テキストヘッダ

OUR ONE WEEK/日曜日

※縦書きリンクはこちらから https://drive.google.com/open?id=1H6z6_V04wKth-L1s_WQEOS28VbFKV7oD

日曜日

■アツミ
 夜、ひとりで映画を観たんです。昨日レンタルビデオ屋で借りてきていて。とてもいい映画でした。なんでもない人々の、なんでもない日々を切り取った映画です。今日はテレビでもかなり評価の高いパニック映画をやっていたんですけど、なんだかそういう劇的な事件も奇跡的な救いも起きないような映画が観たい気分だったんです。きっと退屈な人には退屈な映画でしょうが、わたしには画面の中の淡々とした世界がとても素敵に思えて、わたしもこうやってぼちぼち生きていこう、と心の片隅で思いました。
 その映画の中で、主人公の女の子がアメリカンドッグを食べているのを見て、わたしもそれがむしょうに食べたくなったんです。それで、ジャージの上にパーカーを羽織りました。
 そういうことってありますよね?映画の中のピザとかハンバーガーって、どうしてあんなに美味しそうに見えるんでしょうね。わたしは映画を見ると必ず、大して飲んだこともないくせに、ウイスキーが飲んでみたくなるんです。海外の俳優の大きな喉仏が動くのを見ると、あの琥珀色の液体がじわりと喉の奥に染み渡っていく感触が、自分の喉にもありありと伝わってくるような気がするのです。実家のお父さんがウイスキーを飲んでいるのを見ても、そんな風に感じた記憶はないのですが。

「どこ行くの?」と、ヘッドホンをして漫画を読んでいたムカイくんが聞いてきたので、ちょっとコンビニ、と答えました。
「こんな夜中に?危ないんじゃない」とムカイくんは心配してくれましたが、わたしはさっと行ってすっと帰ってくるから平気、と返しました。
 ムカイくんはわざわざ玄関まで見送りに来てくれて、「明るいとこ、ほら、遠回りだけど公園の中通って行った方がいいよ」と言ってくれました。
 ムカイくんは、ほんとうにやさしい人なんです。そうやっていつも、わたしのことを案じてくれる。そんな風に他人のことを自分のことのように考えてくれる人は、今まで付き合った人の中にはいませんでした。
 それでわたしも、ムカイくんも何か欲しいものある?と聞きました。
「うーん、じゃあ思いついたらメールする」とムカイくんは言って、わたしの背中を見送ってくれました。ムカイくんがノブを持った扉がゆっくりと閉まるのを、背中で感じました。
 ムカイくんに言われた通り、児童公園の青白い街灯の下を歩きながら、わたしはアメリカンドッグのことを考えました。ケチャップとマスタードを、親の仇かというくらいかけて食べたい。あのほんのり甘い皮の部分が、どうしようもなく愛おしく思えてきました。誰も見ていないのをいいことに、わたしは軽やかなステップで公園を通り抜けました。

 ところが、最寄りのコンビニにアメリカンドッグは売っていませんでした。
 アメリカンドッグどころか、ホットスナックのガラスケースの中は空っぽだったんです。

 よくよく考えたら、こんな夜中にアメリカンドッグなんて買う人はいませんよね。
 しばらく呆然とレジの前で佇んでいたので、若い男の店員さんが奥から出てきて目が合ってしまいました。その顔がどこかで見たことのある顔の気がして、わたしは慌てて外に出ました。何だか物乞いになったような気分でした。
 何も買わなくても、コンビニの自動ドアはファンファーレみたいなメロディを奏でます。駐車場を小走りで駆けながら、コンビニの明かりに照らされたわたしの影が、だんだん縮んで消えていくのを見ました。
 誰もいない児童公園を折り返しながら、もう少し足を伸ばして遠くのコンビニまで行こうかなあとも考えたんですが、公園の砂に残っていた、行きしなの自分のスニーカーの足跡をたどるにつれて、アメリカンドッグを食べたいなんて気持ちはどんどんしぼんでしまって、もうどうでもよくなってしまいました。きっと他のコンビニにも売っていないだろうし、こんな夜遅くにあんな油っこいものを食べたら、胸が悪くなるに決まっています。
 何故かアメリカンドッグに関して、悪いようにしか考えられなくなりました。映画で観たあの輝きは、明らかに色褪せていました。どうしてあんなもの食べたいと思ったのか、ついさっきまでの自分の感情が思い出せなくなっていました。
 足跡の残った何もかも青白い公園は、どこかミニチュアのセットめいた海辺の砂浜のようでもありました。街灯の丸い明かりの外側がぼやけて、現実味を失っていました。
 もう少しで冬が来ます。
 完全な球体となった月を眺めながら歩くうち、自分の行きしなの足跡を見失ってしまいました。
 
