溶ける呪い
※縦書きリンクはこちらから https://drive.google.com/open?id=0B7K8Qm2WWAURMkN6REZMS0NRM3c
神戸で大学生をやっていた頃の話だ。
男が料理するのは、黒魔術みたいに手の込んだ煮込み料理だけ。
誰かがそんなことを言っていたことを思い出しながら鍋をかき混ぜる。確かにそうかもしれないな。逆に言えば、手の込んだ料理「だけ」を作る女はいないと、断言してしまっても良さそうな気がする。
このところ僕はカレーばかり作っている。夜眠る前に鶏のもも肉にスパイスを擦り込み、味を染み込ませる。朝早く起きてそれを一時間半ほど弱火で煮込む。昼間大学やバイトに行って生活し、帰ってきたら鍋を三十分から四十分くらい強火で煮込んで仕上げる。ご飯にかけて食べる。風呂に入ったら、また次の日のための肉を仕込む。眠る。僕がカレーを作る行程は、最早バレーボールの選手がサーブを打つ時のルーティーンのようなものになっている。
どれくらいそういう日が続いただろう。
僕があまりにもカレーばかりを作るので、半分僕の家に住んでいるような状態になっていた女の子も出て行ってしまった。
はじめは美味しいと言って食べてくれていた。確か三日目くらいまでは。
「カレー以外は?」
彼女は、僕が鍋をかき混ぜるのを眺めながらそう言った。
「カレー以外って?」
「もっと、他の」
「例えば?」
「親子丼とか」
振り向くと、疲れた表情の彼女がいた。
なんだ、それ。
「わたしが食べたいのはもっと、なんていうか、普通の」
「カレーは普通じゃない?」
彼女は黙り込んでしまった。
それから日ごとに、彼女は無表情になっていった。
僕は特に感想を求めたりしなかったけど、最後の日、彼女はうんざりした顔を隠さずに「いつもと同じ味」とつぶやいた。食べ終わった皿を水につけることもせず、彼女は出て行ったきりになってしまった。
いつも同じ味の、何が悪いのだろう。
やたらと爪の色を変えまくる女の子で、暇さえあれば爪に何か塗ったりはがしたりするその仕草や魔女のような色の指先にうんざりし始めていた頃だったので、放っておいた。
一人暮らしのアパートはとにかく狭くて、まな板を置く場所すらなくていらいらする。こういう煮込み料理専用のキッチンになっているのではないかとすら思った。迷い多き国のこの大学生たちは、みな自宅の猫の額より狭いキッチンで、悶々と鍋の底をかき混ぜるのだ。
しかしとにかく、そういう面倒な工程を終えて鍋をかき混ぜ始めると、僕の心には水を打ったような静寂が訪れた。
玉ねぎと鶏肉の入ったスープは、ぶくぶくと泡立ちながら渦巻いた。底からカレーが噴き出しているようにも思えた。
毎日、スパイスにするためのにんにくとしょうがをすりおろしていたので、ギターのネックもパソコンのキーボードも全部にんにくの臭いがするようになっていた。バンドの仲間に指摘されて初めて気がついたのだ。
「最近変だよ」
「何が?」
「練習が終わったらやけに急いで帰るし、ライブの打ち上げにも来ないじゃないか」
家に帰ってやらなきゃいけないことがたくさんあるんだよ。
僕たちのバンドは破綻寸前で、何回同じ曲を同じライブハウスでやるんだよ、という状態になっていた。新しい曲も上手く作れないし、昔の曲をこねくり回してみても、泥だんごみたいな仕上がりにしかならなかった。
僕はいつも、誰よりも早くケーブルを巻いてアンプを壁に向け、スタジオを後にした。
なんか変かな、と鍋を見つめながら自分でも思った。どこかでカレーの呪いにかけられたのかもしれない。
薄暗いキッチンで鍋の中の渦を見ていると、こんなところまで来てしまったか、と思うことがあった。淵に立っているような。ここが果てでないというのなら何なのだろう。僕のささやかな悩みも、宇宙の理も、すべてこの中にあるかもしれないと思わせてくるような魔力が、渦巻くカレー鍋の中にはあった。
もしももっと先に行けるとしたら何なのだろう?どこにたどり着きたいのだろう。
そう思う頃に、カレーはとろりと形を帯びてくるのだった。
それを発泡酒と一緒にお腹に納めてしまえば、何てことはなかった。ただの食事だ。僕自身も自分が作るカレーに関する感想なんて、特になかった。ちょうどいい辛さで旨い。それだけだ。毎日同じ味。それの何が悪い?
ただ、食べ終わったの皿の上には、あっけなさや儚さみたいなものが残っている。
使った皿はすぐに水に浸けておかないと洗うのが大変なので、食べ終わったらすぐに片付けた。風呂に入り、上がったら先に鶏肉を仕込み、そして皿を洗う。
台所を片付けてリビングに入ると、そこはしんと静まり返っている。電気をつけずにそのまま寝てしまおう、という気持ちになる。
完璧な一日。それのどこがおかしいのだろう?
「もう見るのも嫌だ」と試しに呟いてみてからベッドに入ってみたけれど、全く効果はなかった。
僕はきっかり六時に目を覚ましてまっすぐにキッチンに向かい、すぐに鍋に火をかけた。
これが呪いなら。
鍋の底から湧き続けるカレーを、ロボットのように混ぜ続ける呪い。
でも呪いだとして、何だというのだろう。
この木のへらやまな板や冷蔵庫やキッチンや隣の部屋の本や映画のDVDやギターやレコードや部屋やアパートや大学や神戸や国や地球や宇宙や過去や現在や未来を、この鍋の中のカレーが飲み込んでしまったとしても、それはそれでいいような気がした。
今ある現実とそれほど変わらないんじゃないだろうか。
僕の奇妙なサイクルは、ある日あっさりと途切れる。もう、ここに書くのも惜しいくらいどうでも良いようなことだ。僕はその日の晩カレー以外のものを食べ、次の日の鶏肉の仕込みをし損ねたまま眠った。そして次の日ゆっくりと寝過ごし、授業のために急いで家を出た。帰って来ても、カレーを作る気にはならなかった。
バンドは解散したし、爪を気にする女の子は戻ってこなかったが、指先のにんにくと生姜のにおいは消えた。
僕がここで言いたいのは、どんな呪いも必ず解けるということだ。解ける時はあっさりと。
でも今こうして暮らしている時、時々あの鍋をかき混ぜていた頃の気持ちが蘇ることがある。例えばこうやって、パソコンに向かって何か書いている時。行き詰まって、ふと目の焦点が合わなくなったとき。
僕は渦を見つめながら渦に身を浸す。何もかもが溶けて、カレーの味になっていく。目の前のキーボードや部屋や街や…。
だから、こうして「呪いは解けた」のだとはっきりさせておかないと、何だか妙な気持ちになってくるのだ。
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