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※縦書きリンクはこちらから https://drive.google.com/open?id=0B7K8Qm2WWAURdlhNOUk0UktvY0E

 打ち明け話というのは、ほとんどの場合極端に個人的なものだったり、さしたる事柄じゃないことが多いので、すぐに忘れてしまうものだ。
 でも一つだけ、今も忘れられない打ち明け話がある。

「生き別れの姉がいるんだ」

 と、Yは言った。

「そんな話、聞いたことなかった」
「話したことなかったから」

 学生時代に友人同士で開いた、写真展の準備をしているときのことだった。
 ギャラリーとは名ばかりの、半分物置状態になったビルの四階を、みんなでお金を出し合って借りたのだ。
 窓を開けるとすぐ近くを走る地鉄の高架が見えて、四六時中すごくやかましかったけど眺めだけは良かった。
 周辺でトリエンナーレが開催されていて、それに便乗して客寄せをするために、できるだけ安くて便利の良さそうな場所を借りたのだった。
 今思えば、最初で最後の、全部自分たちで作り上げた展示だった。

「馬鹿げた話なんだけど、馬鹿にしないで聞いてくれるか」
 塗料の付いたローラーを持ったまま、Yはまっすぐに僕を見た。壁を塗っていたのだ。オーナーから、もうずっと使っていないから君たちの好きにしてくれていいと言われていた。
「自分でもあまりにも馬鹿げてると思うから、こうやって何かしながら話すくらいがちょうど良いんだ」
 僕は壁にローラーを走らせながら、いいよと答えた。壁は、仲間の女の子の提案でブルーとグレーの間くらいの色に塗り替えられていった。ローラーに付ける前の塗料の色と、壁に塗った塗料の色が、少しだけ違うように見えた。
 
 Yの話はこうだ。

 俺には、生き別れのふたごの姉がいる。
 馬鹿げた話だけど、姉は部屋だ。部屋。空間。床と天井、そして四方を壁に囲まれた、あの部屋だ。
 別に壁に心臓や血管が浮き出ていたりするわけじゃない。なんの変哲もない部屋だ。
 木でできた丸い机と、グレーの布が貼られたカウチソファがある。壁際に背の低い茶棚がひとつだけあって、そこにポットやらマグ、小皿なんかが置いてある。キッチンは狭い。シンクの上には、換気用のダクトや水道管が剥き出しになって絡まっている。カウチソファとラウンドテーブルがある。日当たりはぼちぼちと言ったところだけど、何せ物が少ないから明るくてがらんとした感じがする。壁は白い。昼間、どこかの水たまりが反射して、その壁にたゆたう光を落としている。カーテンはない。夜になると、その窓には明るい街並みが映っている。姉はオレンジ色の小さな光を灯す。
 ざっと言うと、そういう、白い、何の変哲もない部屋だ。
 幼い頃に何度か姉の夢を見た。姉は都会のどこかにいる。都会という言葉だって知らないくらい幼い頃の夢だ。俺が田舎育ちなのは知ってるだろう。夢の中で、俺は巨大なビルの立ち並ぶ街並みの中から姉を見つけ出して、しばらくの間一緒に暮らした。
 都会にいる間に、いつか生き別れた姉が俺を導いてくれるような気がしていた。会えば、俺にはそれが姉だってすぐにわかる。別に俺の傷ついた心を癒してくれるとかではないけど、安心するっていうのはこういうことか、って俺は姉に会って初めて知る。
 そう思いながらこの街で暮らしてるんだ。

 生き別れたふたごの姉である、部屋。

「でもやっぱりそう簡単には見つからないんだよ。そんなに都心に出ずとも、僕のアパートのそばにも無数のビルが立ち並んでいて、途方に暮れる。窓が多すぎるんだよ」

 窓が多すぎるんだよ、とYは嘆くように言った。

 Yはこの街並みの写真を展示した。灰色の写真の中に、無数の窓が写っていた。確かに窓が多すぎて、きっと全ての窓の中を確かめてまわることはなかなかできないだろうなと思った。
 Yが何を思いながらシャッターを切っていたのか、僕は何となく想像しながら写真を眺めた。そういう話があったから美しいと思ったのか、本当に写真が美しかったのか、未だによくわからないところがある。

 Yはその後すぐ、大学を辞めた。父親が病に倒れて、実家のさくらんぼ農園を継ぐことになったのだ。絵は農園をやりながら続ける。土地だけはあるから、納屋でも改装してでかい絵を描くさ。別に大学にいなくたって、俺のやりたいことは続けられる。そんな風に言って、Yは窓の多い街を去って行った。

 もう十年近く前の話だ。僕は大学を卒業した後も、この街に残っている。
 街中でビルやマンションを眺めていると、窓が多すぎるんだよ、というYの声が思い出される。黄色や白やオレンジ色の光が、街の窓にあふれていた。
 それでもどこかでYの姉が確かに息をしているのを、どうしてか僕も感じる。

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