自己紹介「自分とは何?」
今回は、自分自身の中にある「自分とは何?」を考えてみます
単純にひとことで「自分とは?」を表現すると何だろう?
と、一番に出た言葉は、HORUTAROは「真面目」でした
20歳前後はそう思っていなかったけど、いつごろから「真面目」となったのか?
今回は、HORUTAROの周りからの自分の事を載せてみます
noteの機能を使いこなせていない「いいかげん」。文章も「いいかげん」。「好い加減&良い加減」なHORUTAROほるたろです。
訪れた方、読んでくださる方、本当に、本当にありがとうございます。
自分自身を言葉で表現すること「自己紹介」を目的にして、このマガジンを続けています
不定期で、内容もばらばらねー、と改めて振り返っています
HORUTAROは周囲からの印象では、「いいかげん」「元気」「真剣」ではなく、「真面目」「先に考えすぎる」「堅実」「しっかりしている」という言葉をよく聞きます
言葉でのイメージをそのまま鵜のみにし、生きてみること20年経ちました
いつの間にか「真面目」がしっかりと習慣化、無意識でも真面目で過ごしていました
へんてこ?な「真面目」の鎧をまとい、自分を自分で見張り、自分自身の中でがっちり「真面目っぷり具合」を見張って表現し、行動していました
周りにも「真面目」を押し付け、自分自身にも押し付け、お互いが窮屈です
snsをしている時間が無駄、という思考が働くほど「真面目」で生きてきたので、時代の変化に柔軟な対応ができない自分への違和感が多いこの頃です
(パソコン販売などの情報機器に関わり憑かず離れず30数年、MS-DOS3.0時代からなので…古っ)
成人になってから、ライフステージの変化(環境変化、病気などの体調変化)などから「規則正しく生きる」こと、コツコツと真面目にすることが「正しい」、真面目からはずれると「間違い」と、HORUTAROの自己基準値をつくっていました
そもそも、自己基準値って何?
「自己基準値」は、「価値観」と同じ意味になりそうです(なるかな)
中途半端な自己基準・価値観「真面目」の中に何があるんだろう?
整理整頓する(掃除する、きれいに見せること)
食事は手料理(外食もありだけど、食材のおいしさを知る)
環境汚染になることは控える(これはグローバルすぎる)
地味に暮らす(地味って何よ?)
生活の中で、少しずつ繰り返し、習慣化し、自分の中で違和感があっても「正しくする」真面目な自分がかなりの制御を行っている違和感。
いつの間にか、気づかないうちに自分自身をがんじがらめにしていたのは自分自身だったことに気づきました。
年齢の事もあるけれど、そろそろゆるりと「なるようになる」感覚も現れ、「あるがまま・ありのまま」で、そのものをそのままに感じ、自分の中の感情とも気長に生きてもいいかと思います。
真面目も捉え方で変化する。過ぎると負の影響が強すぎる
深く考えずに、心地よくいられるくらいで充分
自己紹介とは離れているかもしれないけれど、過去の自分を語る上では必要で、どんな感性で、どう生きてきたかの経験で自分を表現すると、「真面目期間」があったなぁ
noteという面白い環境があり、振り返りを表現していくうちに、自分自身が面白く、可愛く、憎らしくも愛おしく感じています
大きく飛躍する20~40歳ごろの年代(私の感覚です)は、体力・気力・変化の吸収力のエネルギーがいかようにもなると思っています
その年代にHORUTAROは、変化について行かないまま「真面目」を貫こうとしていました。
「真面目」とは何か、
嘘やいいかげんなところがない、真剣である、本気である
解るなぁ、安心できることでもある。嘘がないことだからね。
真剣や本気ということは、同だろう?
逆にいいかげんなところがないって、今のHORUTAROじゃない気もする
面目って意味は、信用にもつながることの意味合いもある。
見る言葉、聞く言葉、感じる言葉、考える言葉
同じ言葉の中でも、その時の行動で志向の行方は変化していく
さらに、人それぞれでも、変化し行動もまた多種多様
真面目だって、ひとくくりで表現すると「多様性」なる言葉
さて、「真面目」から連想すると何がでてくるか?
自分の行動や考えに当てはめてみると、これがまたおかしなことに気づいた
表向き(建前?)は真面目なんだけど、周りに振り回されたくないから、「頑固」なだけだったり、変化に臨機応変が出来なくて、「同じルーティン繰り返す」だったり、真面目っぽくない表現にも変化してきたようです
その真面目鎧を脱いでいこうとする自分に気づき、
周囲が過去の「真面目」に戻そうとすることは、まきゆか(HORUTARO)を意識して見て頂いているその人の時間を使っていると受け止め、これからは周囲への感謝の時間を作ることもこれから大切な意味になります
ありがとうございます
このことばは当たり前と言われる言葉ですが、
「ありがとう」は「あたりまえ」の反対語です
意識して見てくださる方々、真面目な自分自身にも、この言葉を伝えることは今までもこれからも永遠に続けること
「好い加減」「好い加減」の「心地よさを感じることとは?」で行動していることで、「周りへのほっとできる姿」をお互いに見ていく人を増やすことが、HORUTAROの使命だと思います
「自分とは?」について、いいかげんから真面目、またいいかげん。
やっぱり、好い加減に不確実性を持っている自分だと思いました
あなたの中の「自分とは?」
好い加減で考える時間もあるといいですね
では