効用のある小説
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僕の小説を読むと、失くしたものが出てくるらしい。
「お前がネットに上げてたやつ、初めて読んだよ」
ありがとう。でも、こんなに仲良しなのに初めて読んだのか。
「そしたら、失くしたと思ってた一万円が出てきたんだよ。小説の中にバンドの話が出てきただろ。それでふと――思い出したわけだ。あ、あいつに貸してた一万円、レコードと一緒に貸してたんだ。それで、一緒に返ってきたときにスリーブの中に入れてたなって!」
これを読んだあなたも、失くしたものを思い浮かべて、机の下とか本のページの間とか探してみるといい。いやでも少し待ってください。まだ続きがありますし、読みきらないと効果はない、と伝えておく。僕が書いている以上、効用の範囲みたいなものだって僕に決める権利があるでしょう。
もちろん、たかが一万円が見つかったくらいで、こんな大見得を切るようなことは言わない。
「失踪していた猫が会いに来てくれたの」
それは僕が我ながらしょうもないなあと思いながらアップした小説の感想で、感想をくれるのはありがたいのだけど、この人の場合は代わりに自分の小説も読んでくれという裏メッセージがおくびもなく現れている感想なのでたちが悪い。でもその日はちょっと様子が違った。
「すごく感動したわ。泣いちゃった。わたし、アンナ・カレーニナでも泣かなかったのに」
アンナ・カレーニナを読んだことがないので引き合いに出される意味はよくわからないが、まあ涙を流すほど感動してくれたというので良しとする。
「それで、あなたの小説のことをぐるぐる考えながら――短いのにいろんなことを考えさせられる小説だったわ――眠ったの。大切な人と生き別れるって辛いわ、それでも人が生きるということは、結局孤独と隣り合わせなんだわ、なんて思いながら」
そんな話書いただろうか?まあ大作家はみな、「読者に委ねる」と言うので僕も黙っておく。
「そしたら、猫が会いに来てくれたの」
「で、その猫は?」
「頭の中にいるわ。このところ毎日会いに来てくれるの、夜。生きているわけないじゃない、数十年以上前にいなくなった猫よ」
ははあ、この人は小説のことばかり考えているせいで創作の世界に取り込まれてしまったのだなあと思っていたのだが、それから何人か他の人にも、「無くなったと思っていた本が返ってきた」とか「死んだ親父が夢枕に立った」とか言われるのだ。それは決まって、僕の小説を読んだという感想の後だった。
ほら、もう少し我慢してください。もしかしたらもう既に、もう会えないけど会いたい人とか、どうしても見つからない探し物が頭に浮かんでいるかもしれませんが。
では僕は?僕自身は僕自身の小説を読み返して、失われた何か見つけることが出来るのか?
答えはイエスだ。僕は自分の小説を読んだ。へえ、と思った。こんなこと書いたっけ。ははん。
そしてふと、頭の中に思い浮かぶ光景があった。もうすっかり忘れていたようなことだ。重たくて冷たくて開けるのも億劫な引き出しに入っていた記憶だ。
――誰が喜ばしいものだと言いましたか?それは僕が思い出したくもなかったことです。あんなこと言われたくなかった、言わなければ良かった、口の中がからからに乾き、硬くて柔らかい粘つく指先の感覚、泣いてる目、呼んでる声、逆巻く肌、汗ばんだ身体が夜の底で冷え込んで、後戻りできないくらい深く沈みこんでいくあの感じ――。
思い出しましたよね。結局読書は記憶を巡る旅でもあるわけですから。
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