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タロウとルーカスは、絶対に離してはいけない!

2017年5月8日は、待ちに待ったタロウさんとルーカスが、ここ葉山にやって来た日です。

タロウさんは山梨県の、ルーカスは埼玉県の乗馬クラブから、それぞれ私の馬の先生が経営する御殿場の乗馬クラブへ移動し、そこで2ヶ月を共に過ごしてから、この葉山にきました。

先生は他の厩舎から分離された、馬の分娩専用の独立した厩舎を、わざわざ二つの広い馬房に仕切り、タロウさんとルーカスを隣同士にして下さいました。

「これから、この2頭で葉山で生涯を送ることになるのだから、いきなり葉山で一緒になるのではなく、事前に2頭をなじませておきたい。」という、馬への親心にとても感謝いたしました。

この2頭を葉山に迎えるまでの間、タロウさんとルーカスに会いたい一心で、私たち家族は何度も御殿場に通い、2頭の様子を伺い、その都度、先生から教えを頂きました。

ただ、御殿場に行くたびに、気になっていたことがひとつありました。

それは、いつ行ってもタロウさんとルーカスの馬体に、大小様々な切り傷や擦り傷があったことです。結構ザクッといっちゃってる生傷もありました。

私はその理由を、先生がタロウさんとルーカスを馬運車に乗せて、葉山に連れてきて下さってから数日後に、身をもって知ることになります。

この2頭を初めて、葉山の厩舎に入れたときの先生の第一声が、
「この2頭は絶対に離してはいけない!」
でした。

私は意味がわからず、その時は「はぁ」と生返事でお答えしたのですが、内心、「そうは言ったって、馬場に出すときは一頭ずつ出すことだってあるよなぁ。いつも人が二人いるとは限らないし、そんな時は一人で一頭ずつ出さなければいけないし。その練習だってしておかなきゃ。」と思ったのです。

それから3日後、先生から「絶対に離してはいけない」という忠告を受けていたにもかかわらず、私はそれをやったのです。

まず、ルーカスを引き馬して、先に馬場に入れました。
厩舎に残されたタロウさんは予想通り、馬房の壁を蹴る音や、「ヒヒーン! ヒヒーン!」という悲鳴のような鳴き声を上げていて、その暴れている様子は馬場まで聞こえてきました。

ルーカスを馬場に入れた後、急いでタロウさんを迎えに厩舎に戻ろうとしたその時です。

「バンッ!」
という大きな音がした直後、血相を変えて、血眼になったタロウさんが道路に飛び出してきたのです。
無口頭絡という、馬の頭に付ける道具も何もない状態、つまり裸馬が興奮して道路に飛び出してくる状況というのは、今思い出しても背筋が凍ります。

タロウさんは、馬房の扉を蹴破って、半狂乱で道路に飛び出してきて、そこで馬場の柵の中にルーカスがいるのを見た瞬間、それまでの騒ぎがまるでウソのように静かになりました。

私は静かにタロウさんに近づき、「タロウごめんね。もうこんなことはしないよ。お前はいつでもルーカスと一緒だよ。」と心から謝り、手にしていた無口頭絡をタロウさんの頭にそっと装着し、それに引き綱をつないで、馬場に連れて行きました。

馬場でルーカスと一緒になったタロウさんは落ち着き、草を食み始めました。その様子を見てほっと胸をなで下ろしました。

たまたま車が来たり、人が歩いてきたりしなかったから良かったものの、もし暴れ馬を放馬したところに車や人が来たら、大事故になっていたかもしれません。

この間、時間にして7,8分のことです。

厩舎に戻って、驚きました。

馬房の金具

上写真のタロウさんの馬房の扉の赤丸で囲んだところ。右側はその拡大図です。この赤丸で囲んだ部分の金具がなくなっていたのです。
この金具はけっして華奢なものでないし、長いビスでしっかりと固定されています。この金具は10m近く離れたところで発見されました。
そして、馬房の中はまだ真新しい4.5センチの分厚い杉板の壁に、蹄で蹴った深くへこんだ跡が何ヵ所もありました。

「タロウとルーカスは、絶対に離してはいけない!」
このことだったのか。

御殿場でも、タロウさんとルーカスを離したときに、きっと大変な思いをされたんだろうな。
この半狂乱ぶりを目の当たりにすると、あの生傷も納得。
こんなことは、口で教えたってどうにもなることではない。

私はすべてを理解しました。

この日以降、タロウさんとルーカスはただの一時も離したことはありません。馬場に出るときも、厩舎に帰るときも、放牧しているときも、
いつも一緒です。

なかよし

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おしまい。

追伸:このタロウさんの「分離不安」にも似た心理について、私は思い当たるフシがあります。それについてはまたの機会に、記事にしようと思います。

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