We Dance
※縦書きリンクはこちらから https://drive.google.com/open?id=0B7K8Qm2WWAURcndudVFCbUY1YUk
大学に向かって必死で自転車をこぐ。古いカートゥーンの表現みたいに、自分の両足が渦巻きになっている滑稽な姿を思い浮かべる。息が苦しい。苦しいのにやめることができない。
時々わたしは、何が自分を駆動させているのかわからなくなることがある。あるとすれば、ぜんまい?モーター?そういう機械的な機構としか思えなかった。右脳と左脳それぞれに役割があるというけど、どちらかの脳がこうしてただがむしゃらになっている自分を冷静に見ているような感じがする。しんどいならやめちゃえばいいのに。すごい形相になってるよ。汗だくじゃん。わたしは右利きだから、たぶんいつも少し後ろに立って腕組みしているのは右脳だ。
「アサコちゃんは、本当に絵が好きね。絵を描いているときはもう本当に周りが見えなくなっちゃうのね」
自身もかつて美術系の大学にいた伯母のその言葉を信じて、わたしは高校生の頃から美術を志した。一度受験に失敗した時もその言葉に縋り付くようにしてデッサンに取り組んだ。半泣きになりながらりんごや石膏像をデッサンするわたしに対して、母親はいつも「辛いなら辞めてもいいのよ」と言ってくれた。
「芸術大学なんてどこも同じよ。入ってからの方が大事なんだから。お姉ちゃんだって、苦労して入った芸大結局途中で辞めちゃったんだし」
そして結局、わたしはこうして一つランクを落とした大学にいる。入らなかったのではなく、入れなかったからである。それでも、母親も伯母も、わたしにおめでとうと言った。
そしていざ美大に入学してみてからよく考えるのは、伯母に「アサコは絵が好きね」と言われたのがどういうタイミングだったのかということだ。記憶が確かならば、それはわたしが机の上にノートを広げて落書きしている時のことなのだ。
周りが見えなくなっているはずのわたしに、どうしてその言葉が届いたのだろう?右脳が聞いていたのだろうか。タチの悪い右脳だ。そうやって冷静なフリをしながら、結局わたしにぜんまいを巻いているのも右脳ということじゃないか。
アトリエ棟に着いたのは、まだ朝の六時半だった。棟の脇に植えられている山桃の木が風にざわめく音と、自分の荒い息遣いしか聞こえなかった。
ガラス戸に近寄ってみると、扉は開かないまま廊下の向こうまで見透せた。朝の青い光が、筒状に長く伸びるアトリエ棟の廊下中に充満している。あるのはロッカーやメディウムなどの入った棚、まだ荷ほどきされていない大型作品の段ボールが壁に立てかけられているくらいで、アトリエ棟とは言え廊下は整然としている。ただ薄ぼんやりとした朝の光がそこにあるだけで、そこは病院のようにも思える。
近年の美大は、げに世知辛い。
ゼミの先生がそう言っていた。おれたちの頃なんていうのは、とにかくずっとアトリエ棟にいて、いつの間にか住まいになってしまって、毛布にくるまって朝も夜も制作に勤しんだものだけどね。いつの間にか眠ってしまって電気ストーブで毛布が焦げたりとか、眠い目で鉛筆を削っていたら指を切って血が止まらなくなって救急車を呼んだりとか。あと、よく裏の畑から野菜盗んで鍋やったな。ははは。実に良い時代だった。君たちは不幸だね。
そう、わたしたちの時代のアトリエ棟は、すべてのガラス戸が自動ドアになっていて、夜十時を過ぎると自動的に施錠されてしまう。そして次の日の七時になるまで開くことはないのだ。
げに世知辛い。わたしもそう思う。あんたらみたいなのがぼや火事起こしたりしょうもない理由で救急車呼んだり野菜泥棒したりするからこういう時代になったんじゃん、わたしたちのせいじゃないじゃん、これじゃどんどん世の中は悪くなっていくだけじゃん、と思う。わたしたちがするであろう悪いことを先回りして、しらみつぶしにしていく世の中。未来に希望があるとすれば医学や科学の発達くらいしかわたしには想像できなくて、百年以上前からあるような木を削ったり鉄を溶かしたりして何かを形作ることを学んでいるわたしの未来なんてお先真っ暗なんじゃないかと嫌でも思わされてしまう。悔しいけど。でもそれを信じることができるほどの心の強さも技術も才能もわたしは持ち合わせていないのだ。