 家に着いてみると、ソファの上に携帯電話が置きっ放しになっています。
「雪見だいふく」とだけ書かれた、ムカイくんからのメールが入っていました。二分ほど間が空いたあとに、「なんかすごい食べたくなっちゃった」というメールも入っていました。
 ムカイくんはシャワーを浴びていました。洗面所の磨り硝子の向こうに、ムカイくんの身体のシルエットが浮かんでいます。
 ムカイくん、とわたしが声をかけると、シャワーの音が止まりました。「おかえり」という、くぐもった声が聞こえます。
 携帯持っていくの忘れてて。雪見だいふく買って来れなかった、ごめんね。
 わたしがそう言うと、ええー!、という大げさな声がバスルームの中に響きました。
「雪見だいふくのこと考えながらシャワー浴びてたのに」
 ゆきみ、だいふく~と、ムカイくんは奇妙なメロディで歌を歌いました。
「歌まで作ったのに!」
 わたしは思わずそのメロディに笑ってしまいましたが、心底ムカイくんに申し訳ないことをしたなと思いました。そんなに食べたかっただなんて。
 ぽたぽたと、バスルームの中で水が滴り落ちる音がしていました。
 明日、帰りに買ってきてあげるね。
 そういうとムカイくんは、んんー、という曖昧な返事をして、再びシャワーを浴び始めました。磨り硝子に、水の粒が散って、ムカイくんの影が再び曖昧な形になりました。

 そうか、そんなに食べたかったのか。
 寝転がったベッドは、さっきまでムカイくんが漫画を読んでいたときの形にくぼんでいました。わたしはそのくぼみに合わせて身体を縮めます。残っていたムカイくんの体温が、わたしの肌をかたどります。
 ほんの些細なことかもしれないけど、今日この瞬間に雪見だいふくを食べたかったというムカイくんの気持ちを報いることを、わたしはしないのだなと思いました。別に、もう一度コンビニに行ってあげればいい。でもしない。何だかもう手遅れのような気もするから。それがすごく冷たい感じがしました。
 自分の心の中に、暗くて冷たい場所がある。時々そう思うことがあるんです。
 多分ムカイくんにとっては、今じゃないとまったく意味がないんです。明日雪見だいふくを買ってきて食べたからと言って、今現在バスルームでシャワーを浴びているムカイくんにとっては何の意味もないのです。

 そう、雪見だいふくを食べたいムカイくんを、わたしは殺してしまったのかもしれません。

 おおげさに聞こえるかもしれませんが、きっとそうなんです。そうに違いない。明日のムカイくんが、今現在シャワーを浴びているムカイくんと同じである保証なんて、どこにもないんです。きっとシャワーは、今現在がっかりしているムカイくんから、既に雪見だいふくのあの柔らかくて甘いイメージを拭い去ってしまっているに違いありません。
 ついさっきまでのムカイくんを、わたしは蔑ろにして壊してしまった。
 わたし自身もそうです。昨日のわたしと今日のわたしが同じだなんて、わたしは全然思いません。ほら現に、ついさっきまでアメリカンドッグを食べたいと思っていたわたしは、もうすでに影も形もなく消失してしまいました。
 自分ですら、その自分がどこに行ってしまったのかわからないのです。
 もうムカイくんも既に、わたしの好きな、やさしいムカイくんじゃないかもしれない。
 わたしは時々怖くなるんです。今日と同じ自分が、ちゃんと明日もいるのだろうかって。その不安と裏腹に、眠気がわたしを追い込んでいきます。毎晩死と同じような恐怖を味わいます。明日のわたしは映画のこともアメリカンドッグのこともムカイくんのやさしさも全部忘れた、全く別のわたしかもしれない。幸せも教訓も怒りも悲しみも全部泡みたいに消えてしまって、そこにいるのはその場の感情だけを持ったわたしなんです。息をするごとに身体の組成が変わってしまう、色のないわたしなんです。
 それでも、日々のサイクルだけは続いていきます。朝起きて歯を磨いて仕事に行って働いて帰ってきてご飯を食べて眠る。疲れて何もせず何も考えず眠る。
 それがむしょうに怖くて。

 そんな気分とは裏腹に、目を瞑って暗い闇を見つめていたら、すぐに眠れてしまいました。
 ムカイくんがいつベッドに入ってきたのかすら、わたしは知りません。

 そして魚になる夢を見ました。
 いつか夢見ることを夢見ていた夢でした。
 魚になった私は、目覚めると同時に泳いでいました。泳いでも泳いでも水の中だなと、当たり前のような、不思議であるようなことを感じました。息継ぎしなくても、勝手に酸素が入ってくるというのはこういうことかと思いました。目を開いていても海水が染みることもありません。水と自分の境界がはっきりしているような、曖昧なような、すごく変な気分でした。
 ほら、息を止めてみてください。あなたにもわかるんじゃないですか。
 どこまでも同じような風景が続くなとわたしが感じたのは、人間のわたしの魂が魚の身体の中に入っているからでしょうか。それとも、魚という生き物はみんなこうして、何だか水の中って同じような風景ばかりだな、と思うのでしょうか。
 ふと水面越しに空を見上げてみると、差し込む太陽の光が、網状に水の中をたゆたうのが見えました。
 それを美しい、と思ったところまでを覚えています。これなら、ずっと見ていても飽きないかもしれない。
 その後、どれくらい時間が経ったのでしょうか。
 魚のわたしには、それがよくわからないんです。

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