映像脚本と舞台脚本

舞台は映像作品と違う。
映像は事件を時系列で追っていくのがセオリー。場より時系列の連続性を重視。
舞台は場で起きた事件を書いていくのがセオリー。時系列より場の連続性を重視。

そうでも無い作品ももちろんあるのだが、セオリーはそう。 そのセオリーを無視した効果はアリだが。

なので、ありがちなケースとして映像作品=時系列重視の脚本があったら、舞台作品としてそれをどうリライトするべきか?を考えてみる。

時系列作品では「あれが、あれして、こういう理由で、こうなった」
という構成になるだろう。

舞台作品では「あれが起きた、それはこういう理由だった、そしてこうなった」という構成なのでは無いか。
つまり書き方の順序を変えれば良い。

ほぼ同じだが、映像作品の「あれが、あれして」の状況の流れの中で説明をしていく。 その流れが同じ場所でおきるか、おきないか。

映像作品は場転の自由度が高い。
舞台作品は低い・・・・?本当にそうか?
逆に観客の意識からすると、「ここはどこだ?」という認識は抽象演劇ではより観客に任されるから、より自由度が上がるのではないか?

なかなか結論は出ない。