テキストヘッダ

ANYPLACE

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 いや、たまにあるじゃん。知らない街行ってぶらぶらするってやつ。なんかもう生きるの飽きたなみたいな時とか、大好きだった女の子にフラれて何もかもどうでも良くなったときとか。

 へー。そういうのかっこ悪いとか嫌いとか言うんだと思ってた。あるんだ。ははは。

 えーそう?そんな風に思ってたんだ。ダサいかな?

 いや。意外だなと思っただけ。

 そう。で、靴ひも結んだ後逡巡して、携帯を靴箱の上とかに置いて行っちゃったりとかしてさ。思い直して、昔のiPodだけ一応ポケットに入れてみたりなんかして。

 ははは。

 えーダサいかな?

 いやまだわかんない。いいよ。続けてよ。

 でさ、まあ、行くんだよ。結局。それでとりあえず電車乗るじゃん。降りたことない駅で降りて、ちょっと歩いて別の私鉄に乗り継いでみたりして。
 あ、なんか良さげなパン屋発見、お洒落過ぎず、寂れすぎてもいない丁度良い塩梅の、その街の人の生活に寄り添ったパン屋だな、なんて思いながら焼きそばパン一個だけ買ってみたりして。齧りながら、ちょっと気分乗ってきたな、でももっともっと遠くまで行かないとなんて思って。

 ふむふむ。

 で、思っちゃうわけ。なんか実家のそばに似てるなあなんて。西田ん家の向かいの交差点じゃないの?とか思って笑っちゃいそうになったりして。クリーニング屋の前の猫ちょっと撫でたり、敢えて細い道入ってみたら行き止まりっていうかいつの間にか私有地だったりしてさ。フェンス超えたりなんかして。もう学校終わってんのかなんなのか知んないけど、ランドセル背負った小学生がぞろぞろ向こうから歩いてきたりして。

 ふふ。

 ふとiPod出して、わークリックホイール超懐かしい、ていうかパソコンに繋がないと更新できない時代のやつなわけだから、もうこれタイムカプセル状態じゃん、みたいな。親指時計回りとか反時計回りに回して、やっぱ齋藤憲彦は最高だなとか思いながら、ダサいと思うななんて公言しながら割としっかり聴いてたバンドの曲とか聴いてみたりしてさ。

 うんうん。

 あーやっぱダサいなー…みたいな。でもさ、何か思い出しちゃうわけ。遠回りして学校行くときの道とかさ。アウトロ終わる頃には次の曲のイントロが頭の中に浮かんじゃったりして。
 これじゃダメだ、と思うわけ。こういう感情にいちいち流されてるからお前はダメなんだよ、みたいな風に思ったり、いやいやそうやって自分の心の柔らかいところを認められない方がダサいんじゃんとか思いながらそのバンドの曲聴いたりしてさ。あーコード進行全部似てるな、なんて。あれ俺、何しにこんなところまで来てんだっけ、いかんいかん、みたいな。

 うん。

 だから、目の前走ってたバス追いかけて行って乗ったりして。ほら、ローカル線のバスはわけわかんないとこまで行っちゃったりするじゃん。それで、敢えて目とかつむっちゃうわけ。こういう時って寝らんないんだよ。でも何とかヶ丘公園前、とか何とか記念病院前、とか何とか南、みたいなバス停のアナウンスをじっと聞くわけ。絶対目開けないぞ、なんて思いながら。身体がぐにゃぐにゃ揺れて、道が入り組んでるのがわかったりして。車内が静かになって、客の気配もだんだん減っていって、ただバスのエンジンの音だけになって。

 それで?

 でも、バスだってどこかで降りなきゃいけないわけ。
 それで、結局降りたそこも、どこかに似てるんだよ。
 というか似てるな、って思っちゃうんだよ。とぼとぼ歩いているうちにさ。あのパン屋もクリーニング屋も猫も、さっき見たのと同じじゃん?もしかしてこれ循環バスだったんじゃん?って錯覚しちゃうぐらい。この街は俺の記憶で出来た街なのかな、って。頭の中の引き出しから出てきたランダムな組み合わせで作られた街並みなんじゃないかな、って。いつの間にかiPodの充電は切れてるし。ま、聴くものなんてないからいいか、なんて思ったりしてさ。もう今さら昔の音楽聴いたって、それは自分の薄い記憶を振り返ってるだけなんだ、とか思うわけ。
 それで、来た道を辿って帰るんだよ。多少違う道を選んでも、寸分の狂いもない座標にある自分の家に帰るわけ。同じような風景をくぐり抜けて。同じような寄り道、同じような音楽を聴いて。同じようなことを考えて。行きよりも、ずっとずっと短い時間で。
 ねえ、俺たちはそういう生き物なのかな。味のないガムを延々噛んでるみたいだよ。

 …そうだね。

 わかる?

