【埼玉】大宮にあった競馬の灯火

全国三大競馬のひとつだった大宮競馬

埼玉県の競馬の歴史は、昭和2年に秩父で始まり、以降、熊谷、川越、大宮、春日部などを経て、現在の浦和競馬場へと行き着きます。

その中で、大宮競馬場は1周1,600m、幅員27mの大きなコースを持ち、昭和6年12月に初めて開催されました。「埼玉県にあつては戦前、最高の売上げ」と資料に書き記されており、大宮競馬の出だしは好調でした。

開催は年2回、当初は各開催3日間だったのが4日間となり、売り上げの勢いは増していきます。昭和9年には143万円、昭和10年は176万円を売上げ、「浦和の十億円、ニ十億円以上の価値」と評されていたほどです。

実は、大宮競馬が行われていた時期は、馬券発売が禁止されていました。可能だったのは入場券に景品をつけるもので、今のように幅広い馬券を楽しむことはできず、大きな制限の中、競馬が行われていました。
そのような中でも、大宮競馬の売上げはトップレベルにあり、東京の羽田競馬、神奈川の川崎競馬と合わせて、全国三大競馬として名が知られ、強豪馬が各地から集まり、白熱したレースが行われていました。

しかし、大宮競馬場の歴史は突如として幕を下ろすことになります。戦争が激化し、兵器の大量製造が急務となったことから、昭和14年に廃止され、飛行機の生産拠点に生まれ変わってしまいました。

戦後も、長らくその地は工場でしたが、現在はさいたま市北区役所、商業施設のステラタウンとして、地域になくてはならない場所となっています。

大宮競馬場の跡地は今?

最寄駅はニューシャトルの加茂宮駅

大宮駅から新交通ニューシャトルで約6分。最寄りの加茂宮駅に着きます。周辺は住宅地で、駅前の交通量は穏やかで過ごしやすい街となっています。
周りを歩くと、工場へ変貌してしまった過去もあってか、競馬場の形状を感じさせるものはなく、駅から5分ほどで目的地へ到着しました。
区役所と商業施設。もはや、競馬場だったと思わせる雰囲気はありません。

跡地はさいたま市北区役所となっている
近くには商業施設(ステラタウン)もある

ここでレースが行われていたんだと思いを馳せつつも、競馬場の足跡はもうないと諦めかけたとき、区役所の片隅に「大宮競馬場建設記念碑」とある石碑を見つけました。

大宮競馬場建設記念碑

大宮競馬場建設記念碑(裏側)

この石碑が建立されたのは、工事竣工の時期である昭和9年でした。競馬場の完成を記念して建てられた石碑が、現在も貴重な資料として、競馬場があった地に残されていたのです。

昭和6年に初開催した大宮競馬ですが、工事の竣工が昭和9年とあるように、売上げ拡大の背景もあり大宮競馬場は施設的にも発展し、最終的に出来上がったのがその年だったのではないかと想像できます。そこからわずか5年で廃止の運命をたどるわけですから、複雑な思いを感じる方も多いはずです。
また、石碑によれば、大宮競馬場の総面積は82,900坪(約274,000㎡)で、現存する浦和競馬場(158,255.82㎡)の1.7倍もの広さがありました。もし、これだけの大きな競馬場が今も残されていたなら、地方競馬の構図も変わっていたかもしれません。

今でも残る大宮競馬場の灯火

全国三大競馬として、高い存在感のあった大宮競馬場。しかし、戦争という時代背景に飲み込まれ、その姿を消してしまいました。今や、競馬場だったという面影はありませんが、ひっそりと建つ石碑が大宮の地に競馬場があったことを伝え続けてくれています。

【参考文献】
田辺一夫編『埼玉県競馬史』(埼玉県競馬主催者協議会、1965年)。
埼玉県浦和競馬組合編『浦和競馬場開場70周年記念誌1948▷2018』(埼玉新聞社、2019年)。

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