「手で食べる建築」の覚書
ときどき、古い雑誌の新刊紹介を見て本を探すことがある。石井美樹子の『中世の食卓から』もそのようにして見つけた本である。清澄白河にある古本屋「smokebooks」で購入した1991年12月号の『美術手帖』に掲載されていたものだ。
本書は中世・エリザベス朝文学を専門にする著者が、絵画や文学に描かれた料理の話を素材にして中世ヨーロッパの食文化について説き起こしたユニークなエッセイ集である。「常にベストセラーの玉座を占めてきたのは聖書だと言われているが、それに匹敵するのはおそらく料理本である」と著者は言う。聖書が魂を養う書なら、料理本は肉体を養う書だ。美味しいものを求めるのはいつの世も変わらぬ本能であるため、料理本には常に一定の需要があるというわけである。さらに著者は料理本の魅力をこうも語る。「人間の胃袋を満たすというまことにこの世的な使命をおびつつ、不思議な力を持つ魔術師なのだ。かしこまったもっともらしい能書きで人の欲望を刺激し夢を無限にふくらませはしても、それを満たすことはけっしてしない。あの手、この手で永遠に人を引きつけるすべを知っている」。
「甘美なものには手で触れるべし」と題されたエッセイのテーマは食べ方だ。17世紀初頭のイタリアでは既にフォークが用いられていた。その習慣は文人トマス・コリヤットによって同時代的にイギリスに伝えられたが、18世紀になっても手で食べるのがイギリスの正式なマナーだった。その理由について著者はマドレーヌ・ゴスマンの『中世の饗宴』を援用しながら次のように主張する。「人間は長い歴史のなかで常に、「甘美」なものは直接手で触れて味わってきた。甘美なものの筆頭格はむろん性と食。食物と性には、「指で触れる」快楽という点で相通じるものがある」。
そういえば、マンハッタンの老舗「Barney Greengrass」で食べたベーグルの味は今でも忘れられない。指の腹で熱の残ったベーグルに触れた感覚、唇にひんやりとしたスモークサーモンが触れた感覚はとても甘美なものだった。
「甘美なもの」というキーワードは一旦置いて、直接触れるという点でやや強引に建築につなげると象設計集団がすぐに思い浮かぶ。代表的なのは《宮代町立笠原小学校》だ。子供達は登校すると学校にいる間は教室でも校庭でもずっと裸足で過ごすという。同じく宮代町にある《進修館》には「背中ごりごり尻ぺたぺた」という椅子があるが、座って背中をごりごりするととても気持ちがいい。それから、東急田園都市線の用賀駅から砧公園に向かう途中にある《用賀プロムナード》には瓦と玉砂利が敷いてあって、これも裸足で歩くと水のひんやりした感覚と玉砂利のごりごりした感覚が気持ちいい。触覚を刺激するこうした作品は、象設計集団の富田玲子によって「ぺたぺた、ひたひた、ふわふわ、どろどろ、じゃぶじゃぶ、しゃわしゃわ」といったオノマトペで説明されているが、「手で食べる建築」と呼ぶこともできるのではないだろうか。
参考
1. 石井美樹子『中世の食卓から』筑摩書房、1991年
2. smokebooksホームページ.
3. 富田玲子『小さな建築』増補新版、みすず書房、2016年