 わかるよ。

 わかるんだ。

 でもそれはちゃんとしてもらわないとね。ほら。着くよ。

 え?どこに?

 バスを降りると、空に白いモヤみたいなものが濃紺の空に渦巻いていた。それは光の連なりで、僕が知っている星なんかよりもずっと大ぶりだ。オレンジ色の粒子に靴が埋まる。バスは音もなくその砂を巻き上げながら、坂道の下へと消えていった。
 道の反対側のアーケードの下には、半透明のレイヤーを複数重ねたみたいな、匿名性の高い看板の下がった店子が並んでいる。その向こうにスタックされた箱状の建物が縦に積まれていて、それぞれが垂れ下がった電線や空中街路で繋がれていた。遠い空を、何か紫煙を吐く乗り物が飛んでいる。

 …ドクター。やめてよ。こんなの見せるのは。

 どうして?

 こういうの嫌なんだよ。

 こういうの?

 つまんないよ。これは何?何年後なの?

 何年後とかじゃないよ。

 色を失った珊瑚のような無機質なオブジェから、奇妙な音階の音楽が流れた。飛び飛びの音色の隙間を、低い小刻みな音が満たしている。高速で早送りしたテープを連続で流したのが、たまたま音楽になっているみたいだった。そのリズムに同期して、僕が立っている場所か風景かのどちらかがスライドして動いた。

 ドクター。別に僕は未来が見たかったわけじゃないんだ。こんな風景見せられたって困るよ。何を思えば良いの?全然感動しないよ。ドキドキもしない。嬉しくもないし悲しくもない。つまらないって思っちゃうんだ。

 …だから、これは未来じゃないんだ。

 巨大な箒星が、音もなく頭の上を流れていった。
 前から壁が迫ってくる。気づいたらそれは僕の四方から迫ってきていて、あっと言う間に僕は壁に囲まれてしまう。上から屋根が被されて、光の線が浮かび上がった後薄暗くなった。
 それは僕が学生時代に住んでいたアパートによく似ていた。大好きだったレコードが壁に飾ってある。いつも、隣のマンションの廊下の青白い蛍光灯の光が眩しくて眠りにくかった。埃がきらきらと舞う。

 やめろよドクター。うんざりするよ。これもカマー・タージで習ったの?別にこんなの見たくないよ。懐かしく思えっての?あの頃の気分を思い出せって?

 未来とか過去とか、そういうんじゃないんだよ。
 可能性だよ。

 可能性?

 そうだよ。

 四方向の壁が、今度は屋根ごと空へと飛んでいく。冷たい床の上に寝転がって空を飛ぶ。細かい砂がドクターの形になった。

 現実はガムじゃないんだ。

 わかってるよ。

 海。

 波の上に銀色のボートが浮かんでいる。ははあ。あそこで寝ているのは僕だなあと思う。ガムの包み紙から真理を見出したのは誰だったか。未来じゃなくて可能性か。

 どっちに行きたい?

 ドクターの声が頭の中で聞こえるのがわかった。月が浮かんでいる方向を見上げたら、月は僕のことを惑わすような波形を描きながら移動し、ぱちんと音を立てて消えてしまった。
 手の中で光がぼんやりと浮かんでいる。iPodのホイールをくるくる回す。目では追えないスピードでカーソルが動いていく。ランダムと自分が選択するのとの間くらいで僕の指が



 ねえねえ何書いてるのと、会社から支給されているボロボロのダイナブックを覗き込んで彼女は言った。銀色のボートって何?新店舗のアニュアルレポート明日までに出さなきゃいけないんでしょ?仕事サボって何やってるの。

 可能性、と答えかけてやめる。小説ですごめんなさい。

 …読ませてくれたら黙っててあげる。わたし池井戸潤とか好きなんだよね。

 わかった、出来たら読ませるね、と勇気を振り絞って言う。

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