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なんとなく消費すること

 田中康夫の『なんとなく、クリスタル』は、1980年に雑誌「文藝」に、第17回文藝賞受賞作品として発表され、単行本として発売されてからはミリオンセラーとなった。モデルの仕事をしながら大学に通う主人公の由利や彼女を取り巻く若者たちの生活は、夥しい数のファッションブランド、レストラン、ミュージシャンに囲まれている。本文に登場する固有名詞には注釈が付けられておりその数は442にも上るが、これらの効果もあって『なんとなく、クリスタル』からは当時の東京における若者の生活がリアルに感じられる。

 一般的に1980年代の社会を大量消費社会と呼ぶことが多い。こうした社会を理論化したのがジャン・ボードリヤールの『消費社会の神話と構造』である。消費社会では、たとえ同じ物であっても記号によって差別化され、人々はそうした記号を消費しているというわけだ。ボードリヤールがフランス語の原書を刊行したのは1970年である。邦訳が出たのはそれからおよそ10年が経過した1979年であるが、これは他の言語に比べて随分と早かった。英語訳は1998年、スペイン語訳は2009年、ドイツ語訳は2015年である。邦訳の早さもさることながら、同書に対する反響も早かった。毎日新聞をはじめ大手新聞各社がすぐに同書を高く評価した。これらの事実に、当時の日本そして東京がいかに消費という現象に関心を向けていたかが表れているように思う。消費社会は当時の東京を特徴付ける現象になり、その影響は建築にも及んだ。伊東豊雄や妹島和世の建築が世界的な評価を受ける際のキーワードの一つとして「軽さ」が挙げられるが、「軽さ」と消費社会の関係が言及されることは少なくない。

 1980年代といえば1970年頃から徐々に盛り上がっていった雑誌文化が最盛を迎えた時期でもある。1970年に創刊されたマガジンハウスの雑誌『an·an』は、フランスのファッション雑誌『ELLE』の日本版として刊行されたが、A4変形の判型でオールカラーのグラビア雑誌というのがウケた。集英社も『an·an』に対抗する形でA4変形でオールカラーの『non-no』を1971年に創刊。このA4変形という判型は、手に持った時に最もかっこよく見えるサイズと言われている。この「手に持った時」というのが、いかにも消費社会らしい。『an·an』『non-no』を契機に、ほとんどの出版社がA4変形を基礎にしたサイズで雑誌を刊行していった。

 ところで、『なんとなく、クリスタル』の由利たちが、大量消費社会に踊らされて物を消費したり所有したりしていたのかといえばそうではない。彼女たちは「クリスタルな生き方」をしているだけなのだ。

「イギリス製の食器や、スウェーデン家具でなきゃ、いやだなんてことは考えなかった。バッグだって、なるべくルイ・ヴィトンだけは避けたかった。特に不相応な生き方をしてみたいというのでもなかった。こうしたバランス感覚をもったうえで、私は生活を楽しんでみたかった。同じものを買うなら、気分がいい方を選んでみたかった。主体性がないわけではない。別にどちらでもよいのでもない。選ぶ方は最初から決まっていた。ただ、肩ひじ張って選ぶことをしたくないだけだった。
無意識のうちに、なんとなく気分のいい方を選んでみると、今の私の生活になっていた。」(『なんとなく、クリスタル』pp.58-60)

 2010年代から断捨離という言葉をよく耳にするようになった。そしてその中心的な担い手は、消費社会で学生時代を過ごし、パワーショルダー、スパンコール、ベルボトムといった装いで都市を闊歩していたはずの主婦たちである。僕の母も例にもれず驚くほど物を所有していない。僕は日々、なんとなく消費しているし、それはなんとなく気分がいいことだ。いまの僕にはとても断捨離をする気など起きないが、いつかはそういう時が来るのだろうか。吉本ばななの「人間がいつも「生きる」ことを意識している生き方というのは、本当に切ないものだ」という言葉が浮かぶ。

参考
1. 田中康夫『なんとなく、クリスタル』河出文庫、1983年
2. ジャン・ボードリヤール『消費社会の神話と構造』新装版、今村仁司、塚原史訳、2015年
3. 吉田則昭編『雑誌メディアの文化史:変貌する戦後パラダイム』増補版、森話社、2017年
4.『GINZA』2018年10月号
5. 吉本ばなな『Songs from Banana Note』扶桑社、1991年
6. 中崎タツヤ『もたない男』新潮文庫、2015年

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