弟と別れて初めての「10年」はやっぱり「10年」だと思う。
(今日は長くなりそうなので、もう本題に入ります!)
突然ですが、
人間って、数字に意味を持たせがちじゃないですか。
出会って1年、卒業して3年、あれからもう5年か〜
とか。
私もそう言うこと言って来た1人ですが、
最近はその時間が「早かった」とか思えなくなりました。
今もタイに来て9ヶ月。
早くないし、遅いとも違って、ちゃんと「9ヶ月」なんですよね。
色んなことがあって、いっぱい考えてたからこそ、
簡単に「早かった」の一言でまとめたくないんだと思います。
現在28歳の私は、そこまで大きな区切りを経験したことがありません。
20歳の時は「ハタチいぇーーい✌️」って感じだったので、
あれから10年か〜〜とか、
生まれて20年なのねえ〜なんて思ってませんし、
就職してからまだ8年が経過したところで、大きな区切りもありません。
恋人と付き合って5年!とか、そんな経験もありません。
でも、最近10年の区切りの日がやって来ました。
弟が亡くなって10年が経ちました。
弟との最後の日のことは、今でもしっかりと覚えています。
救急車を呼んだこと、救急隊員さんと話したこと、
救急車に乗り込む前に咄嗟にケータイの充電器を持って来たこと、
父親に電話したけど、なかなか電話が繋がらなかったこと、
疲れ果てて帰宅した時に食べた黒コッペパンの味。
冷たい冷たい、弟の手。
パニックになっている母親の代わりに、
自分がしっかりしないと。と、動き回ったおかげで
今もしっかりと覚えています。
あれから10年。
「早い」のか「遅い」のかも、わからない。
でも、確実に10年が経ちました。
当時、美容専門学校に入学したてだった私は、
美容師になり、スタイリストになり、海外へやって来ました。
大学生だった2人の兄は就職し、1人は結婚しました。
祖父は去年の夏の終わりにコロッと旅立ちました。
祖母は寂しそうだったけど、今は元気に1人を楽しんでいるし、
父はあと1年で定年退職。
いつか弟の後を追ってしまうのではないかと心配で心配でたまらなかった母は、今も元気に生きています。
10年。
家族は人数も変わったし、生活する場所も変わりました。
弟がいなくなって数年。
「私のせいで弟は亡くなった」と自分を責めることをやめられませんでした。
自分だけ年齢を重ねることがいやで、
自分だけお祝いされることが申し訳なくって、
誕生日はわざと遅くまで居残り練習をして帰っていたあの頃。
家族や親戚が集まって、楽しい時間を過ごしている時も
「いつかこの時間は終わってしまう」
と、常に「終わり」を想像して暮らしていたあの頃。
10年の間に、私はたくさんの人に出会って、
支えてもらって、助けてもらって、
「今」と向き合えるようになりました。
自分を認めてあげられるようになりました。
人生を楽しめるようになりました。
いつか来てしまう「終わり」ではなく、
「今」ある楽しさ、面白さを実感できるようになりました。
「未来」への楽しみを想像できるようになりました。
10年前のことは、
絶対にあって欲しくなかったし、
今でも後悔は残っています。
会えるなら、どんな手を使ってでも、
どんな大金を積んででも会いたい、戻って来てほしい。
でも私は毎日生きています。
生きなきゃいけないんだな。とも思います。
弟の分まで、なんて偉そうなことは言えないし、
私は自分の人生で精一杯です。
私は私のために、生きていこうと思います。
でも、このことを無駄にしないように、
自分の一部として、生きていくんだな。
と、思えるようになった10年目です。
10年を迎える前、
私がタイに来る前に、
弟の命日に家族写真を撮りました。
辛くて悲しくてどうしようもなかった日を、
少しでも前を向ける日にしたくって、
関東にいる兄を説得し、
実家で写真撮影をしました。
私が弟の遺影を抱え、
今の家族の姿を写真に収めました。
そして、タイへ来た今。
その写真を見て、「10年」を実感しています。
10年前は、何を見ても涙が出て、
弟の話も積極的にはできなかった。
でも、今、その写真の中で
家族全員がとてもいい顔で笑っていました。
みんなそっくりの顔で。
私にとっての10年は、早くもなく、遅くもなかったです。
でも今こうして笑えていることが、
「10年」なんだと思います。
弟よ、姉ちゃんは頑張って生きてるよ。
君とそっくりな顔で笑えているよ。
ここまでやってこれたのは、間違いなく、
いつも気にかけてくれたみなさんのおかげです。
本当に、出会ってくれた人たちに感謝です。
10年目もたくさん笑っていこうと思います。