テキストヘッダ

OUR ONE WEEK/金曜日

※縦書きリンクはこちらから https://drive.google.com/open?id=1jV2b0BWGxXeTERd_aj6d69cqbXjlvmWU

金曜日

■ムカイ
 僕には双子の妹がいたんです。生まれたときから心臓だけしか動いておらず、たった一週間で亡くなってしまった妹が。
 自分でもおかしな話だと理解しています。だから基本的にはあまりこういうことは人には話さないんですが。

 僕はその妹と話をしたことがあるんです。母親の子宮の中で。
 もちろん今こうやって喋っているのとはまた別のやり方での対話です。そこには二つの感覚があります。まとわりつく暖かい空気?水?も含めて自分だという感覚があり、そしてそれが同時に妹のものであるという感覚があります。管や線みたいなものとは違う、もっと流動的な何かで僕たちは繋がっていました。レイヤーとレイヤーの重なり合うところで、感情のやりとりをしていました。
 妹はいつも苦しんでいました。その苦しみが、水を通じて僕にも伝わってくるんです。頭を抱えて、その痛みにじっと耐えている。もしかすると妹は、僕の苦しみや痛みみたいなものを、一挙に請け負ってくれていたのかもしれません。あんなにひしひしといろんな感情が伝わってくるのですから、痛みみたいなものだって分け合えたかもしれないじゃないですか。
 でも妹はそれをしなかった。

 変な話ですよね。実際に面と向かって言われたことはありませんが、皆さんが言いたいことはわかります。「そういうのって思い込みなんじゃないの?」とか「記憶を自分で捏造しちゃってるんじゃないの?」とか。そういうことですよね。
 まあ正直に言えば、僕自身だってその記憶が事実だという確証はありません。妹のことを思い出したのも徐々にだったというか、両親にあなたには双子の妹がいてねということを言い聞かされ続けてのことでしたから。
 いずれにせよ、「ムカイくんはやさしいね」とか「わたしのことをちゃんと理解してくれるね」と言ってもらうたびに、そんな妹との対話というか、繋がっているときの感覚みたいなものが蘇るんです。
 幻肢痛ってありますよね。あれと同じと言ってしまっていいのかわからないんですけど、とても似ていると思います。目の前で苦しんでいる人がいると、それが自分のものみたいに思えてくる。
 そういう不思議な感覚を覚えるたび、妹のことを思い出します。

 やっぱり妹は、僕のネガティブな感覚を、全て背負っていなくなったとしか思えないんです。
 そして同時に、もう今この世に存在しない、心臓しか動いていなかった妹が、僕が母親から生まれてから今までの間に経験した喜びや、これから感じる幸せを感じてくれていたならいいなと思うわけです。
 そういうわけで、別に偉ぶってるわけでもなく、僕がそういう風に他人の痛みみたいなことに敏感なのは、自分と他者の境界が、他の人に比べると曖昧なだけなんだと思うんです。僕はただ、自分が痛いところを押さえるのと同じように、他人の傷を撫でているのだと思います。少しでも気が紛れるように、痛みが早く引くように、と。そんな大それたものではありません。

 あなたにも大切な人がいるのならば、きっとなんとなくわかってくれますよね。

 妹が死んだのはどうしてだろうと思います。どうして僕だけが生き残ったのだろうと。
 生まれたときから心臓しか動いていなかったそうですから、きっと両親は産声を聞くことすらなかったのでしょう。妹と関わりを持てたのは、僕だけなんです。
 妹が死んだ理由はわかりませんが、彼女が死んでしまったことによって、僕がきちんと生きなければいけない理由はできたように思います。彼女の分も、僕が生きなければならない。ふたりぶんの、たくさんの幸せと喜びを得なければいけない。

 そんな風に思っているから、アツミちゃんの感じていた不安や痛みに気づいてあげられなかったのは、痛恨の極みです。

 最近やっとちゃんとアツミちゃんと同じ時間に起きられるようになったんです。仕事を辞めてから、どうも朝寝坊する癖がついてしまって。でも最近はアツミちゃんに申し訳なくて、せめて僕もアツミちゃんと同じ時間に起きて、洗濯物や洗い物をしようって。
 でもその日は二度寝しちゃったんですよ。アツミちゃんって、時々朝めちゃくちゃ早く起きて制作することがあったんです。まだ空が白んでもない時間に、オオカミみたいにぱっと目を覚まして、突然制作し出す。うっすら目が覚めた時、隣にアツミちゃんがいないことに気づいたんですが「ああまた制作やってるんだ、ということは色々思いつめて煮詰まってる時期なんだなあ」なんてぼんやり思って、そのまままた眠ってしまいました。
 その日、目が覚めたらアツミちゃんはもういませんでした。アツミちゃんがアトリエに使っている部屋も覗きましたが、描きかけの絵が何枚も並んでいるだけで。みんな同じような絵なんで、新しい絵を描きかけているのかどうかも判断できませんでした。
 その青い絵を見ながら、そういえばゆうべアツミちゃんは昨夜、コンビニに何を買いに行ったんだろうな、と思ったんです。
 僕がシャワーから上がった後も、別に何か食べたり飲んだりした様子はなくて、もうベッドに入っていましたから。てっきり自分だけ、深夜においしいもの暴食してんのかなって思ってたんですけど。

