I Want You Back
※縦書きリンクはこちらから https://drive.google.com/open?id=15wuHUrV61fn1bwitckEpqc7AD3Tq6oQd
玄関の扉に手をかけて家を出ようとする彼を呼び止めたら、彼は振り返ってくれたのだけど、その背中を敵兵に狙撃されてしまった。まさかこんなに近くまで敵が攻めてきているとは思いもしなかった。
わたしは急いで扉の物陰に隠れながら彼を部屋に引きずり入れたけど、彼はもう既に息をしていなかった。銃弾は彼の心臓を貫通していた。目を閉じてあげてもまだまぶたが痙攣していて、生きているみたいに感じた。胸に開いている穴から、現実感がとめどなく流れ出ていた。しばらくすると、現実が尽きてしまったみたいに、敵兵が笑いながら去っていく声が聞こえた。
撃たれ、わたしの顔をまっすぐ見ながら目を見開いた彼の顔を覚えている。驚いたその瞳には、きっとちゃんとわたしが映っていたと思う。
死ぬ瞬間には、脳にアドレナリンが放出され、あらゆる物事がスローモーションに見えるという。ことによるとこれまで生きてきた記憶も次々に蘇るらしい。思い出すことに脳の機能の大半を使っていたとしても、最後に見たあの、わたしを含む最後の風景は彼の脳裏に焼きついたことだろう。
どこか遠い国の風習では、一年に一回、死者が現世に帰ってくると信じられていて、そのためにいろいろと準備をするらしい。
どんな準備なのだろうか、とまだ彼を埋めてもいないのにわたしは想像していた。部屋を綺麗にして、ごちそうを用意するとか、生きている大切な人を迎えるのとそんなに変わらないことを想像した。
銃弾はわたしたちの家の木の扉をも貫通して、玄関の奥の壁に突き刺さっていた。万年筆のような大きな弾丸だった。拾い上げると、肉片も血も付いていなかった。机の上に置くと、本当に万年筆みたいに見えて、何か誰かに手紙でも書こうとしているような気持ちになった。
もしわたしが彼を呼び止めなかったら、彼がわたしの声を聞いて振り返らなかったら、この銃弾は彼の心臓を突き破らなかったかもしれない。そうしたら、彼は死にはしなかったかもしれない。胸に開いた風穴から、向こう側を覗かせてくれたかもしれない。そういう人だったから。そう思うと、わたしは遣る瀬ない気持ちになった。
ふとわたしは奇妙なことに気がついた。扉を、彼の心臓を貫通して、玄関の壁に刺さっている弾丸は、どうしてわたしを通過しなかったのだろう?
弾丸がまっすぐに飛んできたのであれば、その弾丸はわたしを通過しているはずだった。彼の分厚い肉体が、わたしの肉体を突き破らない程度にその威力を弱めてくれていたとしても、わたしが被弾していないのはどうしてなのだろう?
彼があるはずのない弾を食らったのかもしれないし、わたしが存在するはずの弾を受けなかったのかもしれない。どれかが不在であるのは確かなはず、ともう一度机の上にある弾丸を手に取ってみて、わたしは考えるのをやめた。死者を思おう。
痙攣することを止め、目を閉じている彼は、眠っているだけにも見えた。もしかしたら彼の魂はまだ自分が死んだことに気が付いていなくて、わたしの元に戻ってきたつもりになっているかもしれない。わたしが広げた腕の中に飛び込んで、ものすごく甘えた気持ちになっているかもしれない。わたしは彼のごわごわした髪の毛を撫でるふりだけでも、馬鹿馬鹿しくてもしてあげるべきなのかもしれない。
玄関の三和土に無理やり彼を座らせて胸の穴を覗き込むと、わたしたちが住んでいる家の中が見えた。わたしの目の周りは、まだわずかに残っている彼の体温で暖かかった。彼はやっぱりわたしに甘えたがっていて、さっきわたしに向かって積もり積もった感情を爆発させてしまったことを悔やんでいた。
わたしはたくましい身体の、そのせいで素直にわたしに甘えることのできない彼の声を思う。空気を緩やかに振動させる、彼の優しく低い声を。
もう一度彼のまぶたを開かせて見つめ合う。心を映す鏡だった瞳はもう何も映していない。わたしはそこから何か読み取れていただろうか。読み取り続けて来られていただろうか。
彼の身体に開いた穴から見える風景は水面に映るみたいに震えていた。穴を覗き込んだまま、帰ってこなくてもいいわよ、とわたしは吐息だけで呟いた。今度は穴の先の暗闇だけがたゆたうように震えて歪んだ。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?