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トーマス・ブレーク・グラバー

小学生の頃のグラバーのイメージなんて、せいぜい「グラバー邸」を作った人。「なかなか洒落た家ば、建てた人やねぇ・・・」みたいな。

そして最近?までのイメージも、武器商人として財をなした人。言い方を換えれば「死の商人」みたいな。

しかしきちんと調べれば調べるほど、そういった一般のイメージとはむしろ正反対のものが見えて来ます。

・すすんで日本語を学び、若い日本の青年達(浪士達)と交流した。

・諸藩の大名達と売買の話をする時、一切袖の下などは使わなかった。
それどころか、無担保でどんどん貸し売りをした。その為、後に膨らんだ借金を回収できず、商会の倒産という憂き目にあった。


・木戸孝允(桂小五郎)や伊藤博文など、幕末の志士達を同邸に命をはってかくまったり、海外渡航の手助けをした。(日本初の蒸気機関車を走らせたりしたのは、志士達が脱出する際に、追っ手の注意をそらす意図があったという説もあるようです)

その他、薩摩藩と英国の橋渡しをして、幕府とフランスのタッグにプレッシャーをかけた。という重要なことも行っています。

そしてここからは個人的な想像なのですが、グラバーは「英国人」と紹介されていますが、実際にはスコットランドの小さな港町アバディーンの出身です。
歴史的にもイングランドとスコットランドというのは、民族的にも異なっているし、宗教・言語なども当然違っています。

スコットランドは、いわばイングランドに「グレートブリテン」として強制的に併合させられたのであり、グラバーのようなスコティッシュにとっては、強圧的な中央集権国家であった当時のイングランドに対し、内心反発心があったとしても少しもおかしくないと思います。

それが、新しい国造りをしようと奮闘していた幕末の志士達の気持ちとリンクし、彼らをバックアップしていこうという原動力となったのではないでしょうか。

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江島 達也/対州屋
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