一言にショックを隠せない様子を見せた。
その様子を見た美香子の母、幸恵は、
「遊馬くん、絵本もいいけど、
もうそろそろお昼ごはんよ。手を洗ってらっしゃい。」
「はーい。」
洗面所に遊馬が駆けて行ったのを見送ると小声で美香子に
「気にしちゃだめよ。子供の言うことだから。」
と精一杯の慰めの言葉をかけた。
幸恵自身、知的障害を抱えていても
立派に育児や家事をこなしてきた
娘の美香子のことを誇りに思っていた。
「お姉ちゃんはすごいよ。
あんな元気な子、毎日相手にしてるなんて。
私なんて上司に嫌味言われながら仕事してる方が全然疲れないよ。」
「遊馬くんはお利口さんです。疲れるなんてありません。」
美香子は何事もなかったかのように、笑顔で料理を作り続けた。
その日の夜、会社から敬悟が帰宅した際、
珍しく自分から夫に抱き着いた美香子。
「…まだ、遊馬起きてるよ。うれしいけど。」
「…はい、もう大丈夫です。ありがとうございました。」
「えっ、終わり??」
不思議がる敬悟。
その後、美香子と遊馬が二人でお風呂に入っていると
ちょうど敬悟のスマートフォンが鳴った。
相手は、美香子の母の幸恵からだった。
「こんばんは、お義母さん。どうかしましたか。」
「久しぶり、敬悟くん、実はね、
今日遊馬くんと美香ちゃんがうちに遊びに来たんだけどね。」
「あ、そうだったんですね、お世話になりました。」
「うん、その時、遊馬くん、
美香ちゃんの読み聞かせについてちょっと不満というか、
なんというか、物足りなさを感じているみたいだったの。」
「…そうだったんですね。」
「美香ちゃん、今でこそ読み書きは中学生レベルまで出来るようになったって、
養護学校の先生にお墨付きをもらったけど、
元々得意な方ではないし、
もしかしたら近い将来、
遊馬くんの方が出来ることが増えていくんじゃないかと思うの。」
「…はい、そうですね。」
「敬悟くんから遊馬くんへ美香ちゃんの病気の事話してくれないかしら。」
「…そうですね、
僕もそろそろ遊馬へちゃんと説明しなきゃいけないと考えていました。」
敬悟はそう言うと、幸恵との電話を切り、
息子へどう切り出そうか色々な角度から考えてみた。
と同時に、
「さっきの美香子の抱き着きは、美香子なりのSOSだったんだな。」
と、感情表現が豊かとは言えない
恥ずかしがりな妻をさらに愛おしく感じ、
守ってあげたいと強く思った。
何から守りたいのか、世の中のありとあらゆる
美香子の苦難から彼女を救ってあげたいと思った。
第三話 息子のひとこと …END