 と、まあ、とにかく彼女は、雪見だいふくを買ってきてくれると約束していたわけです。そのことばかり考えてしまいます。
 あの約束ちゃんと守ってよ、アツミちゃん、って言いたい気分です。どうして守ってくれないの。帰ってきてよ。
 逆に、どうしてあんな約束したんだろうとも思います。変な話ですけど、あんな約束をしたせいでこんなことになってしまったんじゃないかって思ったりするわけです。ほら、あの、ブラジルで蝶が羽ばたいたら、アメリカでハリケーンが起きるみたいなやつ、あるじゃないですか。
 あんな下らない約束さえしなければ、アツミちゃんはあの日も普通に帰ってきたんじゃないか。
 毎日当たり前のようにアツミちゃんが帰ってくると思っていた自分が間違っていたんだ。
 そんな風に思うんです。

 アツミちゃんはずっと悩んでいました。いや、悩んでいるというか、漠然とした不安に包まれながら生活していたというか。それが彼女の普通の状態になってしまっていたんです。その痛痒い感じに僕も慣れてしまっていた。だから気づいてあげられなかった。
 ほら、絵にもそういうのが現れていると思いませんか?いつもこういう、変な海の風景ばっかり描いてたんですよ。アツミちゃんは、ここは本来自分がいるべき場所ではないと思っていた気がするんです。もっと言えば、人間に生まれてくるべきじゃなかったとすら思っていた気がします。あの人は本当に海ばかり描いていたんです。ほら見てください、どのパレットも全部青いでしょう?青、青、青。黒まで青に見えて来るっていうか。ほんとに青ばっかりだねと僕は言って笑ってたんですけど、きっとアツミちゃんからすると全部微妙に違う青なんですよね。
 だから、ふと何もかも嫌になって、その辺の小さな用水路に流されて海に向かっちゃったんじゃないか、とも思ったりします。
 そういう気持ち、ひしひしとよくわかるんです。僕も、どうにも馴染めなくて仕事を辞めてしまったわけですから。

 今日の夜になって、ようやくアツミちゃんがもう帰ってこないのだということを受け入れられた気がします。
 アツミちゃんの借りたDVDのレンタル期限が、明日までだったんです。
 明日まで。
 明日までだったんです。
 その明日の日付を見ていて、ああ、もうあの人帰ってくるつもりないんだなって。ちゃんとした人でしたから。延滞料金なんて、払ったことないんです。
 それでパーカーを羽織ったんです。

 空を見上げると、月が綺麗でした。空に正円の穴が空いて、黄色い別の世界に繋がっているみたいでした。
 もうアツミちゃんが、あの日何のためにコンビニに行ったのか、知る術がありません。こうして何度もアツミちゃんがコンビニまで行った道を歩いて、アツミちゃんの気持ちを探りました。公園の脇に小さな用水路がひとつだけありましたが、そこはめだかだって泳げないような、干上がった用水路でした。
 こうしてぐるぐる考えていると、アツミちゃんはもう自分の中でいろいろ決めていたのかもしれないなと思います。どうしてアツミちゃんが失踪するほど追い詰められているということに気づけなかったんだろうって、ものすごく後悔しています。
 僕は馬鹿です。大馬鹿です。やっぱりやさしくもなければ、人の痛みに敏感なわけでもないんです。きっと。

 アツミちゃんがいなくなって完全にひとりになると、何だか妹の声がまた聞こえてくるような気がするんです。どうしてまた、人が苦しんでいることに気づいてあげられなかったんだろう。僕は妹の時と同じ過ちを、何度でも繰り返すんです。

 その妹のか細くて小さな呻き声が、過去から聞こえてくる声なのか、それとも現在から聞こえてくる声なのか。僕を呼んでいる声なのか、ひとりでただ泣いている声なのか。
 今はそれがちょっと怖くて不安なんです。

 ——だから僕はただ、誰か耳を塞いでくれないかなと思っただけです。
 寂しさを埋めようとする僕の行動を非難する権利が、あなたにあるでしょうか?
 仮にこれが全部思い込みだとしても、それ自体が病んでると思いませんか。

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