「誰もいないのに、段々できあがっていく作品がある」
暇を持て余してふと携帯を開くと、やはりそう書かれているのが目に入ってしまう。薄暗がりのノイズだらけの写真の中に作りかけのわたしの作品が屹立している。撮り方のせいもあるのか不気味にしか見えない。
わたしはどうしても作りかけのものを見られるのが嫌で、いつもこうして朝から制作をして、ちらほら自主制作しに来る学生が出てくる昼前には帰る。えらいねとか学生の鏡だとか言われるけど、横並びで作りかけの作品に向かい合っている状態が気持ち悪いだけだ。
悲しいことに、昨晩わたしはそのSNSで初めて自分の作品を客観的に見てしまったのだ。遠目に見ると、どうにも空間に馴染んでいないように見える。失敗したテトリスみたいだなあと思ってしまう。あの単調の音楽まで頭の中で鳴り出して、衝動的にあれは没にしようと思ったらいてもたってもいられなくなってしまって今に至る。
写真はやはり不気味だった。一刻も早くぶっ壊したいと思った。マンガみたいな3トンとか5トンとか書いてあるハンマーで叩き潰すか、映画に出てくるみたいなショットガンで吹き飛ばすかしてしまいたい。人を殺したいと思う感情と似ているなと思う。いつかわたしはこうやってかっとなって、マンガみたいに人を殺すのかもしれない。
見れば見るほど、それは本当にテトリスで、下の方に取り返しのつかない隙間があるように感じてやっぱり何だかむしょうにやるせない気持ちになった。
例えばわたしが、この作品みたいに、もうどこかのタイミングで既に取り返しのつかないことになっていて、美しい事柄や美しいものを作るためのことを一生懸命学んでいたとしても、それは将来的に自分に人生に必ず浮き立ってくる穢れた染みを際立たせるだけなんじゃないだろうか。
昇り立ての太陽の光が、アトリエに歪な影を落とす。その影の落ちた床にも、わたしが落とした白い塗料の痕が落ちていた。
自動ドアの反対側にはデザイン科の棟がある。美術科のわたしたちはいわゆる「食えない人たち」だ。絵が好きだから美術科に入った。でも別にデザイン科だって絵は描ける。入試はどちらにせよデッサンだった。高校生の頃、デザインがどういうものなのかなんて教えてもらったことはなかった。
どう頑張ってもあっちに行けばよかったと思ってしまう。世の中のせいじゃん。だって役に立たないもん。そう言い切ってしまいたくなる弱い自分がいる。美しいものが好きだけど、デザインだって美しいとわたしは思う。人の役に立つためにある、デザイン。美しいじゃん。これ以上ないくらい美しいじゃん。でもそんなの、受験する前には誰も教えてくれなかった。デッサン、デッサン、デッサン。そこにあるものを、そこにあるのと同じように描きなさい。それだけを考えていた。長い廊下の先にあるデザイン棟を見ていると、目が霞んだ。
もうだめかもな。
と、霞んだ視線の先にそこに踊っている人が現れた。
長い影が、こちらに向かって伸びていた。モノクロの古い映画を見ているみたいだった。バレエ?舞踏?つま先立ちのままゆっくりとしたステップを踏むそのダンスは、細く伸びた指先まで、いや床にへばりついた影のてっぺんまで完全に神経が通っているように見えた。影は作品の入った段ボールやわたしの画材が入っているロッカーまで薄く伸びて全てを撫でていった。
きれいだな。素直にそう思った。
よくお手洗いや学食横の詰所近くで見るその清掃婦のおじさんは、ガラスの向こうにわたしがいることに気がついて踊りをやめてしまった。その、やめてしまう瞬間も、踊りの一部であるみたい見えて、わたしはしばらくおじさんが踊り続けているように見えた。非常口の方におじさんが消えて初めて、そのダンスが終わったことに気がついた。わたしの頭の中で鳴っていた、何かの音も鳴り止んでしまった。
