乳首の呪い
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グミを食べるときにいつも思い出す話があるんだよね。
高校生の頃塾に通っていて、俺は結構頑張って受験勉強していたから、学校が終わった後すぐ塾の自習室に直行するわけ。そのまま夜の十時くらいまで勉強してから帰るんだけど、結局腹が減るから、塾友たちと近所のスーパーまで行って惣菜を買って食べるっていう。今思い出すと、それが楽しくて勉強頑張れたみたいなところがあって。
で、誰かがグミを買ってきたことがあって。
「グミって乳首みたいだよね」
って、仲間のうちの一人が言ったわけ。
まあ俺たちもただの高校生男子だったわけだから。みんなで一粒ずつもらって食べたりして。ほんとだ乳首みたいだ、乳首より乳首っぽいねとか言ったりなんかして。おいお前ほんとに乳首っぽいかどうかわかるのかよ、みたいな。誰かが前歯だけで齧って食べて見せたりなんかしてげらげら笑ってさ。
あの、勘違いしないで欲しいのは、俺がグミを食べるときに思い出すのはあくまでこの話、みんなで塾の休憩室で惣菜並べてげらげら笑いながら「グミって乳首に似てるよなあ」って笑っていたことで、乳首のことではないんだよね。「ああ、本当に乳首みたいだなあ」とか思って誰かの乳首を想像したり思い出したりして、いやらしい妄想に耽ってるわけではない。というか、俺にとっては「グミって乳首に似てる」んじゃなくて、「乳首がグミに似てる」んだよね。
でも最終的にはやっぱりどうしようもなく、同じ制服を着た俺たちが、もっともっと下品でくだらない話をしながらカップラーメンを回して食べたり、汗ばみながらじゃれあったり、真面目に好きな子をどうやってデートに誘うかを相談していたときの空気と一緒に、どこかの誰かの乳首一般のことを思い出してしまうわけで。
そこまで一息に話してようやくKは、指先に摘んでいたハリボーベアを口の中に入れた。
僕はKがハリボーを口の中で転がしている横顔を眺めていた。夏の午前中の白っぽい光が、Kの向こうにある窓から入って、古い映画みたいな粒子の荒い影を落としている。
夕べKと一緒に観た映画みたいだ、と僕は思う。Kはゆっくりとグミを飲み込んだ。
俺が言いたいのは、こういう呪いって誰にでもあるんじゃないかってことで。俺が乳首の呪いにかけられて、グミを食べるたびに乳首、そう、女の乳首のことを思い出すように、何の関係もない事柄から全く別のあられもないようなことを思い出してしまう呪いを、誰もが自分に刻み付けているんじゃないかって。俺は自分がこういう呪いを持っていること、それから自分が他の呪いに気づいていないかもしれないこと、自分が他人を呪っているであろうこと、それからお前も何かしらの呪いを持っている可能性があるということ、そういうことが恐ろしく感じる瞬間があるんだよ。
お前ならわかるだろ。俺たちは呪われてるんだ。
Kがわずかに身じろぎしたときに、ささやかな衣擦れの音が聞こえた。Kが立てる物音が、いつも僕には、他の人とは違って、何かあらかじめ計算されて作られた、端正な工芸品のようなものに聞こえるのだった。
それもまた呪いなのだろうと僕は思う。
「うわー!!!!!!!!」
僕がベッドの上に立ち上がりながら大きな声を出すと、Kは「ひっ」と小さな悲鳴を上げた。それもまた、静謐な音に、僕には聞こえる。
僕は自分の乳首にハリボーベアをあてがい、爪先で立った。
「ベア川哲也」
僕たちは呪いそのものだ。呪いによって生まれ、呪いに引きずられながら生き、新たな呪いを生成する。Kが言う「呪い」以外で、俺たちの存在は自己を形成し得ない、僕はそれを呪いとは呼びたくないけど。
「ちくベアー」
「呪い」を、呪い以外で祓うことは出来ないだろうか。もっともっと優しくて、それでいて劇的な魔法のような力で、Kを呪いから救うことが出来れば。窓の外を、鳥か何かのシルエットが横切っていくのを僕は見た。一瞬自分が何をやっているのかわからなくなる。
「ベ、ベア…グミ…」
「もういいよ」
Kに呆れた顔をされながら僕は、Kを呪う、出来るだけ強い呪いで、と胸の中で誓う。世の中にある他のどんな呪いにも負けない呪いを。
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