圧迫質問にならかった面接試験
毎年、8月になると思い出すことがあります。
平成一桁の時代。
当時、私が所属していた組織の教育課程の、最終段階の面接試験のこと。
この教育課程の卒業時の成績で、以後のキャリアがピラミッド構造のどこまで登れるか、その大筋が決まります。
この時の面接試験はとても重要な、ほぼ卒業試験のようなものでした。
一人ずつ名前を呼ばれ、会場となっている講堂に入ります。
面接時間は一人約20~30分くらいだったでしょうか。
待機している私の前を、
「死んだ。」とボソッと一言いって、うつむいてトボトボ通り過ぎる者。
「終わった。」と言って、青ざめて通り過ぎる者。
様々です。
まぁ、一言で言えば、みんなコッパミジンコに粉砕されたという感じです。
私はいやおうなく緊張し、不安がつのります。
この部屋の中で、何が起きているんだ。
予測できないことへの不安と恐怖。
いよいよ私の名前が呼ばれ、姓名申告をして入室しました。
すでに喉はカラッカラ。
中には恐い、冷たい顔をした試験官が4名。
その真ん中はひときわ恐い顔した偉い人。
部屋の片隅には、こころなしか少し微笑んでいるような表情の、真ん中の人よりも偉い人。(「はい、お手並み拝見」っていう感じでしょうか。)
4人の試験官が並ぶテーブルの前に、椅子が一つ。
座るように指示されました。
無言で指先一つで。
あ、Aさんがいる。
私たちの教育課程での、いわば学年主任と寮長とオヤジ役、全部合わせたような立場の方。日頃接する教官のトップの方です。
いつもどおりの凜々しくて、毅然とした顔。鋭い眼光です。
(でも、この空気の中に知ってる人がいるだけでも、「地獄で仏」の気分)
面接官4人の前に着席して、心臓の鼓動が聞こえてきます。
喉はカラッカラで気道がくっついて。
もう、この空気、緊迫感、耐えられません。
体も萎縮して固くなってしまいます。
なにを質問されるのだろう。ここで失敗したら自分の将来は・・・。
みんなボロボロになって出てきたし。
さしずめ今なら、「鬼殺隊の我妻善逸」状態でしょうか。
真中にいた試験官が冷たく容赦のない声で、
「では、面接をはじめます。あなたは広島と長崎への原爆投下の責任についてどう思いますか?」(←なんか、こんな感じの質問でした。)
なにこの質問!? なんて答えたらいいの?
え! なになに、いま、なんて質問された?
原爆投下がなんだって?
頭の中はぐるぐる回ります。なんて答えたら良いのか分かりません。
こんな漠然として訳が分からない、そして重い質問を投げておきながら、試験官たちは、私を睨みつけて返答を待っています。
「くだらん回答をしたら、ただではおかんぞ!」オーラが、バンバン出ています。
「ハッ、ハイ。」(声がうわずって、ひっくり返ります。)
真ん中の試験官:「質問の意味がわからないのか!」
私:「あ、はい。 あ、いえ。あの、あの・・・」
真ん中の試験官:「君は質問の意味がわからないのかっ!!!」
怒鳴られました。
いきなりコレかよ。一瞬びびりましたが、この語気の強いたたみかけで、逆に吹っ切れました。
「あぁ、そうなんだ、けんか腰なのね。」
どうせなんと答えても、こんな調子でたたみかけてきて、最後は木っ端微塵なんだ。他の同期たちのように。
もういい!
評価なんかクソクラエ!