ふいに自動ドアが開く。長い廊下に蛍光灯が灯った。七時になったのだ。
「早いね」
おじさんは非常口の手前をモップがけしていた。話しかけられて思わず立ち止まってしまう。
「見たよね」
「見ました」
おじさんの目から表情を読み取ることができない。ばつが悪いのか。それとも何も気にしていないのか。じゃばじゃばじゃばとモップをバケツに浸す音だけが聞こえる。
「こんなおっさんでも踊るんだって思ったでしょう」
「いやそんなことは」
「おじさんでも踊るんですよ」
そうなんですか。
「誰でも踊れるんですよ」
おじさんはかつて路上生活者だったらしい。若いときに「地下街の人びと」という本を読んで感動して、そういう生活を選んだ。
ある日、路上で演奏するミュージシャンたちに集まる人だかりの横で-----おじさん曰く縄張りで-----眠っていたら、声をかけてきた人がいたのだという。
「一緒に踊りませんか」
ミュージシャンたちが演奏を終え、人だかりが消えた後で話しかけてきたその人はプロの舞踏家だった。道端に寝転がっていたあなたから、生きるということのエネルギーを感じました。寝ていたって踊っているようなものです。ダンスは人間が持っている本来の力を表現するための手段のひとつです。今みたいに、舞台で寝てくれたっていい。あなたは多分やれます。
最初は意味がわからなかったけど、言われた通り本能のまま踊っているうちに、何だかその人の言っていることがわかるような気がしてきて、今もずっと踊り続けている。
「あの、発作みたいなものなの」
もう踊らないでいられないときがあるとおじさんは言った。
「君たちが歩く長い廊下にモップをかけているときも、踊りのことを考えているの。右足、左足って歩いているだけなんだけど。でもダンスなの、それも」
俺はね、君たちがうんうん頭を悩ませながら作ってるゲージュツのことがまったくわからないよ。毎朝ここの棟にモップかけながら、本当に意味わかんないなと思うよ。
おじさんはガラスの向こうに見えるわたしの作品を指差しながらそう言った。意味わかったためしがないんだよ。何あれ。はははは。おもしろいよね。でも、机の上にノート広げて勉強してるだけの大学より掃除してて楽しいから、ここで働いてるんだよね。俺、もともと怠け者なわけだからさ、すぐ踊るのやめちゃうの。でもここで君たちの作ったもの見てると、踊んなくちゃなと思うんだよね。制作展とかで出来上がったもの見ても何も思わないんだけど、でも、ああやって作りかけのもの見ると踊りたくなるんだよ。最近は掃除してるときが一番楽しいんだよね。自分の部屋は汚いけどさ。でも何も考えなくても身体が動くんだよね、こうして掃除しながら君たちの制作見てると。
おじさんの持っていたモップは金具に布を挟むタイプのもので、硬くてギリギリ武器に見えないこともなかったから、わたしはわたしの作品を壊してもらうのを手伝ってもらった。
「ごめん、あなたの作品だとは思わなかったので」
いやいいんです、今日これぶっ壊しに来たんですよ、と言うと、おじさんが本当に申し訳なさそうな顔をしたので、わたしはおじさんの持っていたモップを奪い取って一直線にテトリスに向かい、振りかぶってそれを叩き壊した。四角いブロックが奇妙に積まれた形だったそれは、白い粉を舞い上がらせながら粉々に砕け散った。
おじさんはその後、黙って掃除を手伝ってくれた。ごめんねえ、そんなつもりなかったんだけどねえ、いやいいんですほんとにぶっ壊しに来たんでというやりとりが何回かあった。
わたしはおじさんがアトリエ棟を去るとき、廊下にモップをかけながらステップを踏むのを見た。不揃いで奇妙で不格好で、真似できないステップだ。おじさんの背中が揺れながら遠ざかっていった。わたしが壊した作品が散らかって出来た白い粉を拭いて濡れた跡が、廊下をずっと続いていた。
新しい作品に鑿を打ち始めながら、わたしは美しいダンスをイメージする。身体が勝手に動く。動く、動く、動く。
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