私は原子爆弾を投下したB-29爆撃機と、キノコ雲を頭にイメージを思い浮かべました。
次に、高高度を飛行するB-29まで、海軍の要撃機「雷電」が、一直線に急上昇していく様子。
パイロットが照準器のど真ん中に、B-29の胴体下部と主翼の接合面を捉えて、20mm機銃弾を全弾撃ち込み、激突寸前に反転。
B-29が撃墜される光景を想像しました。
(元飛行機少年にとってはごく普通の空想です。)
実際にはそうならなかったから、原子爆弾を投下された。
私は、静かに答えました。
「原爆投下の責任の答えになっているかどうかわかりませんが、原爆を落とされた事実に限って言えば、帝国海軍がB-29を迎撃できなかったことが原因だと思います。」
一番右にいた試験官が、目だけを鋭く私に向けて、
「それはどういう意味かね?」
ただ静かに問い返すという感じでした。
「海軍局地戦闘機『雷電』の性能不十分に尽きると思います。」
※実際は性能は充分にありました。他にも紫電改など、迎撃可能な戦闘機もありました。電探技術、情報の不確達、いろんなことが原因です。
試験官の皆さま
「・・・・」
真ん中の一番偉い試験官が、なんかため息をついて、
「はい。もういいよ。終わり。」
私、「はい?」
真ん中の試験官は、私に顔を向けずに下を向いて、何かを書きながら、
「もういいよ。終わり!」
着席した時と同じく、指でポイっていう感じでドアを指さします。
Aさんの方を見たら、赤い顔をしていました。
私は起立して、試験官にお辞儀をし、回れ右して退室しました。
退室して腕時計を見たら、まだ7,8分しかたっていません。
入ってから出るまで、たったこれだけ。
「終わった。みんな20分も30分も面接されているのに、自分はポイってされた・・・。」
すぐに出てきた私を見て、次の番で待機している同期がびっくりした表情をしています。会話は禁止されています。
でも、一言、「終わった。」と言いながら、同期の前を通り過ぎました。
泣きたくなりました。とくにあのポイってされたのが、「お前はいらない」と言われた気がして。
・・・・
その日の夜、校門近くの行きつけのスナックで、やけ酒を飲んでいたら、単身赴任中で夜はひまなAさんが入ってきました。「おう、なにしょぼくれてるんだ。」
スナックのママさんが「さっきからずっとこの調子。」
「バカだなお前。今日のことを気にしてるのか。」と言いながら、隣に座り、話して下さいました。「内緒な。」と前置きして。
圧迫質問とは、
まず、相手との関係性を断ち切る。
その上で、相手を威圧し、萎縮させ、思考を揺さぶり、混乱させておいて、
回答の是非よりも相手のストレス耐性を見る。
臨機応変な対応ができるかどうかを見る。
感情をコントロールできるかどうかを見る。
回答の是非は二の次。
「お前はホントに面白かった。」笑いながら話してくれました。
「はじめから人一倍ビクビクうろたえていて、顔見た瞬間から、これはイジりがいがあると思って楽しみにいたんだ。そしたら、最初の質問から、お前のあの回答だ。
今日の試験官は4人。オブザーバーで隅っこにいた部長も合わせて5人。
お前に2回目に質問した試験官以外は、真ん中にいた主任試験官もみんな、ウイングマーク(パイロット)だった。」
「お前が退室したあと、全員大笑いだった。もう、なんかみんな、やる気なくしちゃってな。役者がかった冷酷な顔するのもバカバカしくなってさ。」
「お前、あの場面で、普通「雷電」、出てくるか? ドラえもんか?
それも真剣な顔して。
試験官が先に笑ったら、試験官の負けだろ。
圧迫質問もなにもあったもんじゃない。
そうなったら試験崩壊だから、お前を退出させた。
みんな気分を入れ替えて、またあの顔を作るまで、時間がかかっちゃってさ。お前の次の番だった〇〇には、いたずらに待ち時間を長引かせて悪かったと思ってる。まぁ、それもお前のせいだが。あっははは。」
「でもな、原爆投下の責任、落とさせた責任って、重いよな。」
こんな先輩方に育まれ、以後定年まで勤めることになりました。
いつも人を生かすのは、温かいつながりだと思います。
人生とは温かいつながり。
冷たいなと感じるときは、深呼吸して、まず、自分の「体」を温かくいたわることが大切かなぁと思います。
温かいつながりは誰でも一つや二つはあるものです。
人だけではありません。
犬や猫、鳥などペットだったり、草花だったり。
読んだ本かもしれません。
ネットの繋がりかもしれません。
温かさを思い出したり、見つけ出すには、静かに呼吸することが大切だと思います。タロウさんとルーカスは、それを思い出させてくれます。
戦争で亡くなった人々への思いと感謝と、戦後を生き抜いて、今の時代をつくった人々に対して、いろんな気持ちを込めて、私たちは今、温かく繋がって生きていくべきだと思います。
おしまい。